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□2010年08月22日号□

週末東京では、猛威をふるっていた猛暑もやっと一段落。
これですぐさま秋になるのだろうか?
もう一度くらいまた、暑くなるのではないかと疑心暗鬼になる。
こないだ読んだ記事によると、近い将来、日本は四季ではなく二季になるかもしれないという。
春秋がなくなって夏冬だけになる可能性があるらしい。
ロス・アンジェルスは長袖が必要なくらい冷夏らしい。
世界中で異常気象。発展途上国が次々に工業国として発展を遂げようとしている今、キャッチコピーだけのエコなんて言ってる片方で、消費社会をどうしても止められない人類を、はたして地球は待ってくれるのだろうか?

猛暑のせいなのか、忙しかった先週が終わったとたん、心も体もふにゃふにゃになってしまった。
それでも食欲はあいかわらず落ちない(笑)。 両親、ご先祖さまにはほんとうに感謝である。

ぼーっとしながら、なにげなくテレビを見てたら、農家を取材していたアナウンサーが

「炎天下の下(した)、大変ですね。」

と言っていたのが気になった。それもいうなら「炎天下の下(もと)」だろうと思って調べてみたら、あにはからんや、正しくは「炎天下」だけらしい。
「炎天下の下(もと)」も、「馬から落ちて落馬した」的な重複があり、まちがいだそうだ。
耳から入って来たものをちゃんとチェックしてないと、知らず知らずのうちにけっこう覚え違いをしているものだ。
たとえば、「おさわがせしました」を「おさがわせしました」、「手持ちぶさた」を「手持ちぶたさ」、とか。
知らず知らずに言ってそうだ。
確かに間違いはよくないかも知れないが、その間違いが生み出した結果が、まったく予想もつかない別のイメージを生み出し、それがときにおもしろいこともある。
僕は「手持ちぶたさ」と聞くと、自然に、豚の蚊取り線香を片手にぶらさげているイメージがしてしまって笑えてくる。

これはトータス松本くんに聞いた、サーフィンに出かけ立ち寄った湘南の食堂(だったと思う)のおばちゃんの言葉。
「海はいいよね。マイナス思考がでてるから...。」 それもいうなら、マイナス・イオンだろうって。
ちょっとした間違いが、まったく正反対に近い、不可思議な世界を生み出してしまうところがおもしろい。
作ったみたいに見事だが、実話なところがすごい。
いやひょっとしたら考えて作れるような代物ではないかも知れない。

続いてこれは80年代に杉真理君から聞いた話し。
Epoさんは、「悦にいる」は「越に入る」 、つまり新潟に行くことだとずっと思っていたそうだ。
つまり音で聞いたときに、「エツ」を、越後の「越」だと思い込んでしまったのだ。これはすごい。
「武田信玄、夜を徹した行軍ののち、ついに越に入る」なんて、昔のいいまわしにありそうじゃない。(笑)
ここまでくると、クリエイティヴィティさえ感じる。

同じく80年代に杉君から聞いた、楠瀬誠志郎君のある日の言葉。
「昨日乗った新幹線の中に煙草の煙が満喫してたよ。」 
普通は「煙草の煙が充満する」なのだが、彼は「喫」の字から喫煙を連想して、それが「満」、つまり満たされていると、「満喫」の意味を解釈したのだろう。すごい想像力ではないか。
最近の新幹線はほとんどの車両が禁煙になったので、煙が満喫することはなくなってきて、いまとなっては懐かしい感じがする勘違いだが、Epoさんに勝るとも劣らない、クリエイティヴィティを感じる傑作だとおもう。
こういう勘違いには、まわりを和ませてくれる人間的かわいさがあって、思わず頬がゆるんでくる。

暑さのせいでとろけた頭で、ニュースを聞いていたら、「Uターンラッシュ」が「牛タンラッシュ」に聞こえた。
なんかいっしょに焼肉を食べに行った友達が、牛タン好きで、牛タンばかり頼むものだから、どんどん牛タンが追加で運ばれて来て、焼いても焼いても、テーブルの上が牛タンの皿で埋め尽くされる。
そんな牛タンだらけのイメージが浮かんでしまった。
牛タンは嫌いではないが、「牛タンラッシュ」には耐えられないかも。

前回の「週刊銀次」で紹介したように、音楽プロデューサーの坂口修君が、JVCケンウッドのトークイヴェント、そして「銀座で銀次」に足を運んでくれた。
アゲインでの「泰平洋行ナイト」で偶然再会を果たしたのだが、この再会は僕にとってかなり驚きの出来事だったのである。

