毎日新聞夕刊12月9日『特集ワイド』野口五郎さんがコロナ対策アプリ開発 歌いたいから安心な環境に | 銀座由美ママの心意気

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『特集ワイド』野口五郎さんがコロナ対策アプリ開発 歌いたいから安心な環境に

 

 

 

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「私鉄沿線」など多くのヒット曲で知られる歌手、野口五郎さん(64)がコロナ禍の中、

意外な活躍で話題になっている。

 

災害時にも有効な、あるシステムを開発したというのだ。

デビュー50周年の節目とも聞き、東京都内のオフィスを訪ねることにした。

 

 

「それは苦しいですよ、だって歌手なんですから」。

 

15歳でデビューし、歌に人生をささげて半世紀。

記念となる、まさにこの年を襲ったのがコロナ禍だった。

 

 

「歌える機会はいっぱいあったのに、どんどん中止や延期になってしまって」。

やりきれない思いを抱える中、「僕に何かできることはないのか」と自問を続けた。

そして自粛期間中の数カ月でひねり出したのが、不安の中にいる人たちに「安心・安全」を届けるアプリだったという。

 

 

野口さんといえば、ラブソングの甘い歌声をイメージするが、実は知る人ぞ知る発明家である。

 

たくさんの特許も取得している。

ユニークな研究も手掛けていて、振動に関する研究内容が英科学誌で紹介されたこともあった。

 

新たに開発したアプリは「テイクアウトライフ」。

QRコードをスマートフォンなどの端末で読み取るだけで、

災害時の緊急連絡を含めさまざまな情報が受け取れる。

 

大きな特色は個人情報を入力する必要がなく、面倒な登録手続きもいらないこと。

送られてくる情報はその端末でしか見られず、動画などが無制限にコピーされることもない。

 

 

例えば、イベントの主催者がQRコードを印刷した紙を会場に張っておく。

客はこのQRコードを撮影すれば、出演者のあいさつをはじめ、

多彩な情報をイベント後も長い期間にわたり受け取れる。

 

一方、イベント会場で新型コロナウイルスの陽性者が出たと判明した場合、すぐに緊急通知が来る。

 

 

個人情報は元々入力していないので、通知を受け取ったのが誰かは外部から特定されず、

本人だけが分かる仕組みだ。

 

 

政府の接触確認アプリ「COCOA(ココア)」は

コロナの陽性者と「どこで」接触したかという場所は示されないが、

テイクアウトライフなら「あの会場だ」などと具体的に知ることができる。

 

両アプリを併用すれば、より手厚くわが身を守ることにもなるだろう。

 

 

「コロナ前の世界に一気に戻ることはないでしょう。

でもお客さんが安心してコンサートに来てくれるような環境に少しずつでも近づけたら」。

野口さんはそう言うのだ。

 

 

飲食店や公共施設の入り口にQRコードを張っておけば、

陽性者が出た際に客に通知できるなど、いろいろな活用が可能なため、

多くの企業や自治体がアプリに注目。

 

 

実際に東京都内の百貨店をはじめ、各種コンサートや歌舞伎の公演でも採用の動きが広がっている。

 

テイクアウトライフの下敷きには、野口さんが既に約10年前に特許を取得した

「テイクアウトライブ」がある。

 

これは文字通り「ライブを持ち帰る」というアプリで、基本的な仕組みはテイクアウトライフと同じ。

 

来場者がQRコードを印刷したカードなどを購入し、QRコードを撮影すれば、

公演の終了後にライブ映像やアーティストのメッセージ動画などが送られてきて、

自宅や外出先でも楽しめる、といったシステムだ。

 

 

既に多くのアーティストが活用しており、公演の中止や延期が続くコロナ下で、

活路を開く手段として利用者が拡大中だ。

 

6月に大型公演再開の先陣を切った歌手、加藤登紀子さんのコンサートでも使われた。

 

 

こうしたアプリ開発の背景には、野口さんの強いこだわりがある。

野口さんは若い頃から、自身で音響機材を操作してレコーディングを行うなど、

技術的にもさまざまな挑戦をしてきた。

 

そしてCDがレコードに取って代わる1980年代ごろから、不安を持つようになったという。

 

「CDが登場してデジタル化が進むにつれ、音楽の世界のバランスが悪くなってしまった。

コンテンツを作るアーティストと、そのコンテンツを売ってビジネスをする人たちの間がはっきり分かれ、

だんだんコンテンツを売る側がイニシアチブを握るようになったんです」

 

アーティスト本位の世界を作れないか。

アーティストが適切な利益を得たうえで、

活動を支えてくれるファンとのつながりも強める方法はないだろうか。

そこでひらめいたのがテイクアウトライブだった。

 

「これならアーティストがコンテンツを直接、安全にファンの手に届けられる。

そしてファン一人一人とつながることにもなる」。

 

歌手というよりはビジネスマンのような発想だが、野口さんはこう強調する。

「僕は歌手であるからこそ、このアプリを作りました。

あくまで歌うための一つの手段であり、特許を取ったのは着実に次に進むフックだからに過ぎません」

 

 

野口さんのあらゆる活動は「歌うこと」から発している。

「科学誌に紹介されたような振動の研究を始めたのも、

歌できちんと思いを伝えることを追求しようとしたら、空気の伝わり方を知りたくなったから。

 

僕にとってすべての原点は『歌いたい』という気持ち、それ一つだけなんです」

 

 

幼い頃から歌手になることを夢見て、全国各地ののど自慢大会に出場した。

美しいボーイソプラノで多くの人を魅了し、

「リンゴ追分」などで知られる作曲家、米山正夫氏に師事して、中学2年の時に上京。

 

だが、その直後に変声期が来て、自慢の高音が出なくなった。

目の前にあったデビューの道が突然閉ざされ、一瞬で奈落の底へ。

 

普通ならそこで終わっていたのかもしれないが、あきらめずに歌い続けたからこそ、今がある。

 

 

 

「もう少し前に、あと少しだけ前に、と思いながら走ってきました。ずっと苦しく、つらかった。

喜びや楽しさをつかもうと必死だったから、今も歌っているのだと思う。

楽しく過ごしていたなら、もうとっくに歌はやめていたかもしれない」

 

 

西城秀樹さん、郷ひろみさんとともに「新御三家」と呼ばれ、70年代を代表するトップアイドルだった。

その輝かしい姿からは想像できないが、実際には、もがき苦しんだ50年だったというのだ。

 

 

「最近ようやく、ほんの少しだけ歌って幸せを感じるようになってきた。そんな矢先のコロナ禍です。

もう許せないという思いで……」。

 

終始穏やかだった野口さんの表情がちょっとゆがんだ。だが、すぐにこう言い添えた。

「これも人生なのかもしれません。乗り越えなければいけない壁なのかも」

コロナ下で生きるのはつらいが、あきらめたらおしまいだ。

一歩でもいい。前に進めば道は開ける。

歌うことをひたすら追い求めてきた野口さんの姿がそう示しているようだ。【宇田川恵】

 

特集ワイド:野口五郎さんがコロナ対策アプリ開発 歌いたいから安心な環境に - 毎日新聞 (mainichi.jp)

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