『伊藤由美と即宗院』
銀座で生き、感じる「薩摩の気骨」
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昨日
9月29日号
朝日新聞夕刊(全国版)の人気連載
【都ものがたり】http://www.asahi.com/articles/DA3S12583782.html
に、
『伊藤由美と即宗院』
銀座で生き、感じる「薩摩の気骨」
として、由美ママと共に縁ある
【即宗院】http://www.sokusyuin-sizensou.com/index.html
が紹介されました
朝日新聞夕刊【都ものがたり】『伊藤由美と即宗院』
この
東山三十六峰のひとつ慧日(えにち)山の麓に佇む
【臥雲山 即宗院(がうんざん そくしゅいん)】は、
臨済宗東福寺派、大本山東福寺塔頭で、
嘉慶元年(1387)
薩摩藩島津氏久公が、
剛中玄柔禅師(東福寺第54世住持)を開山として建立。
薩摩藩の菩提寺として
氏久公の法名「齢岳玄久即宗院」がその寺名です。
創建当時は
現在より南に位置していましたが、
永禄12年(1569)に火災で焼失。
その後、
島津義久公により慶長18 年(1613)
関白藤原兼実公が晩年営んだ山荘「月輪殿」の跡に再建されました。
また
法然上人および西郷隆盛のゆかりの寺として知られますが、
隆盛公と僧月照は、
王政復古を志し、
新撰組や幕府の追っ手を逃れて
この【即宗院】「採薪亭」で
幕府転覆の策をめぐらしたとされています。
その後
隆盛公は
数々の苦難を乗り越え、
鳥羽伏見の戦い(慶応5年)から勝ち進み勝利を手にしますが、
戦いの戦死者524霊を弔うため
【即衆院】に半年間滞在し
碑文を書きしたため、
明治2年に「東征戦亡の碑」を建立しました
http://www.sokusyuin-sizensou.com/temple01.html
そんな
『東福寺』塔頭【即宗院】と
由美ママとの縁は、
母方の先祖
薩摩藩士『中原猶介』の名が刻まれた
「薩摩藩士東征戦亡の碑」
がこの地に建てられていることからで、
かつて二度、
この石碑を拝みに出かけました
↓↓↓
*紅葉燃ゆ麗しき京の小春日に芳春と名の付く君を想わん!大徳寺【芳春院】&東福寺【即宗院】紅葉狩り! (2013年11月24日号)
*もみじ且つ散る静かさよ・・「東福寺」の塔頭『即宗院』境内に我が祖先薩摩藩士『中原猶介』石碑を拝む (2009年12月9日号)
【即宗院】「薩摩藩士東征戦亡の碑」
ちなみに
『中原猶介(なおすけ)』http://www.kagoshima-yokanavi.jp/rekishi/ijin/029.html
については、
↓↓↓
*よしや身は越路の雪に埋むとも くる清水に名をやながさむ・・・「甲南高校」薩摩藩士『中原猶介』の碑 (2009年7月26日号)や、
また
歴史作家・桐野作人氏が書かれた
「膏肓記」http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-84.html
http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-317.html
や、
『さつま人国誌』をご覧下さい
↓↓↓
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さらに、
2010年7月17日号の朝日新聞朝刊
「長崎今昔」にも
オランダ領事兼商人のアルベルト・ボードインと
中原猶介の写真が、
“商館長の屋敷で撮影”と紹介されています。
「日本古写真アルバム ボードイン・コレクション」
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/bauduins/jp/record.php?id=278&req=51
ここで
『伊藤由美と即宗院』
銀座で生き、感じる「薩摩の気骨」
を紹介しますと…
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涼しげな秋風が、境内の木々を揺らしている。
京都・東山の即宗院。
手入れの行き届いた約4千坪の敷地の一角に、6基の石碑がひっそりとたつ。
そこに、幕末の動乱に散った薩摩藩士524人の名が刻まれている。
建立は1869(明治2)年。
倒幕を果たした西郷隆盛が、郷土の志士たちの供養のために揮毫(きごう)した
「薩摩藩士東征戦亡之碑」だ。
東京・銀座の老舗「クラブ由美」のオーナーママ、伊藤由美は7年前に初めてこの地を訪れた。
いつか両親を連れてこよう。
そう願い続けてきたのは、母方の祖先の名が石碑にあるからだ。
中原猶介。
少年のころから秀才の誉れ高く、江戸へ留学。
砲術に精通し、禁門の変や鳥羽・伏見の戦いなどで活躍したが、
68年に志半ばで砲弾に倒れる。
享年36歳。
生きていれば西郷隆盛、大久保利通に次ぐ逸材として名を成したとも言われる。
肩書は「教頭」。
「参謀として実務的なトップを務めたのでしょう。相当頭のいい方だったはず。若いのにたいしたものです」。杉井玄慎住職は、歴史に埋もれた逸材をこう評する。
中原は17歳で島津藩に出仕し、すぐに頭角を現した。
伊藤もまた、18歳で夜の銀座に飛び込んだ。
親の反対を振り切って名古屋から上京。
たちまちナンバーワンになり、
22歳で有名クラブの雇われママに。
「クラブ由美」を開いたのは23歳のとき。
いまでは別のビルのワンフロアをすべて占めるほどに。
「自分で選んだ道だから、泣いて帰るわけにはいかなかった。決戦に挑むつもりでした」
経済紙などから記憶術や人材育成の取材が舞い込む。
親友で女優の杉本彩が力を入れる動物愛護の活動にも力を注ぐ。
朝8時にはパソコンの前に座り、ブログをつづる。
午後2時ごろにはパソコンを持って出勤。
ママという職業の枠を超えた象徴的な存在なのだ。
「大切なのは、人としての優しさと感謝の気持ち。あとは覚悟かな」。
銀座という“激戦の地”を生き抜きながら、
自分の中に流れる薩摩の気骨を感じる。
時には野生のサルまでもが闊歩する即宗院は、
あと1カ月ほどしたら木々が色づく。
久しぶりに母を連れて京都へ行くつもりだ。
中原に会いに。
―谷辺晃子・文
http://www.asahi.com/articles/DA3S12583782.html
↓↓↓
今秋
【即宗院】は、
11月12日~12月4日特別公開されます。
この機会に
維新に散った英霊に祈りを捧げながら
かつて「東福寺中第一」と讃えられた
庭園美と美しい紅葉を眺めてみてはいかがですか
東福寺 臥雲山【即宗院】(通常非公開)
http://www.sokusyuin-sizensou.com/
住職 杉井玄慎
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それから
由美ママの著書【粋な人、無粋な人】「自分では気づかない恥ずかしいこと」http://amzn.to/114d0cy
が読者プレゼントされますので
是非応募ください
『粋な人、無粋な人』http://amzn.to/114d0cy
はがきに住所、氏名、年齢、電話番号を記し、
〒530-8062
大阪北郵便局私書箱526号「即宗院」係へ。
10月6日必着です
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