1980年代、FM大阪で「伊藤銀次のコークサウンド・シャッフル」という音楽番組をやらせていただいていた。
構成が上柴とおるさん、おしゃべりの相方が丸子由美さんで、日曜日の朝に放送されていた。
確かひと月に一度の収録で、まだ中之島の朝日新聞大阪本社ビル内にあったFM大阪まで、新幹線で出かけて録音していた。
その収録のとき、一人の青年がいつもスタジオに訪ねてきた。
なにやらバイトで別の番組のアシスタントをしているらしいのだが、合間に現れて天真爛漫に話しかけてくる。
年齢の割にやたらポップスに詳しい青年だと思っていた。
それから歳月が過ぎ、こないだの「泰平洋行ナイト」、客席になんとその青年がいるではないか。
クエスチョン・マークが頭の上に点灯するがままに、ひさしぶりに会話を交わしてみると、
音楽プロデュースの仕事をしていて、オダギリジョーの時効警察の音楽は彼の作品だと言う。
「転々」「インスタント沼」などの三木聡監督作品などの音楽を担当しているという。驚いた。
単に僕が不勉強なだけで、周知の人たちからは顰蹙を買いそうだが、うれしいことに、あの青年がいまやプロの音楽家として活躍していたのだ。

ところが驚きはそこで終わらない。自分のとろさに辟易としてくるが、ここまで書いている最中に、ある記憶が、
遥か深海に沈んだタイタニック号からわき上がってきた泡のように、ゆっくりと僕の意識の水面に浮き上がって来たではないか。
待てよ。彼にはアゲインの前に一度会っているぞ。そうだ。なんてこったい。

10年ほど前のことだ。大瀧詠一師匠から、上岡龍太郎さんのトーク・ライブに、いっしょに行かないかというお誘いがあった。
上岡さんがまもなく引退なさるという頃で、トークライブとしては最後になりそうだからだ。
大瀧さんは上岡さんと交遊があったようで、漫画トリオを教えてくれた僕を紹介したいということだった。
新宿のスペースゼロだったか場所は忘れたが、トークショー終了後、楽屋に伺い、大瀧さんから直々に上岡さんに僕のことを紹介していただいた。「ほーっ、銀次さんねぇ。
そういえば山口銀次っちゅうハワイアンのミュジシャンがおったね。」とおっしゃっていたのを思い出す。
上岡さんが、同じ楽屋にいらっしゃってた、大竹まことさんを紹介されたときだ。
「おひさしぶりです。」といって名刺を差し出し、シティーボーイズ関係の仕事をしていますと名乗った彼。
あれはまさしく坂口君だった。いま思い出した。なんと自分の記憶のいいかげんなこと。
坂口君に電話を入れて失礼をわびておいた。
それにしてもいったいどういう経緯で、現在の坂口君があるのだろう?そしてなぜいま再会したのだろう?
ここにも何らかのいくつかの偶然のチカラが働いているのかもしれない。

いつまで待っていても、未来永劫CD化されそうもない、何枚かのアナログ盤を、土橋一夫さんにお渡しして、CDRに焼いておいてくれませんかいう、面倒くさいお願いをしていた。
忙しい方だから、いつになってもいいやと気を長くして待っていたら、8月7日(土)のPied Piper Daysのイベントのときに持って来てくださった。
これも実にうれしい出来事だった。土橋さんどうもありがとう。
アーカイヴ 化してもらったのは、僕の1984年のアルバム「BEAT CITY」に参加してくれた、マーク・ゴールデンバーグが所属していたザ・クリトーンズの、2枚っきりしかないアルバム2枚。
それとビートルズのカバー楽曲で編まれたサントラ盤「All This And World War II」などなど。
このサントラでは、ロイ・ウッドのLovely Ritaや、ジェフ・リンのWith A Little Help From My Friends ~ Nowhere Man、
ピーター・ガブリエルのStrawberry Fields など、レアなカバーが聞ける。
キース・ムーンがWhen I'm 64を歌っているが、結局彼は64歳をむかえることができなかったわけだから、皮肉な選曲になったものだ。
一度CD化されたみたいだが現在入手は困難。なんとアマゾンで20000円ぐらいの高値 がついている。

そのアナログ盤たちの中で、ラリー・コリエルがゲイリー・バートン・カルテットに参加する前、ビートルズっぽい曲を演っていたバンド、The Free Spirits、1967年リリースの唯一のアルバム、Out Of Sight And Soundを、個人的にアーカイヴ化してもらったので、いつでも聞けるようになったのが、特にうれしい。
全然売れなくて、ほとんど話題にならなかったようだが、どの曲もジャズ・ロック風味のビートルズで、なかなか面白い。
このアルバムは、僕が初めて買った輸入盤の中の一枚で、特に思い出深いが、そのエピソードについては次回としよう。
興味のある人はYouTubeに上がっているので、以下を検索してみて。

Cosmic Daddy Dancer - The Free Spirits
Sunday Telephone - The Free Spirits
I'm Gonna Be Free - The Free Spirits 

uncle-jamもなんとなく今週はお盆休み。
うれしいことに、8月9日の初ライブ以降、出演依頼がぼちぼちと来ているらしい。
さあ来週早々、また黒沢君と新曲作りを再開だ。
そして秋のI Stand Aloneツアーも近づいてきた。
練習、練習。


