嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな
ー西行
如月十九日
由美ママは、
【クラブ由美】http://yumi-ito.com/
開店当時の1983年より、
30年近くお世話になった
「第一プロダクション」の元社長 岸部清氏の葬儀・告別式に
【青山葬儀所】http://www.aoyamasougisho.jp/ へ!
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「第一プロ」に所属した千昌夫さんは弔辞に立たれ、
所属のきっかけとなった
『星影のワルツ』の一節
「別れることは つらいけど」を歌唱…
「日本のエンターテインメントが隆盛を誇る礎を築いてくださった」と功績を称えられました。
また、
デビュー当時所属されていた西郷輝彦さんは、
「鹿児島出身だから“西郷”でいいだろう」と秘話を。
その他、
所属した新沼謙治さん&森口博子さんらが参列され、
「出会えてよかった。度量の大きい方だった」
と故人を偲ばれました…
https://www.hochi.co.jp/entertainment/20190219-OHT1T50098.html
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/02/19/kiji/20190219s00041000020000c.html
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190219-00000074-dal-ent
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思い起こせば、
由美ママが“岸部パパ”と知り合ったのは
稲垣博司氏と作曲家 叶弦大先生のご紹介で
【クラブ由美】http://yumi-ito.com/ を開店する以前、
1981年頃に遡ります。
その後、
83年の【クラブ由美】開店の際には、
当時所属の歌手の方々とのお名前と並べて“岸部清”のお花をいただき、
“銀座最年少オーナーママ”との話題に花を添えてくださいました。
やがて、
非常に権威のある音楽賞「日本レコード大賞」受賞への“賞レース”華やかりし時代に突入!
毎年、
秋を迎える頃になると各レコード会社の幹部やプロダクション社長クラスの面々、
音楽評論家の方々が毎夜、【由美】に集われ、
今や“昭和の遺産”となった熱い“賞レース”が繰り広げられました!
伊奈一男先生、石坂敬一氏、佐藤泉先生…
当時お世話になったお歴々の何人かは、すでに鬼籍に入られてしまいましたが、
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*望月の頃はたがわぬ空なれど消えけむ雲の行方悲しも【ぎんざ寿し幸】故石坂敬一氏を偲び献杯した女子会 (2017年2月18日号)
“一プロ”の第1号レコード井上ひろしさんの「雨に咲く花」に見送られながら、
きっと天国で再会されていることでしょう…
お洒落で粋でお茶目なキャラで誰からも愛された“岸部パパ”。
さらに、
元「東京ウエスタン・ボーイズ」出身の経歴から、
アメリカンナイズされた国際感覚の持ち主だった“岸部パパ”。
本当にお世話になりました…
“岸部パパ”へのご恩は、大切な想い出の1ページとして一生忘れません…
永きに亘ってご贔屓にしてくださりありがとうございました!
「大光明清居士」…
まさに清々しい光明のごとき人生でしたね。
心より感謝申し上げますとともに、安らかな眠りにつかれますようお祈り申し上げます。
由美ママ&青柳崇子さんと!
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