ベース回顧録 その2 | Dream Lights

Dream Lights

Blieve ! Sea of Dreams
ハーじゅう〜ツェ〜

$如才音楽事務所

Greco EB-135という型番はかなり後年になってからわかりました。
このベースは高校1年の時にTEISCOの次に手に入れたものです。

ボクのいた高校は1学年につき60人定員の13クラスというマンモス男子校。

見渡す限り男ばっかり(笑)ウンザリ

13クラスのうち3クラスが選択科目に音楽を選んだクラスで、残り10クラスは美術専攻ということになっていて、音楽を選択した人がいかに少ないか・・・
もちろんボクも音楽専攻。

そんなことで、バンドメンバーを探すのも、クラスの中で簡単に探せたということだったのでしょうか。。。
高校に入ると、さっそくクラスの数人とビートルズバンドを始めました。

1年生の後半だったかな、ある日、教室でボクに『ベースいらない?』と声を掛けた男がいました。

S君と言いますが、彼は辻堂に住んでいて、隣のクラスのM君とは幼馴染で、M君は茅ヶ崎に住んでいる、学校では有名な?お坊ちゃま二人組みの一人。

彼らのお金持ちぶりはボクの想像をはるかに超えており、3年間の付き合いの中で、数限りないエピソードも残っています(笑)

ここで彼らのことを少し書いておかないと、ボクがベースを手に入れた時のM君とのやりとりが、違う解釈になってしまうと思ったんですね。

ということもあり、すこし彼らのことを紹介しておきます。
例えば彼らは当時、通学には東海道と東横線を使っていましたが、東海道では必ずグリーン車でした。
セスナやヨットを所有するような家で、何度か遊びに行ったことがありますが、公務員宿舎に住んでいたボクからは、どう理解していいのかわからないような豪邸でありまして、敷地内にお抱え運転手の家があったり、ガレージだけでもウチの宿舎の1棟よりも長かった(笑)
横浜駅東口のラウンジレストランでは高校生にも係わらず、S君の顔パスで入ることが出来て、しかも飲み食いはフリーという待遇。。。

面白い話があって、当時学校に限らず、ゴルフウエアーが流行っていまして、マンシングだのクロコダイルだのトロイとかそんなブランドのVネックセーターが大流行りでした。
まあ、マガイモノもありましたが、みんな学生服の下に必ずそんなセーターを着ていたものです。
ある時、体育の授業があって、教室で着替えるわけですが、机の上に着替えた衣類を置いておくんですね。
S君の机の上にも着替えたものが置いてありました。
すると、誰かがS君のセーターに目を留め

『なんだこれ、Sダッせ~な!』と。

S君のセーターは流行りのVネックセーターではなく、ごく普通の黄色の丸首セーターだったんですね。
庶民の感覚から言えば、マンシングのセーターが一番のステイタスであって、丸首の普通のセーターなどは話しにならないくらいダサイ!としか映らなかったんです、きっと。

しかし

『あ~っ!』

という声が・・・

ソイツはS君のセーターのタグを見たんですね。

『dunhillだよ、これ・・・』

当時マンシングのセーターがせいぜい7,000円、しかしdunhillのセーターは最低でも20,000円はする超高価ブランドだったんだよね。

でも彼らはお金持ちであることなど一切鼻にかけることもなく、というか、生まれながらにしてお金持ちというのは、こういう風に育つんだな~、成金とは違うんだ、とわかったわけで、ほんとに穏やかなオットリして苦労を知らない、でもいいヤツだったんです。

彼らは16歳になるとバイクの免許とバイクを同時に手にし、S君は250ccクラスのバイクを初心者ということで買ってもらい、M君はいきなりCB750、つまりナナハンですね、これを持っていました。

さて、話を戻しますが
『ベースいらない?』と聞いてきたS君でしたが、ベースはM君のものだそうで、もし使うなら見てみる?と。

ボクもビートルズバンドやっていたので、古ぼけたTEISCOのベースよりもカッコいいベースが欲しかったところでした。

数日後、S君とM君はやってきました。

当時ボクは桜木町の公務員宿舎に住んでいまして、今はその辺りも『みなとみらい』に吸収されてしまったかも知れません。
その宿舎では4階に住んでいたので、窓から桜木町や海など、なかなか眺めが良くて、その日M君の運転でS君が後ろに乗ったナナハンが走って来るのを見ることができました。

湘南から桜木町まで二人の間にベースを挟んで持ってきたんです。

参考までに、当時はバイクの免許に排気量の限定はなく、いきなり大型バイクでも乗ることが出来ましたし、ヘルメットの着用義務もありませんでしたから、もちろん二人ともヘルメットは被っていません。

二人乗りでやってくる姿はカッコ良かったな~

そこで見たベースは黒いセミアコのベースで、もったいないくらいのベースでした。
しかも、見る限りキズ一つなくピカピカでした。

『これだけどいいかな~』
『いいもなにも・・・すごいねこれ!』
『じゃあ、置いていくよ』

M君はこのベース、あげてもいいんだけど、それじゃ後々嫌だろうから、一応買ったことにした方がいいんじゃない?

ということで、M君は『5,000円でどう?』と。

金額そのものは、当時の相場としても安いものでしたが、友人同士の『買ったことにする』金額としては少々高いですよね。。。

しかし、前述の通り、いろいろなお金持ち振りを書いたのはそのためで、彼らにしてみると、この5,000円は決してボッタクリの金額ではなく、『買ったことにする』金額だったと思うんです。
それはボクも、もうわかっていました。
そういう意味では彼らの最低金額はおそらく倍の10,000円単位だったんだと思います。。。
その半分ですから、あげたようなモノだと(笑)

それにしても、これは嬉しかったですね~、いわゆるマトモなベースなんですから。
アンプに繋いでもいい音がしたし、これでなんだか本当にミュージシャンになったような気がしました。

しかし、相変わらずケースがない・・・(笑)

バンドの練習で移動する時は、今度は兄の所有していた12弦アコースティックギターのソフトケースを借りて、それに入れていましたね。
これ、ちょっとダブダブになりますが、長さも合うし、助かりました。

このベースでも相当練習しましたが、まだこの段階では自分の中で抜け出ることが出来ない壁みたいなものに阻まれていた気がします。

というのは、翌年に購入したGrecoのバイオリンベースを使い始めて、音楽的にも多方面のジャンルを弾き始めたあたりから、自分でもハッキリわかるくらい、ホントある日突然のことですが、急に弾けるようになったんです。


ということで、次回はその翌年に購入したベースを紹介します。