伊藤銀次
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□2010年08月15日号□

今週はなにかとイベントの多い週になった。さて、どこからお話ししたものか。
まず先週一日早い更新で書けなかった、8月7日(土)「Pied Piper Days - ようこそ夢街カフェの指定席へ」というトーク・イベントに、
ゲストで呼んでいただいたお話しからかな。
40回記念ということで、今回は牧村憲一さんと僕のダブル・ゲスト。
牧村さんとはひさしぶり、たっぷりとお話しが聞け、お話しができて、あっというまの3時間だった。
JVCケンウッドのショールームは立ち見もでるほどで、忙しい中、足を運んでいただき、みなさんありがとうございました。

牧村さんは、70年代からずっと、日本のポップ・シーンをリードしてきた人物。
山下達郎、大貫妙子、竹内まりあ、ピチカート・ファイヴ、フリッパーズ・ギター、そして今いっしょにuncle-jamをやっている黒沢秀樹君のL⇔Rなどを世に送り出した大プロデューサーだ。
初めて牧村さんとお会いしたのは、CM制作会社ONアソシエイツに所属なさっていた頃。
僕がココナツ・バンクの流れで、大瀧詠一さんのCMでギターを弾かせてもらっていた頃だ。
翌日のワールド・ハピネスのためにスタミナを温存しなきゃね、なんておっしゃっていたが、言葉とは裏腹に、興味深い内容のお話しを、エネルギッシュにたっぷりと語ってくださった。
僕のいた「ごまのはえ」も、当時ベルウッドのスタッフとしてご存知だったとか、はっぴいえんどのマネージャー石浦信三さんから、はっぴいえんどでCMをやりたいという相談が牧村さんにあったことがきっかけで、大瀧さんが三ツ矢サイダーのCMをやることになったとか、僕にとっては初耳の情報ばかりで、ゲストで参加しているにもかかわらず、たびたび客席にいるような気になってしまった。

牧村さんとは一度お仕事をさせていただいた。1978年頃だったと思う。
当時日本でもスケボーがブームになり始め、このブームにあやかって、牧村さんと、RVCレコードの新人ディレクターだった宮田茂樹さんと、僕がいっしょに制作したのが「サーフ・ローラー・ストリート」という企画ものシングル。
アレンジが僕で、ミュージシャンは、村松邦男(GTR)、坂本龍一(Keyboard)、小堀正(Bass)、松本照夫(Drs)。
ヴォーカルには、名前は忘れてしまったが、山下君ぽいファルセットが得意というハイトーン・ヴォーカリスト。
カップリングにはThe HappeningsのSee you In Septemberを、フランキー・ヴァリのElise風にアレンジしたもの。
残念ながら企画がボツとなった。DATでラフ・ミックスを持っているが、聞き直すと懐かしくもあり恥ずかしくもあり。

この日はONアソシエイツの大森昭男さんも足を運んでくださった。。またアゲインでの「泰平洋行ナイト」で再会を果たした、バカラック評論家としてもおなじみの音楽プロデューサー、坂口修君もきてくれた。
坂口君と僕は25年くらい前に知りあっていたのだが、この話しは長くなりそうなので次回に。


そして8月9日は、渋谷SONGLINESでいよいよuncle-jamのライブ・デビュー。
青山陽一君、若林マリ子さんとのジョイント・ライブ。アコギ1本でもやはり日本人ばなれの雰囲気の青山君。
オリジナルに混じって、Little FeatのFool Yourselfのカバーがよかったね。
若林さんは、パーカッションとベースを加えた編成で、異国情緒のあるメロディーと日常的な詞の組み合わせに個性があってよかった。
そんな彼らを差し置いて、ユニットとしては新人なのに、なんとuncle-jamがトリをとることになった。
決して大きくはないが感じのいいライブハウスに、うれしいことに月曜日にも関わらず、立ち見が出るほどお客さんがきてくださった。どうもありがとうね。
来れなかった人たちのために、セットリストを載せておこう。

1) ('Til) I Kissed You
2) Crying All Night Long
3) Baby It's You
4) I Will
5) Message To Maria
6) うきうきMusic

黒沢君との往復書簡ブログを愛読してくれている人たちも来てくれて、マニアックなカバーにも会場が沸くのがうれしかったね。
最初は二人とも緊張気味だったけれど、次第にのってきた。やっぱり、いくら練習を重ねても、一回のライブにかなうものはない。
二人の呼吸を合わせること、これがuncle-jamの生命線だと実感した。

