ここ最近、社会貢献とか社会起業とかソーシャルソーシャルなことを
考えたり聞いたりしているなかで感じたこと。なんとなくの矛盾点。
本来、社会貢献ってお金持ちの道楽だったはず。
今、社会貢献ビジネスで起業したい、って言っている人が多かったり(あれ?そうだよね?)
実際昔に比べれば若手NPOの活動は盛ん。
そこで働く人の給料は?
実際のとこは知らないけど、月収30万ゲットできることは少ないんじゃないかしら?想像ですが。
つまり、自分の生活の余裕とか富とかそういうのをある意味置き去りにして、
自己実現欲求みたいなものでモチベートされている。
それって、別にいいけど・・・何か弊害ってないんだっけ。
何でそれって成り立っちゃうんだっけ。
そんなに人間の本質って変わってるわけなくない?
という単純な疑問。
そして軽い自戒。
↓以下ブレスト
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お約束のマズローちゃん。欲求段階説。
(人はこの数字の順番で欲求を満たして次の欲求へのぼっていくといわれています)
↓
1、生理的欲求
2、安全の欲求
3、社会的(所属・)の欲求
4、尊厳(承認)欲求
5、自己実現の欲求
(6、コミュニティ(共同体)発展欲求 ←実は存在するらしい、第6の欲求)
【富裕層の脳内(想像)】
※5段階目か、6段階目。
やりたいことはすべてやった。
金も十分使いきれないほど集まった。
その金で遊びまくったのでもうたいていのことは飽きた。
多くの人間にも認められているのでこれ以上仕事する必要もない。
自分という人間は大成した。
さて、次は何に使おうか?
どうせなら影響の大きい、これだけのお金があるからこそできることを、
スゴイことをしたい。
⇒貧困層を豊かにするマジックを起こせるんじゃない?
⇒環境保護を大がかりにできるんじゃない?
⇒病気に苦しむ人を救いだせるんじゃない?
それすごいね!
神の偉業のようだね、ぜひやろう。
いや、そのようなことをこそ、私こそがやるべきなんだ。
・・・そういう、暇をもてあました神々の遊びなんじゃないかと思うんだ。
とても穿った言い方をするとですけど。
遊びだからこそ、その遊びに熱中するということはそのこと自体の目的に向き合えると思う。
【社会起業、企業系の若い人の脳内(想像)】
※6段階目・・・・に見えるが、3段階目・4段階目な気もする。
どうせ就職するなら、どうせ転職するなら、
もっと社会に貢献できることがしたい!!!!!!
ただの会社のコマになるより、自分で社会にコミットしたい。
そのとき得られる給料が低くたって、構わない。
そして、将来的に自分に大きな利益が得られなくても構わない。
自分が完全に犠牲になるのは嫌だけど、
ある程度の生活が保てて、家族を幸せにできればそれでいい。
(⇒実際これが難しいみたいですが、理想としてはこんな感じかと)
特にお金をたくさん儲けたいとは思わない。
社会的なインパクトを与えられるなら、僕は満足だ。
だってそれはお金を儲けることより、会社で下働きするよりずっとすごいことだと思うから。
社会に影響を与えること。
そこに自分の価値を感じる。
つまり、本来欲求のトップにあるものを、的の一番真中においてぶちぬこうとしている。
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それって、
ある意味で視野が広くてすごいよね、とも思うけど、
その欲求のトップにあるはずの=他の欲求はすべて満たしきった人がやるものだったはずの
ものを、
なぜか、おそらくトップの欲求どころか、第3~第5あたりは満たされていないかもしれない若者が
着手するということだ。
いくら、世代が変わった、価値観が変わったとはいっても、やっぱり何か違和感がある。
そのときの危険性は何か?
社会的(所属・)の欲求
尊厳(承認)欲求
自己実現の欲求
↑このあたりが無意識に入り混じってくる可能性が富裕層の人々より高いような気がする。
つまり、自己実現を果たしたので他人へも分け与える、
じゃなくて、
他人を幸せにすることで自分が社会所属を話、尊厳を高め、
自己実現をする。
その順番になるので、社会のため他人のため恵まれない人のため、と、いいながら
自分自身への欲求が邪魔をすることがあると思う。
たとえば、
○○事業をやる!貧しい人のために。
そう決めたとき、本当にその人のためになるのは▲▲事業なのにそれに気付かないで
もっともも話題性があり派手な○○事業を実行することに熱中するとか。
つまり、俺がやりたいからやるんだ!
ということが本来のニーズの優先順位に勝ってしまうかもってことです。
ほんとはそんな人に分け与える力なんてないのかもしれないのに、
迷惑なのかもしれないのに、
それを知らずに、
私が勝手にやりたいことをやっている、
そしてからぶっている、
そうなる要素は十分あるかもしれないということです。
利他主義はひるがえって最強の利己主義かもしれない。
なんという天の邪鬼。
な考え方だけど、私は一応頭の隅に入れておきたいと思います。
そして、
それ(他人のためを考えても判断がゆがんでしまう可能性)に打ち勝つにはどうしたらいいのか?
それはおそらく・・・
自分が十分満足すること、幸せだと感じることです。
何かに飢えている時の自分はそのルサンチマンパワーがたまるけど、
普通、他人のことを考える余裕はなくなります。
他人のことを考えているような気がしていても、それは錯覚だったります。
満足するには、幸せだと感じるにはどうしたらいいか?
幸せレベルを下げる(今の状況に満足する)こと。
同時に、
自分の満足も社会的な利益を追求するのと同時に同時に希求すること。
じゃないかなって思って、私は仕事とか事業とかだけで自己実現を求めるのを
やめることにしました。
さすがに、何も始まってないのに富裕層級の満足感を得ることはできないし、
そんなのできたらもう人生おわりっす。
だけど、今の自分の生活に幸福を感じたり、自分の満足を追いかけることはできる。
だから、社会事業性を自己実現の道具・ネタにするのは諦めて、
少なくともそれは人生の一要素として、
(いや、今はそれが実際最も大きな努力箇所ではあるんだけど)
自分自身の満足感を他の部分で満たそうとする努力もしようかな。
と、思ったのです。
・・・あれ、私、じつはすごい当たり前のこと言ってる? (笑)
でも矛盾点が頭の中ですっきりしたので、作業に戻りますw
最後までお付き合いいただいた方おつかれさまでした。