飯場の子 5章 17話 「神棚の存在」
僕の家には、記憶があるころからずっと身近に存在しているものがある。
それは「神棚だ」。
別段その存在の意味をしかと教えられたわけでもないのだが、子どものころからなぜか僕はその神棚が家族や会社にとってすごく大事なものだと思っていた。そして、格好良いもの、神聖なものだとも感じていた。
モノづくり系の会社や家には、このように「神棚」が飾られているところが多いと思う。が、その中でもうちの会社と自宅の神棚はまあまあ立派な方だと思う。
現代の時流にはそぐわないかもしれないが、とりわけ父はこの神棚の扱いにおいて、昔からの習わしに従順だった。
毎日、神棚のお水を替えてから「二礼、二拍手、一礼」で祈りをささげる。毎月一日と十五日には榊と塩を取り換えるのであった。「相撲の土俵に女性が入ってはいけない」などのしきたりみたいなものなのか、こうした神棚へのお役目は、原則男性しか触れることはできないと躾られた。僕の家には父以外、男性は僕しかいないので、自宅の神棚のこうした儀礼は小学生くらいから僕の仕事になっていた。
古い風習ではあるが、僕の会社ではこの儀礼を今でも守り続けており、日々、毎月の儀礼はもとより年末の12月28日には、会社幹部が10人くらい早朝より集まってすべての神棚にお正月を迎えるお飾りをするのだ。
お正月を迎えるお飾りは、神棚の掃除と、しめ縄の交換から始まり、神棚の受け台の両柱に松の木(門松)を結び付け、スルメイカを3枚重ねて紅白の水引で締め、お迎えの準備完了となる。いかにもお正月を迎える儀礼であり、これがまたいちだんと神棚を立派にさせる。
そして、締めとして「金のだるま」に目を入れ、新しいものに交換する。これが6か所もあるから大変なのだが、幹部たちは手分けして手際よく準備を整えて、昼頃には本社に集合する。
その年の結びに、幹部がそろい一つの神棚の前に並ぶ、僕が代表して一年の感謝と新しき年の隆盛を誓い、全員で手を合わせるのだ。それが、その年のすべての会社仕事の納めになる。
ブルーカラー、特に土木関連の仕事をしている人に「信仰心」の深い人が多いのには、恐らく理由がある。その一例として、父や叔父から聞いた話ではあるが僕の中に強烈に残っている出来事を紹介したい。
それは僕が小学生くらいの時だった。甲斐組は、県内で東名高速道路の某インターチェンジにつながるバイパス道路をつくる仕事の下請けをしていた。
そのバイパス道路の工事は丘のような小山になっている場所を掘削して切り崩し、道路にするという仕事だった。工事を始める前に地鎮祭のようなことを行政の役人と工事関係者で行い、いよいよ工事着手となった。そして、その小山を掘削していくと、しばらくして、土の中から大量の丸い石が積み重なるような状態で出てきたのだそうだ。
どう見ても人工的に形づくられた石。作業を監督していた叔父の常務が何かおかしいぞと思い、その場所の作業を中断して、元請けの監督に相談したのだ、元請けの監督さんは「うーん、何だろう。」と首をかしげていたが、とりあえず他の場所を作業するよう指示して現場は再開した。のだが、その日を境に現場に様々な不可思議な現象が起き始めた。
最初の異変は、工事では必ず施工管理の写真を記録として撮影するのだが、今の時代と違いフィルムカメラによる撮影だった。そして現像できた写真を見て現場関係者は驚愕した。すべての写真がまともに映っていない「火柱のようなものや、黒いわけの分からないもの、人の顔のようなもの」が映り込んでしまう。
また現場に建てた仮設のプレハブ事務所がガタガタと揺れたり、電気が着いたり消えたりするような事が起こり始め、挙句には現場作業員や、関係者、行政の関係者にまで原因不明の熱や発疹が出るようになってしまった。これらの奇怪な出来事が数日の間で起こり、ついに工事は続行不能となった。元請けも行政もどうしたものかと頭を抱えてしまった。
叔父の常務はすぐにこの出来事を父に相談した。信仰心の強い父は、毎度何かあると相談している山梨県にある檀家寺「妙学寺」の古屋お上人へ電話をかけた。そう、僕の名前を付けてもらった、ご住職様だ。一連の話を聞いたお上人さんは、父にとりあえず写真を何枚か持ってきてくれと伝え、父はすっ飛んで山梨まで出向き、お上人さんに現場の写真を見せた。するとお上人さんは開口一番、こう言い放ったそうだ。
「うーん。これは困ったな…」
本物の法力を持つお上人さんであるが、事の理由や重大さを詳しくは説明しなかったらしい、ただ早急に手を打たなければならないとの事で、3日後に現地で加持祈祷をするからと父に伝えた。そして約束の日、父らは現場で関係者を集め、お上人さんをお迎えした。お上人さんはこの出来事を鎮めるために、身延山から5人の僧侶を伴い現れたそうな、そしてものすごい加持祈祷をしていただいたという。
その時を境に、不可思議な現象はすべて鎮まり、無事、工事は再開されることになった。
お上人さんの御加持の後に、その石は丁寧に掘り起こされて別の場所に運ばれた。今思えば、それは「塚」だったのかもしれない。地中に静かに眠っていたモノを、何のご挨拶もなく勝手に掘り起こしてしまったため、閉じ込められていた何かが、一気に漏れ出したのではないだろうか。
この話は、当時子どもだった僕にとってはかなり怖い話だったのだが、「ああ、そういうコトはあるのだろう」と不思議と理解できたのだ。
我々土木業は、仕事上どうしても「土」を動かすことになる。つまり、「自然の形を変える」ということだ。解体工事などでは大きい木を切らないといけないこともある。先述したような幼い頃の経験からも、工事をやる時は塩や酒で現場を必ず清め、現場に「これから始めさせていただきます」「ここまで守ってくれてありがとうございました。」と挨拶を欠かさない。どの業界でもそうかもしれないが、特に土木関連の仕事は、無念の思いをした人がいたかもしれない地を掘ることになる。
日本は災害国家で、これまでものすごい数の人間が自然災害の犠牲になっている。ここまで台風や地震、火山の噴火など、多くの自然の驚異に晒されている国民も珍しい。そのため、自然に宿る神への信仰は必然的に高まり神話化され、五穀豊穣を感謝する思いも深くなるのかもしれない。
こうして例に違わず神様への祈りを大事にする僕は、折を見ては各地の神社に参詣し、そして月に一度は相模国一之宮である寒川神社に参拝に赴いている。
今も毎月参拝している。寒川神社