セットリストの1)と5)は、
僕たちが、そしてロックパイルのデイヴ・エドモンズとニック・ロウもリスペクトしている、エヴァリー・ブラザースのカバー。
エヴァリーズが、レノン&マッカートニーやサイモン&ガーファンクルなどにあたえた影響は大きい。
uncle-jamのコーラスも、エヴァリーズという原点から始めることにしたのだ。
3)のオリジナルはガール・グループのシュレルス。僕らのヴァージョンはビートルズとロックパイルの真ん中あたりの感じだ。
作曲はもちろんバート・バカラック。C - Am のコード進行で、僕のパートはいきなりCの6th、Aから始まるSha la la コーラス。なんともバカラックらしい。
2)は僕が竹内まりやさんに書いた曲。英語詞はまりやさん。アルバム「PORTRAIT」に収録。
ピーター&ゴードンみたいな曲を書いてという依頼で作ったら、まりやさんのアイデアで、恐れ多くもデュエットさせていただくことになった。
黒沢君に聞かせたらとても気に入ってくれ、uncle-jamでやりましょうということになった。

そして、4)と6)は僕らのオリジナル曲。僕らの中では自信作だが、はたして反応はどうだったのだろうか?
ちなみに、ライブでも話したが、「うきうきMusic」は、「Down Town」「ウキウキWatching」と並ぶ、「うきうき三部作」の最後を飾る作品にしたいという、黒沢君のアイデアから生まれた曲。演っててとても楽しい曲だ。

暖かいアンコールが来て、最後は青山君もボトルネック・ギターと歌で参加して「こぬか雨」。
サビの三人のハーモニーは、歌っていてもなかなか気持ちがいいものだった。
オーディエンスのみなさんが盛り上げてくれて、すばらしいuncle-jamの船出になった。
その日はすっかり舞い上がっていたのか、カポタストとシールドをお店に忘れて来てしまった。
菅直人氏が「イラ菅」なら、僕はいつもどこか「銀ドジ」なのだ。

その時、MCの流れでリトル・フィートのドラマー、リッチー・ヘイワードと10年ほど前に、L.A.で食事をするチャンスを得た時の失敗談を話した。大ファンだったフィートのドラマーを前にして、思わず頭の中にうかんだ「僕はリトル・フィートのファンでした。」をそのまま英語に訳して過去形で話したものだから、彼は鋭い目でギロリとにらみ、「まだリトル・フィートはバリバリに現役でやってるんだけどな。」と言われたことだ。
うーん、過去形には気をつけよう。なぜかそんな話しをした3日後の12日に亡くなった。
長く闘病生活にあったことを知らなかったのでショックだ。虫がしらせたのか、たんなる偶然か。
わが青春のヒーローの冥福を祈りたい。

黒沢君のブログ「tomorrow today」
 8月11日の「やっぱりLOVEかと」でも、僕らのライブにふれている。読んでたらやばい、グッときてしまった。(笑)
心が洗われる。黒沢君の文章は、ほんとに人を幸せな気持ちにさせてくれるね。

そして8月14日は、アップルストア銀座での僕のライヴ。
題して「銀座で銀次 - サマーにならない夏はごめんさ」。(笑)
モーメントのストリングスといっしょにライブを演るのはひさしぶり。
いつも弦アレンジをしてくれる男性の小弥君が、今回は参加できないので、弦4人すべてが女性。
急遽参加を決めてくれた女性パーカッショニストの結っちゃんこと高橋結子も加わり、うーん、こりゃーハーレム状態だ。
今夏唯一のライブなので、1時間ほどだけどいろいろ盛り込んだ。セットリストは次の通り。

01) Cherry Night (with 結ちゃん)
02) Monday Monday (with 結ちゃん)
03) Beat City (with 結ちゃん)
04) 風のプール (銀次のみ)
05) 雨のステラ (銀次のみ)
06) いちご色の窓  (with moment string quartet)
07) As Tears Go By  (with moment string quartet)
08) Summer Holiday  (with moment string quartet + 結ちゃん)
09) Baby Blue  (with moment string quartet + 結ちゃん)
10) スターダスト・トレイン  (with moment string quartet + 結ちゃん)
11) 幸せにさよなら  (with moment string quartet + 結ちゃん)

Monday Mondayはこれでライブ2回目。dadgadチューニングにもようやく慣れて来た。
As Tears Go Byはストーンズの、Summer Holidayはクリフ・リチャードのカバーだ。どちらもライブでは初めて。
この日だけのスペシャル・メニューだ。今回、結ちゃんとサシで演るのは初めて。
結ちゃんはどう思っているかわからないが(笑)、タイム感が合っててやり易いいい緊張感が心と体を活性させてくれる。
次回は、9月横浜サムズアップでまたいっしょにプレイする。
そのときには、さらにコンビネーションに磨きをかけたい。
最近トーク・ショーづいているので、どうもMCが長くなってしまったようだ。
後半あせってMCをしないでマイたが、10分も押してしまった。
だけどそんな盛りだくさん、ちゃんと伝わって楽しんでいただけただろうか?
「銀座で銀次」に来てくれたみなさん、どうもありがとう。
今回の「週刊銀次」、これで3回目のありがとうなのだ。


