最後に顔を見せてやれなかった理由 | 最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

2020年4月のことでした。歳の離れた大切な夫と、アラフィフの私。
いつまでも一緒。きっと死ぬまで、彼のことを想う。

 

夫に、最後に顔を見せてやれなかった理由がわかった。

 

私が、感情を優先させたから、判断が鈍ったのだ。

 

このことを実感するまで、3か月半かかった。

 

ここは、私が最も後悔してやまない部分だ。

 

今回、私は昨年末ごろから、夫の介護とコロナ対策に匹敵する

懸案事項を抱えていた。

誰もができないと言ったことを、

私は全力出さずに諦めることに我慢が出来ず、

必死で交渉して回った。

これまで親しくはなかったが、キーパーソンだと思った業者に訴え、

彼がヒーロー並みの働きをしてくれたおかげで、

私は今回、達成することができた。

 

久しぶりに、何かに全力投球して、成し遂げる快感を

味わった。

最高に清々しい気持ちだった。

 

これで負けていたら、今年はいろいろあり過ぎて、

私は人生に負けた感で

いっぱいになるところだった。

 

ほぼ、私のシナリオ通りに進んだ。

何度も思い返しては、自分の武勇伝を味わった。

あの時、あのように行動したこと、

そういった小さい分岐点を検証し直しては、

自分の読みが当たっていたことに酔った。

 

その時だった。

 

やっと、どうして、自分が夫の命を守れなかったのか、

いや、守れないにしても、どうして、

最後に顔を見せてあげることもできなかったのか、

 

わかった。

 

同じ全力投球するにしても、

客観的な判断力がものを言う。

 

今回は賭けのところもあり、

私も幾分傷を負ったが、

勝負にはつきものだ。仕方がない。

 

だが、

愛する人の命を勝負に差し出せる人などいるだろうか・・・!

どんな傷を負うかわからないまま、

最悪を前提に判断することなど、

到底できなかった。

 

この世で、私以外に、

あなたの命を信じてあげなくて、

誰が信じる。

そういう風に、目をつぶった。


もう看取り覚悟で自宅介護に切り替えると、

腹を括った時には、

手遅れだった。

 

私が感情に負けたから。

愛する人を失う時が来ていると、

認めたくなかったから。

 

ごめんなさい。

大切なあなた。

バカでごめんなさい。

 

他のことならできるのに。

 

私が冷静沈着に、
客観的に判断していたら、

私がもっとかっこいい女だったら、
あなたは今ごろ、私の腕の中で逝くことができたかもしれなかったのにね。

 

彼はもうとっくに許してくれている気がする。

そんな小さい男じゃなかったから。

 

後は、私が私を許せるようになる時が来るまで。

 

まずは、その時まで、生きよう。

 

 

 

 

 

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