夜泣きすと ただもり立てよ 末の代に 清く盛ふる 事もこそあれ
―白河院
“大寒”を迎えた午後
由美ママは、
今年“三度目”の
京都へ出かけました
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*杉本彩さんと「祇園ゆたか」の流れを汲む隠れ家的超高級店!祇園【ステーキ二教】炭火炙り焼きステーキ
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-11126210308.html (2012年1月5日号)
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http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-11131010104.html (2012年1月10号)
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http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-11130251958.html (2012年1月11日号)
今回の
京都では、
平清盛が見守る
【六波羅蜜寺】http://www.rokuhara.or.jp/
へと詣で、
“都七福神” http://miyako7.jp/
の御守りを買いました
【六波羅蜜寺】由美ママ
日本最古“都七福神ノ一”弁財天を祀る【六波羅蜜寺】
透明な茄子の中に金色の“七福神”が入っている御守り
さて、
掲歌には
平清盛が生まれた時に
白河院が忠盛に贈った歌を
引用しましたが、
この歌によって
“清盛”の名前が
付けられたとされ、
「いくら夜泣きしても、
忠盛よ、ただ守り立てて、
大事に育てよ。
成長したら、清く盛んに
栄えるだろうから。」との
思いが籠められていますね。
その後、
清盛は
その願いが叶い
“清く盛ん”に成長して
平氏棟梁となり、
保元の乱では
後白河天皇の信頼を得、
平治の乱で
最終的な勝利者となり、
武士では初めて
太政大臣に任ぜられましたが、
さらには、
娘の徳子を
高倉天皇に入内させ
「平氏にあらずんば人にあらず」
と言われる時代を築きました。
そんな
若き日の清盛が
青春時代を過ごしたのが、
この“六波羅”で、
祖父正盛の時代より
平家一門の館が、
ここ六波羅周辺にあり、
平家が都落ちし
自らの手で焼き払うまで
周辺には
五千を超える邸が
あったとされています。
【六波羅蜜寺】境内
この後、
平安の昔の面影を探す
古い街を散策しながら
次に向かったのは、
“亥年”の
御本尊とされる
塔頭『禅居庵』http://www.zenkyoan.jp/
【摩利支尊天堂】http://www.kenninji.jp/grounds/index.html
へと、
“猪”の絵柄の入った
ストラップを買いに
行きました
『禅居庵』境内の【摩利支尊天】
“狛イノシシ”
この
『禅居庵』境内の
【摩利支尊天堂】は、
本尊の“摩利支尊天”から
“摩利支天(まりしてん)”と
呼ばれていますが、
「三つの顔と
六本の腕を持ち、
七頭の猪に乗っている」
というこの神様は、
「開運・勝利・厄除け」の
ご利益があるとされ、
境内の
”狛イノシシ”が守る
“摩利支天”は、
亥年生まれの
御本尊ですから、
機会ありましたら
是非
“亥歳”の方は
お出かけ下さい
“狛イノシシ”と由美ママ
“イノシシ”の手水舎
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境内至る所で護る“狛猪”
“猪”柄のストラップと御守り
六波羅へ 召れて寒き 火桶哉
―夏目漱石
今回の
京都では
平安から鎌倉時代にかけ
日本の歴史の中心となっていた
“六波羅(ろくはら)”にて、
日本の歴史のエッセンスを感じ、
“亥年”の御本尊
“摩利支尊天”を詣で、
ゆったりと
散策を愉しみました
【六波羅蜜寺】
京都市東山区五条通大和大路上ル東
http://www.rokuhara.or.jp/
【摩利支尊天堂】
京都市東山区大和大路通四条下る
四丁目小松町146