伊藤銀次
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□2010年08月08日号□

シュガーベイブのDOWN TOWNのモデルとして、僕が頭に描いた街は、70年代中頃の渋谷だった。
その渋谷のランドマークのひとつ、ヤマハ渋谷店が12月26日に閉店するという。
HMVの閉店に続き、恐ろしい勢いで渋谷、いや世の中が変化している。
もはや渋谷も僕の好きな街ではなくなってきているのかも。
70年代にはレコード部があり、洋楽の輸入盤を売る数少ないお店のひとつだった。
「ごまのはえ」では店頭演奏もしたこともある。思い出多いヤマハ渋谷店。
僕のような音楽人間にとって、渋谷はミュージック・タウンだったのだ。
最後の砦、タワー・レコードはがんばって残ってほしいものだ。
 

一日の最高気温が摂氏30度以上の日を真夏日と呼ぶそうだが、今年はそれも死語になりそうな勢いの暑さだ。
それにとって替わって登場したのが猛暑日。最高気温がなんと摂氏35度以上の日のことをいうらしい。
8月6日、ついに全国179地点で猛暑日を記録したそうだ。いったいどうなってしまうのか。

僕が1970年代に「日射病」という曲を作ったときには、まだ「猛暑日」や「熱射病」なんていう、おそろしい言葉はなかった。

     そんな日照り  めらめら阿修羅      

     そんな日照り  めらめら阿修羅

     脳味噌までとろけた  そんな日照り

     脊髄までしびれた  そんな日照り

「ごまのはえ」時代に作ったカントリー・ロック。
オムニバス・ライブ盤、「ショーボート・ライブ~素晴らしき船出」にココナツ・バンクの演奏で、ナイアガラ・トライアングル vol.1にも収録されている。
日本語のロック黎明期、音の響きのおもしろい言葉探し、洋楽的な曲に、不条理な新しい景色を持ち込む、言葉遊びに熱中していた。
洋楽的な曲調と、およそ似合わない言葉をいつも探していて、見つかると、その一点からイメージを広げ、曲調や全体の詩の世界まで、面として延ばして行く作業だった。

「日射病」は、チャッド&ジェレミーのアルバム、「The Ark」(邦題ノアの方舟)の2曲目の邦題から、ヒントを得た。
原題はSunstroke。ちょっとインド音楽風なイントロで始まる曲調からは、まったく影響を受けていない。
ただなんとなく邦題をながめていたら、いろんな景色が見えてきたのだ。
10月に決まった「話し出したら止まらナイト」第3回で、フォークロック特集をやるので、レコードなど調べていたら、チャッド&ジェレミーの、このアナログ盤をひさびさに手にして、そのことを思い出した。
当時の僕には「日射病」という言葉が、「蜃気楼」や「摩天楼」のように、とても「かっこいい」日本語に映ったのである。

曲中に登場する、「赤城山の今宵限りブラスバンド」が、ブラスバンドの名前のことだと、最近気づいたファンのかたがいるようだ。
もちろんサージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・ブラス・バンドから来ている。
正式表記(?)は「赤城山今宵限吹奏楽団」。といっても実在するわけではないが。

    赤城の山も今宵限り  生まれ故郷の国定村や  縄張りを捨て   国を捨て
    可愛い子分のてめえたちとも   別れ別れになる  首途(かどで)だ。

僕の親爺が大好きだった、新国劇の辰巳柳太郎演じるところの、国定忠次の名ゼリフ。
つきあわされて何度もテレビで見たので、雲の上団五郎一座の「切られ与三郎」と同じぐらいよく覚えている。
松本隆さんがはっぴいえんど時代、ある雑誌で、「風街ろまん」あたりのことを、「映画館で片岡千恵蔵の映画を見ながら、コカコーラを飲んでるような感じ」と語っていたことに、妙に共感したことがある。
国定忠次とビートルズの出会いが、カントリーロック上にあるなんて、自分でいうのもなんだが、おもしろい曲を作ったものだ。

ココナツ・バンクの再結成のとき、ギターの久保田光太郎君が聞いて来たときの二人の会話。

「この詩のめらめら阿修羅の阿修羅ってあの阿修羅ですよね?」
「そうだよ。あの阿修羅だよ。」
「そうですか。あの阿修羅ねえ。すごいですね。なんか。」 (笑)

映画の夏のシーンにはたいがい、めらめらと陽炎が立っている。それと阿修羅がなぜかダブった。
暑さが表現できていることもそうだが、それよりも、僕にとっては、「may- la - may rush-ler 」という響きが、当時なにより新鮮で大切だったのである。
よくも悪くも、「脳味噌までとろけた 脊髄までしびれた」より、インパクトのある歌詞は、あれから書けていない。
数少ない、僕の潜在意識だけで作った曲だからね。
なんとこの曲、サエキけんぞう君をして、「大瀧詠一激似シンガー」と言わしめた、いちかたいとしまさ君 がカバーしているので、ぜひ聞いてみてほしい。

