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最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

2020年4月のことでした。歳の離れた大切な夫と、アラフィフの私。
いつまでも一緒。きっと死ぬまで、彼のことを想う。

小学1年のとき、一か月のおこずかいは100円だった。

 

皆がもっている、白いビニール製の、二つ折りのスヌーピーの財布は、350円だった。

 

欲しくて欲しくて、おこずかいを貯めた。

 

やっと財布が買えるだけ貯まったとき、気がついた。

 

全財産で財布を買ってしまうと、中にいれるお金がない。

 

あのとき、頑張ってもすべてを手に入れることはなかなか難しいと気づいた。

 

だから、仕事をして、夕飯を作って、彼の世話をして、それから二人でゆっくりする時間を作って、自分のしたいこともして、共通の友人と遊ぶ時間もつくって、そんな時間のやりくりなど、到底できなかったが、Xデー後には、ただただ流れてくる時間にもてあそばれることは知っていた。

 

彼がいて、一緒にゆっくりしたいけど、することが多くて時間がない。

時間があるということは、彼がいない。

 

そう、今はスヌーピーの財布はあるが、肝心の中に入れるものがない。そういうものだから、それをどうこう言うつもりはない。

 

 

ただ、ぼんやりと思う。

 

 

介護をしながら、まさかの長期在宅ワークで、今頃はハネムーンだったのにな。

看取り覚悟で、最後の至福の時を過ごしたかった。

 

彼は一緒にテレビを見たがった。私はその時間を作ってあげることができなかった。病院でずっと考えていたんだろう。

私たちは、ほぼ老夫婦のような生活をしていたので、

一緒によく海外ドラマを見た。

 

 

それだけで、幸せだった。

 

 

たとえ、それが今週であっても、

できれば、

私の腕の中でいかせてあげたかった。

 

 

 

 

 

夫は桜が好きだった。

 

大好きだった。

 

桜ー桜ーといつも言っていた。

 

「桜が見たい!」

病院から、力を振り絞って、電話で訴えた。

 

「今年は桜は咲いてない」

他に慰めの言葉はみつからなかった。実際のところ、二人で一緒に見ない桜は、私にとって咲いていないも同然だった。

あんな言葉で伝わったのだろうか。

 

桜が散るころ、夫は去った。

 

 

 

「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ」

 

西行法師の生きた時代は、もしかしたら、土を背に横たわり、上から桜の花びらが散って・・・積もって・・・

とそんなことがあったのかもしれない。

 

 

現代の日本では、危ないと思ったら救急車を呼んでしまう。それが最後の道のりだとは知らずに。

 

 

この3月、私は彼を病院に預けたまま、仕事に、コロナ対策に、自宅介護の準備にと走り回ったはずだった。

彼は面会禁止がつらくてつらくて、家に帰りたいと必死で訴えた。

私はやせ細った彼に、さらなる我慢を望んだ。

もうちょっと待って。

しかし、実際、仕事と介護の両立ができるのだろうか、

目を背けた日もあった。

 

準備なんかどうでもいいから、即刻、連れて帰ってやるべきだった。

マスクを探したり、次亜塩素酸水と次亜塩素酸ナトリウム水の違いを勉強したり、

私は何か大変なことから逃げていたのか。

私なんか、ズタボロになってよかったのに。

私の命なんかより、ずっと大切な人なのに。

彼はずっとSOSを出していたのに。

間に合わなかった。

彼には私しかいなかったのに。

 

一番大切で、もろい、彼の命が、私の手をすり抜けていった。

 

 

 

 

 

よく、二人で子どもの日を取り合いしたものだった。

 

突然彼が言う。

「今日はオレの日だ!」

 

「私も子ども。まだ子ども。」

 

他の家庭のことは知らないが、うちは子どもがいないので、時々、子どもが二人で留守番しているような気分になることがある。

 

「もともとは男の子の日だ!」

そういわれると、仕方なく、譲る。

 

子ども役を勝ち取った方は、その日は誕生日のような日になり、もう片方は、しぶしぶ甘やかすことになる。

 

好きなだけお酒を飲んでも、あまり注意しないで見守る。

(どんな子どもやねん)

 

子ども役が二日酔いで寝ているときは、ほっといて一人で買い物にいったもんだ。

 

楽しかったな。

 

そうか、ひな祭りを取ればよかったのか、と思っても、一応大人なので、それから10か月も先のことを覚えていられないままだった。

 

まだ実感がない。

 

このままいつまでも実感がなくても、私は別にいいけどな。