ポジティブ思考よっち社長 -10ページ目

ポジティブ思考よっち社長

地域笑顔創造企業を目指す50代社長です。ポジティブ思考が生きがいです。

はじめに
この物語を母、克子に贈りたい・・・
 
「僕の父親は建設会社の創業者で僕はその二代目であります」
この説明だけで僕の人間像を想像すれば、さぞかしボンボンなのだろうなぁ、と思われる方がほとんどだと思う。確かにその見方は間違ってはいない。しかしながらその内容は少しだけ複雑なのである。
 
『ドドドドッ。オイ!早くしろ!バカヤロウ何やってんだ!』
 
僕の小さな頃の記憶をたどる時、それはいつもダンプの音と父親の怒号とともに始まる…
 
僕の父が建設会社甲斐組を創業したのは1967年(s42)の川崎市でありました。まさに高度経済成長時代であり、建設産業は右肩上がりの時代であった。そして縁があり1969年(s44)同じ神奈川県の平塚市に拠点を移すことになる。その2年後に僕は今村善美・克子の第三子長男として生まれた。おふくろは、会社の事務を担当し、赤子の僕と4つ年の離れた長女、年子の次女を育てながら、立ち上げたばかりの会社を必死に切り盛りしていた。だから物心ついた頃の僕の記憶には、自宅で家族と過ごした時間よりも、「飯場」での生活のほうが色濃く残っている。
 
「飯場」という言葉を最近はあまり使わないかもしれない。僕が生まれた昭和の時代には、交通の便が悪い山奥の炭鉱や大規模な工事現場に、日本各地から「人夫」や「土方」と呼ばれる労働者が集まっていた。そして彼らが泊まり込みで作業をする場所を「飯場」と呼んでいた。
 
現在も工事現場には、プレハブの事務所が工事期間中だけ設置されているが、現場の近く併設される簡易宿泊施設は安全衛生管理上、ほとんどなくなり宿泊場所が必要な作業員には冷暖房完備のアパートを提供されており、昔と比べて労働環境が格段に良くなっている。
 
甲斐組の飯場は、事務所と併設で自宅の前にあり、約15人ほどの作業員がそこで共同生活をしていた。そこは、文字通り皆で飯を食う場所で、まかないのおばちゃんがいて、毎日現場の若い衆のご飯を作ってくれたのだ。僕が今でも忘れられないのは、ドバシのおばちゃんと呼んでいたまかないさんで、まだ僕は5歳ぐらいだったのだが、おばちゃんの作ってくれる塩のおむすびが大好きで、おばちゃんを見つけると「おむすび作って!」といつもせがんでいた。飯場は、幼い僕にとって遊び場であり、生活の場であり、その後の人生の原点となる学びの場でもあったのだ。
 
当時の甲斐組は建設会社とはいいがたく、まさに土建屋だった。仕事の環境もかなり悪く、いわゆる「汚い」「きつい」「危険」の3Kどころか、まともな社会人の働き場ではなかったと思う。当然ながら土建屋の社会的な地位も低く、見下されることもあった。飯場の裏に団地があるのだが、子どもが駄々をこねて、グズグズと泣いていると、その子の母親が「いつまでも泣いていると甲斐組に入れちゃうよ」と言うと、本当に泣いている子が黙ってしまう。そんな笑い話があるほど。まさに泣く子も黙る甲斐組だったのだ。
 
実際に、そこに集まる労働者は、他の世界では通用しないような荒くれ者も多く、酔っ払って大暴れするなどというトラブルは日常茶飯事。おふくろは、そんな環境で育った僕が、二代目として甲斐組の跡継ぎになることを望んでいなかった。「大きくなったらお前は、大学を卒業して立派な会社で働くんだよ」と、早くに父親を亡くし、貧しい家庭で育ったおふくろは、自分には叶えられなかった夢を息子の僕に託していたように思う。しかし飯場の子は、荒くれどもをまとめ上げる父親の圧倒的な力強さとその気風のよさに憧れ、いつしか父親と同じ道を歩み始めた。
 
甲斐組は今、昔とは比べ物にならないぐらい労働環境が良くなり、優秀な従業員が集う会社へと変貌を遂げた。そして僕は、社会的には、”会社社長”と呼ばれる立場になったが、気品漂う上流階級の人々が集う社交場よりも、額に汗をかき働いた、泥臭い男たちが集まり、大飯を喰らい、豪快に酒を飲む飯場が、いまだに気持ちが落ち着く僕の居場所である。
 
飯場は僕に人生で最も大切なことを教えてくれた。それは家族や仲間を大事にするということだ。それはいいかえれば愛なのだと思う。その愛は信頼という強い絆を作り出し、どんな困難な事にも、皆で立ち向かえる力を与えてくれる。自分を信じる事、家族や仲間を愛せない人は、どんなに優秀でも、会社や組織、地域、国家、世界を愛することはできない。
 
インターネットには、情報が溢れているが、いくら高度な検索を駆使しても、僕は生きる術、人生を学べるとは思わない。同じ釜の飯を食い、仲間と語り合い、本気で喧嘩をする、そんな人間の持つ五感をフルに使った体験なくして、人は成長しないと思っているからだ。そんな偽りの全能感に満ちた時代だからこそ、僕は自分が育った人間味溢れる飯場の物語を無性に書いてみたくなったのだ。「飯場の子」は、決して勉強ができるいわゆる出来のいい子ではなかったが、人間臭い飯場で育ち、多くの失敗を重ねながら成長してきた子なのだ。
 
さぁ皆さん、本日から「飯場の子」が始まります。単なる無名な男の滑稽な自叙伝です。笑ってください、呆れてください、そして何かを感じてください。昭和、平成、令和と時代は流れ、血と汗と涙で地球を掘り起こす男たちが、大声で笑い、泣き叫び、闘いながら、でっかい仕事を成し遂げていきます。お楽しみに。



2022GW

5月4日の朝は府中市の大国魂神社にお参りからスタート!
立川市に移動して初のビーチバレー試合観戦しました!甲斐組所属の酒井春海選手のチームもかはるの応援で初のタチヒビーチでの大会。やはり身内が出てる試合はチカラはいるわ!
試合観戦からの多摩市入りお昼はお寿司、重機女子のカオリさんに高幡不動尊を案内していただきお参りできて充実した一日になりました。一緒に行ってくれたノブキさんありがとうね🙏
全てに感謝ありがとうございます





















経営計画発表会

弊社も2022年度で51期を迎える。
昨年に引き続き、第二回の経営計画発表会を催しました。コロナ禍での発表会にもかかわらず社員はほぼ参加していただき、来賓の方もご臨席賜りました。開催にご協力を頂いた社員と関係者に心から感謝します。
経営計画書、それは甲斐組グループ社員の羅針盤であり、会社と社員が共に成長していくための大切なツールです。すぐに成果は出ないと思いますが、必ず5年後には様々な目標を達成する事が出来るでしょう。

新たなスポーツ支援として女子トライアスロンオリンピアンの『岸本新菜選手』のスポンサーにもなりました。応援します。

発表会を通じて社員と会社はパートナーである事を再認識できました。私もまだまだ道半ば。また新しい道が見えた気がする。挑戦と失敗と学びあるのみ。感謝ありがとうございます。

























2022の初チャレンジになる甲斐組グループ広報誌(Blue Colors)の取材でVIASのカオリさんと対談しました。メンバーのアイサさんも一緒に来てくれて嬉しい😆創刊は7月!お楽しみに