最近のテレビに、むずかしい漢字の読み書きを、タレントが競う番組がある。
読みにしても書きにしても、ほとんど日常生活で使うことなんかないものが読めなくても、別に不自由はしないが、改めて「菟葵」は何と読む?なんて出題されると、気になってしょうがない。
これは「イソギンチャク」と読むらしいが、覚えたからといって、明日から何かの役に立つわけでもないのに、問題が出されると、それを解きたくなってしまうモードが、どうも自分の中にあるようだ。
クロスワードや数独が、まだ手つかずの状態でおいてあると、ついつい解きたくなってしまう。
おおむね日本人は、自分は試験なんてまっぴらだと思っていても、実は長年の刷り込みが入っていて、テスト好きだったりするのかも知れない。

いままで何度も覚えようとしたが、「憂鬱」という字は、あいかわらずぱっと書けない。
特に「鬱」の字には、じっと見るものを、草ぼうぼうの獣道の奥深く、なんだか魑魅魍魎とした古寺に誘うよう。
そこに行った者で帰ってきた者はないという。
(笑)たとえ帰って来たものがいても、それまでの記憶をすっかり失っていることが多いという。(笑)
 漢字全体に、なにか怪しい気配のスモークが焚かれていて、何人も決してふれてはならない、僕には、サンクチュアリな漢字なのだ。

1988年、ロンドンのリヴィングストン・スタジオで、ビートルズのカバー、Lucy in The Sky With Diamondsの歌入れをしていたときのことだ。
歌のチェック・シート用に僕が歌詞を書いていたら、「カレイドスコープ」の綴りがはっきりしなかった。
そこでエンジニアのトニー・ハリスと、アシスタントのジョン・マリソンに聞いたところ、二人ともこうだったけ、いやちがうだろ、こうだよという具合に、イギリス人のくせに、(と、そのときはマジに思った。)判らないらしいのだ。
結局、トニーが友達に電話して、やっと「kaleidoscope」だと判明した。
なるほど、これは彼らにとって「憂鬱」みたいなものなんだな。scopeのあたりが「憂」で、これは判りそうだが、kaleidoのあたりに、「鬱」のような、魑魅魍魎感が潜んでいるのだろう。


8月14日のアップルストア銀座での僕のサマーライブ。
ストリングスに加えて、結ちゃんこと高橋結子が参加してくれることになった。
結ちゃんとても忙しい人だから、どうかなって思っていたが決まってうれしい。
これで5月16日号の「週刊銀次」での結ちゃんへのプロポーズが実現したわけだ。
約1時間ぐらい。入場無料なので、初めての方たちもどうぞ。
結ちゃんと僕の、二人だけの演奏もあるので、ぜひ見に来てね。

その結ちゃんがメンバーのタマコウォルズが、8月5日赤坂グラフィティで、青山陽一 & The BM'sと一騎打ちライブをした。
題して「続・マダラ紛争~逆襲のビーエムズ」。
東宝の円谷映画でいうなら、「タマコザウルス対アオヤマギラス」といったところか。
タマコウォルズは、5月15日の吉祥寺「Manda-la2」に続いて、見るのは2回目。
あいかわらず、彼らが演奏し始めると、赤坂が70年代のサンフランシスコと化してしまう。
グラフィティが天井の高い、スペーシーな小屋だからか、前よりワイルドでやんちゃな演奏に聞こえた。
野外の大きなコンサート会場で見たら、もっとこのやんちゃさが生きるんだろうな。
タマコを知らない人は、ぜひ、3月に発売されたHOG'S BABBLを聞いてほしい。
すばらしいアルバムなので、必チェッキラ。

<タマコウォルズ HOG'S BABBLE MIDI Creative /CXCA-1263>
<2010年3月1日発売 \2100>

アルバムのエンジニアでもある、鳥羽修君のスライド・ギターも、グラフィティというスペーシーな小屋のせいか、より太く甘い、えもいわれぬ気持ちのいい音。
赤坂の夜にスカイドッグが翔ぶのを見た。
ふと、昔ぼくのPAをやってくれたことのある鳥羽清さん(加藤和彦さんが作った日本初のPA会社、ギンガムのPAマン。
草分け的な人)と、お顔と名前の感じから、親戚だったりするんじゃないかと、脳裏をよぎったが、さだかではない。
単なる僕のおもいちがいかも知れない。

