エレキの若大将 | Dream Lights

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セブンスじゅう〜



ボクのYAMAHA SB2Aネタも、そろそろ締めくくりにしたいと思います。
50年前、50年前って、自分だけで騒いでいましたが・・・

日本の50年前ってこんな映画の頃でした






KY氏主演の『エレキの若大将』が1965年の映画ということで、最初の写真にボクのベースと同じ形のベースが写っています。
こちらは多分リアピックアップの付いた最高級モデルだと思いますが、何れにしてもボクのYAMAHA SB2Aはこの時代のベースであることがお分かりいただけたらと・・・ハイ。

いかに昔か・・・

当時、エレキベースって、ギターを作るついでに作られていただけで、ベースの位置付けとしてはそれはもう低いものでしたね。
先ず、ロングスケールのベースは当時ほとんど見たことがありません。
というか、ギターもベースも小さいものが多かったな~
中にはベースなのにギターよりも短い超ショートスケールのものがあって、どうしてそんなものを作ったのか、って・・・
ロングスケールのフェンダーはすでにあったはずですが、フェンダーがもて囃されるのは、その後のグループサウンズの時代になってからのことで、それ以前のこんな時代では『エレキ』は国産が主流でしたし、エレキギターであればもう何でもよかった時代です。
ですので、日本人の体型に合った小型のエレキが作られ、ベースも同様に弾きやすいから、というだけの理由だったんじゃないかな。
ベースは、ないよりはあった方がいいという程度のことで、何となく低音さえ出ていれば・・・くらいの認識でしたから、力を入れて研究されていたとは到底思えません。。。

あくまでもエレキギターが主役のこの頃、ベースが重要視されることはなかったんです。

当時、2歳上の従兄弟がベースを持っていて、でもグヤトーンのそれは小振りでピックアップも1個しかなく、まあそんなベースでもボクには羨ましかったんですが、従兄弟が言うには、ベースなんだからマイク(ピックアップ)は一つで十分だと。

へ~、そうなんだ~と、中学生のボクは素直に信じてしまいましたが、基本的にはそんな時代だったわけです。

ピックアップは一つでいいという意味は、今の感覚で同じことを言うのとは、ちょっとニュアンスが違うんですよね、あえてプレベを選ぶという積極的な考え方で言っているわけじゃないんです。

しかし・・・

従兄弟のそのセリフは、それ以後もボクのベースに対する根本的な考え方になってしまって、ベースなんだからピックアップは一つでいいじゃないかと、今もそう思っているところがあります。

さて、ボクのYAMAHAはこんな時代に作られたベースですが、さすがにロングスケールではないものの、当時としてはかなり高い価格設定だったし、先日、メンテナンスのために分解しましたが、今見てもすごく細かい所まで丁寧に作ってあることがわかりました。

ボクのベース、これまでの50年間という長い時間をどう過ごしてきたのか、すごく気になります。
それこそクローゼットクラシック状態で、ほとんどの時間をケースの中で過ごしていたんじゃないか?、何れにしても塗装やピックガードの劣化状態を考えても、ほとんど外に出ることがなかったのではないかと思われます。
50年って、自分の50年間を考えると、どんだけ長かったか・・・

やっぱりボクが手にすることになって、絶対良かったですよ(笑)