飯場の子 第7章 26話「愛と伝統のラグパンレース」 | ポジティブ思考よっち社長

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飯場の子 第7章 26話「愛と伝統のラグパンレース」
 


僕の高校時代はラグビーの記憶が9割で授業のことなどほとんど覚えてもいない。

前述したが、ラグビー部に入部したことがきっかけとなり、僕は「悪さ」から足を洗い、本格的に部活動に没頭していくのだが、ヤンチャの世界の上下関係とはまた別の厳しさが当時の日藤ラグビー部にはあった。

そこのヒエラルキーは、「1年生はしもべ、2年生は人間、3年生は神様」。監督の松久保は教祖という構造がきれいにも出来上がっているのだ。
 
ただ、入部したての1年生は、春の大会が終わる5月いっぱい頃までは「お客さん」扱い。日々の練習もそれほどキツくなく、先輩がバリバリやってる練習姿を見ながらパス練習や、時々1年生同士でラグビーの真似事のようなミニゲームをする程度だった。
 
そんな日々が過ぎた6月のある土砂降りの雨の日のこと、2年生からなぜか1年生だけ「今日は先に帰っていいぞ」と言われる日があった。
 
内心は「え?なんで?」なのだが、上級生 
はその理由を誰も教えてはくれない。
が、これはその後に「儀式」が始まることを意味する日なのであった。
 
それは「ラグパンレース」という、新2年生が僕たち新1年に仕事を引き継ぐ際に行われる、いわば「伝統儀式」なのである。
 
梅雨の時期、土砂降りの日を選んで毎年それは行われており、2年生から集めたラグビーパンツ、通称「ラグパン」を3年生がぬかるみのグラウンドに隠し、それを2年生が全裸同然の姿で泥んこになりながら奪い合うという、いかにも高校生が考えそうな儀式だった。


雨のグラウンド

 
さすがに全裸では問題もあるので海パンの下に穿くようなサポーターのみ着用を許されるのだが、遠目で見れば全裸同然の男どもがグラウンドに並んだ姿は奇行そのものである。
 
実はこの儀式は他の部活動の生徒にも有名なイベントになっており、グラウンドにほど近い校舎に多くの男女生徒が集まり大笑いしながら鑑賞会を楽しんでいるのだ。


当時のラグパン(キワドイ)

 
スタートラインに一列に並んだ男どもは必死の形相である、6月とはいえ雨のグラウンドは冷たくもあり、同じ仲間とはいえこの瞬間は敵なのだ、これから奪い合うラグパンに意識を集中させているその目は「狂気」に満ちている。
 
ルールはシンプルで、泥とともにグラウンドに隠されているラグパンを探しあて、サイズが合おうが合うまいが関係なく穿いて、スタートラインであるインゴールラインに「TRY」と叫んで飛び込めば合格である。ただ問題なのは数枚は足りないように隠してあるのだ。当然、近くにいる者同士は一人が見つけたラグパンを力ずくで奪い合うことにもなる。それはまさに阿鼻叫喚大爆笑の絵図にもなる。
 
いよいよ時は満ちて3年生の「イケー」との怒号一発。

「うおぉー」と唸り声をあげ屈強な男どもはグラウンドに踊り出るのであった。
 
グラウンドに隠され地面と同化したラグパンは簡単には見つからない、必死で地面を探すものを尻目に、足の速い男は遠く反対側のHポールにかかっているラグパンを目指して全力で駆けていく。
 
グラウンド上で叫びあい、ラグパンを奪い合い、インゴール目指して走っていく仲間を横目にウロウロと探し回るもの、早くもインゴールにトライして合格した者にはバスタオルが渡され腰に巻いて、仲間の姿を3年生の先輩と大爆笑で見ているのだ。
 
闘いの時間はそれほど長くはない、そして残り6名になったときに、先輩が新しいラグパンを1枚持ってにやにやしながらグラウンドの真ん中に出てくるのだ。それに一気に群がる6人の男ども、最後の1枚を先輩は空に向け放り投げる。