BM'sはGTR&Vo青山陽一、Hammond Organ 伊藤隆博、そしてDrumsはタマコの中原由貴からなるトリオ。
中原さんはこの日、ドラムを叩きっぱなしなわけだ。
マンダラのときも思ったが、実に彼女のドラミングは、Cool & Groovyだ。
こんなファンキーな曲も演奏できるとは驚きだった。
あれ、ベースはいないのって思っていたら、なんと、伊藤君が、左手とフットペダルを併用したベースランを駆使しながら、涼しい顔で、オルガンを弾いているではないか。
始まってすぐ、そのことに気づいた僕は、しばらく彼の左手とフットの動きに釘付けになっていた。神業を見た思いだ。
たいていのロックバンドにはベースがいるので、ハモンドを弾く人はみな鍵盤しか使わない。
ジミー・スミスやラリー・ゴールディングスのようにフットベースを、ちゃんとプレイする本物のハモンド弾きにはめったにお目にかかったことがない。
ハミング・キッチンのサポートの時には、トローンボーンも吹いていた。
ここ最近会ったキーボード奏者では、一番マルチな才能の人かも。伊藤隆博恐るべし!

ひさびさに見る青山君。隣人のときもうまいなあ、ギターいい音してるなあと思ったが、さらに前より進化を遂げていて、ちょっと参った。テレキャスの音色が最高。
レスポールのジャジーな甘さと、テレキャスのくっきりとした輪郭を合わせ持った、僕には理想のサウンドだ。
オリジナル曲ももちろんよかったが、クリームの「SittingOn Top Of The World」が、The MB's流に料理されていて印象に残った。
音楽的にはかなり幅があるけれど、どこか基本的なたたずまいが、Clapton-Winwood的なのが、僕にはたまらない。
最後は2つのバンドによる「合体変則8人編成」で、リー・ドーシーのSneaking Sally Through The Alleyなどで大盛り上がり。トータル3時間にわたる、かなり濃いめのライブで、みなさんほんとにどうもお疲れさまでした。


前回、たわごとモードによる、邦題についての考察(?)の続きを書きたかったが、また今度に。
7日(土)は、トークライブ、「Pied Piper Days - ようこそ夢街カフェの指定席へ」第40回への出演だ。
楽しみは楽しみなのだが、噂では、僕とダブル・ゲストの牧村憲一さんが、なにやらごまのはえやLR関係の、極秘なブツを持ってこられるとのこと。
今から戦々恐々である。牧村さん、なにとぞお手柔らかに。(笑)
今回の「週刊銀次」はスタッフの都合で更新が早いので、そのことの報告も来週で。

さあ、いよいよ来週8月9日(月)はuncle-jam初ライブだ。場所は渋谷SONGLINES。
ぜひ見に来てね。せっかくだから、青山君と何かいっしょにやろうかな。


伊藤銀次
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□2010年08月01日号□

uncle-jamの8月9日のライブに備えて、黒沢君と打ち合わせをした。
曲目とリハ日などの具体的な項目を決めると、彼がTwitterでもつぶやいていたように、たちまちトークライブ状態に。
「話し出したら止まらナイト」の余韻をひいていたせいか、口がまわりだしたらとまらなくなっている。
しかも打てば響くの黒沢君のトークがからんでくるので、さらに拍車がかかってしまうのだ。
自分でいうのも何だが、二人の会話、ラジオで流したらおもしろいだろうなあ。
往年の「あおい君と佐藤君」に負けないコンビだと思うんだけど。
(最近ときどき例えが古すぎて例えになってないことがある。笑)
どこかuncle-jamでラジオ番組をやらせていただけるというFM局はありませんかね?
当方、何でも音楽おもしろユニットなのですが...。

とはいえ今週はどうも脳味噌が疲れ気味だ。電脳生活に夢中になり過ぎたしわ寄せが、今頃来ているのかもしれない。
口はまわるのだが(笑)、なんかいまいち「ひらめき力」が衰えている感じがする。
かなり昔にバイオリズムなんて言葉が流行ったことがある。
「最近バイオリズムが下り坂で...。」なんて会話が日常的にかわされていた。
僕は割と自分のバイオリズムの大きな上がり下がりを顕著に実感する方で、いわゆる上がり気味のときは、オレは天才だなんて浅はかに思ってみたり、逆に下りにあるときは、叩いてもほこりすらでないような気がしてしょんぼりしてくる。
そういうときは、じたばたせずに、なんとか次の上昇曲線の到来をじっと待つことにしている。
現在の自分の状態を分析すると、体は元気、食欲もある。
夏でも食欲が落ちたことのないわが胃腸は、亜熱帯な今年も何のそののタフネスぶりで自分でも驚いているのだが、思考の方が夏バテ気味だ。なので、今週はどうかしているかもしれない。(笑)
銀次 in たわごとモードな「週刊銀次」になりそうだ。(笑)

こういう期間は妙なことが気になってしまう。
僕がひっかかってしまったのは、なぜか、ポール・マッカートニーの「No More Lonely Night」の邦題だ。
ポール・ファンならご存知のように、この曲の邦題は「ひとりぼっちのロンリーナイト」。
チャンネル・サーフィンをしていたら、たまたま目に入ってきて、こういう邦題だったことをすっかり忘れていて、あらためて確認して驚いた。
とてもゴロがいいし、日本人に受けそうないい邦題だが、よく考えてみると、これ、ひとりぼっちだからロンリーナイトなのは当たり前だろうとツッコミを入れたくなった。
これじゃ、いわゆる、「女のおばさん」、「馬から落ちて落馬して」と同じじゃないのかと。

それじゃ「二人だけのロンリーナイト」といういいかたはどうだろうと考えてみた。
三人以上になるとさすがにさびしさ感はうすれてくるが、詞的には二人はギリギリさびしさの範疇ではある。
さすがに「二人だけのロンリーナイト」ではあまりにもお粗末ないいかただが、その感じをいい形で表現した魅力的なタイトルの曲がすでに過去にあった。
坂本九さんが歌った「一人ぼっちの二人」だ。
「上を向いて歩こう」というシンプルだが、インパクトのある詞を書かれた永六輔さんの詞だけに、当たり前のように見えて、なかなか浮かんでこない、やられたな的すてきな表現だと思う。好きなタイトルだ。
ギターのジム・ホールとベースのロン・カーターのデュオによる、「Alone Together」という名ジャズ・アルバムがある。
内容もいいが、とりわけタイトルが好きだ。(デイヴ・メイソンにも同名アルバムがある。)
坂本九さんの「一人ぼっちの二人」に、もし洋題をつけるとしたら、このAlone Togetherがしっくりくるような気がする。
ついさっき、三人以上になるとさすがにさびしさ感はうすれるといったばかりだが、集団ならさびしくないかといったら、なんとボズ・スキャッグスのWe're All Aloneというのもあった。発表当時、新しい言い方だなと思った記憶がある。
僕の弾き語りツアーのタイトル、I Stand Aloneは当初2009年だけこのタイトルで、2010年からはAlone Againとしたかったが、そうすると、その次の年から先、どうつけていいのか困ったので、I Stand Alone の後にシンプルに年号をつけることにした。
Alone Againはもちろんギルバート・オサリバンの曲のタイトルだ。いやはや、alone だけでここまで話しが広がるとは...。

さて、たわごとモードはこのくらいにして、ここからは正気に帰ろう。(笑)
今日、屏風浦にあるエンジニアの富さんのスタジオでミックスを終え、ようやく I Stand Alone Vol.3の曲順が決まった。
さっそく発表したいと思う。

<伊藤銀次  I Stand Alone Vol. 3>

01) トワイライト・シンフォニー
02) 恋のリーズン
03) 彼女のミステイク
04) BEAT CITY
05) 愛をあきらめないで

なかなか、予想どおりの曲もあれば、去年一度もライブで演らなかった意外な曲もあって、きっとみんな早く聞いてみたくなっているのではないだろうか? そうだと、とてもうれしいね。
全曲すごくいい感じでプレイできたと思うのだが、とりわけ、「愛をあきらめないで」のアレンジと雰囲気は、かなり気に入っている。BEAT CITYでもそうだが、絶対ギター1本では無理だと思っていたものが、こうやって、またちがった命の宿し方で蘇るとは...。早くみんなに聞いてもらいたい気持ちは、 vol.1&2の時以上かもしれない。
とりあえず、vol.1&2のときと同じように、ライブ会場のみでの販売になるので、ぜひ9月の名古屋、神戸、京都、横浜、各地のライブハウスに、僕のライブを見に来ていただいて、そのスーベニールとしてゲットしていただけると、ありがたいです。

土曜日はOff Stage Talk 高野寛君との対談の最終回。ジムに通っているなど、意外なお話しが。
ある意味で最近の彼は、精神的肉体派と呼べるようなタフネスさを、そのまっすぐな視線に加えたことによって、また一段と成長しているような気がする。どうやら、ミュージシャン螺旋階段の次の回りに入ったようだ。

厳密に言うと、いま僕の脳味噌はアウトプットよりもインプットを欲しているのかもしれない。
とにかく時間があったら本が読みたくてしょうがない。まさに読書の夏だ。
読んでいて印象に残った言葉や啓発される言い回しとかに出会うと、ノートにメモることにしている。
気持ちが弱っているときや、ぼやけているときにながめると、かならず元気になれるからね。
疲れた僕を元気にさせてくれた今週の「お言葉」は、星新一さんの「星のきまぐれメモ」に引用されていた、レイ・ブラッドベリの言葉、

   『私は自分の潜在意識を信頼している。』

いやー、疲れてなんかいられない。なんともステキな、そしてなかなか言えない深みのあるお言葉ではないか。
疲れた脳味噌が心地よくマッサージされて、なんか自信がわいてきた。


伊藤銀次
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