奪い合いは熾烈きわまるのだが、引きちぎるようにラグパンを手にした男は、穿く余裕もなく必死にラグパンを胸に抱いてそのままもんどりうってトライ。そしてノーサイドとなる。
 
悔しくもラグパンを取り損ねた5名に待っているのはもちろん罰ゲームなのである。
その罰ゲームはグラウンドの真横を走る小田急線の電車に向かって横一列に並び、泥だらけの姿で万歳三唱をするのだ。いやはや当時の高校生が考えそうな罰ゲームである。
 
その姿を校舎から見ている生徒もグラウンドにいる3年生も大笑いで大拍手なのだ。
2年生も真っ黒同士でみんなで大笑い。
 
なんとまあ、そんなバカげた儀式をやりとげ、2年生は「しもべ」から「人」になることを認められるのだ。


練習風景(日藤グラウンド)

 
そんな儀式が行われたことをつゆとも知らなく早上がりした1年生。翌日から、2年生の先輩達の顔つきがガラッと変わるのを感じた。
 
部活が終わる直前に2年生より「1年は部室に集合するように」と声がかかる。僕はああ始まったんだな。と感じ取った。3年生が早々に帰った後に2年生が全員残り、1年生は全員が部室に正座させられる。おどおどしている仲間は顔色も蒼くなっていた。
 
ラグパンレースで「人」に格上げした2年生が静かにドスの利いた声で言う「おまえらな、今日からが本当の日藤ラグビー部の部員になるんだ」と、そしてすべての掟を授けられるのだった。1年生はその日を境に、晴れて「お客さん」から「しもべ」になるのである。

(これはふざけている画像です)

 
翌日から、早速ラグビー部の「しもべ」としてのしきたりを守り、それまで2年生がやっていた掃除や買い物など、すべての役割をこなす日々が始まるのだ。
 
朝の生活も一気に変わる。1年生は教室よりも部室に必ず全員が登校。朝7時半くらいから上級生の上履きみがき、グラウンド整理から、ボール磨き、部室の掃除をするのだ。
 
1年生の仕事は朝だけではない。放課後の練習が終わったあとも、部室での待機はもちろん、3年生の靴を磨いておき先輩が脱いだ練習着を全部きれいにたたんで置いておくなどのこともする。練習が終わるのは6時くらいだが、仕事が終わり部室を出るのはだいたい夜8時くらい。これを毎日繰り返す。ここでついていけない数名は部を去っていくのだ。
 
その一方、練習のほうも過酷になっていく。夏を迎えるころには1年の仕事と練習でついて行くのがやっと。それでも同期との友情も生まれて楽しみもあり、がむしゃらにやっていた。

菅平合宿(2年時)

 
夏の菅平合宿や校内合宿も経験して、徐々に部員としての自信が出てくるようになる。ちなみに、この夏合宿を終えないと、手に入れられないものがあった。それが「部章(バッジ)」だった。過酷な練習に耐え、このバッジを胸に付けた時の誇らしさは、筆舌に尽くしがたいものがあった。


伝統の部章


そんな中始まった秋の県大会。花園の予選にあたる同大会を、3年生中心のレギュラーは見事に勝ち進んでいく。僕ら1年生は観客席からその雄姿を見守っていたが、部員のひとりとしてその場にいられることが非常に誇らしかった。
 
準決勝で強豪校「慶應義塾」に12対7で打ち勝ち、決勝進出が決まった。
相手は全国トップクラスの相模台工業。前半は0対0で折り返す。後半の残り10分で2トライを奪われ、0対11で惜敗、結果準優勝。

神奈川予選決勝(部誌より)


僕たちはその姿を見た時に、自分たちが相模台を倒して、必ず花園に行くんだという気持ちを強くするのだった。
 
この試合で引退する3年生たちからもらう「お前らが必ず全国に行けよ」、という言葉。先輩たちの仇は俺たちが獲ると、心に誓い、僕はこうしてラグビーにのめり込んでいくのである。

※この文章は30年以上前の話しであり、この数年後にはこのような慣習は無くなりました。