「ラスト オブ モヒカン」から、後追いを考察する | 最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

2020年4月のことでした。歳の離れた大切な夫と、アラフィフの私。
いつまでも一緒。きっと死ぬまで、彼のことを想う。

 

 

 

 

 

 

「ラスト オブ モヒカン」はダニエル デイ=ルイスを主演に据えた、フレンチ・インディアン戦争の時代の話で、1992年のアメリカ映画である。

時代は、18世紀半ば、原住民のインディアンが巻き込まれた英仏植民地戦争で、アメリカ独立戦争やフランス革命の直前に当たる。

 

原作は、1826年の小説で、今はよく知らないが、昔はアメリカの学校で必読書であった。

 

イギリス軍の司令官の令嬢二人を、ダニエル デイ=ルイス演じるホークアイと、モヒカン族の首長である父親、それからその息子、ウンカスの三人が、襲ってくる別の部族から守ろうとする。

 

(ラストのネタバレあります。ご注意ください。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで注目したいのは、下の娘、アリスとウンカスの淡い恋である。

 

 

ほとんど言葉もかわしていたかどうか定かではないが、しかし何度も命を救われて、アリスはウンカスに恋をしていたのだろう。

 

ラストで、敵マグアの嫁にとさらわれるアリスを救うため、若きウンカスは勇敢に立ち向かっていくが、

マグアの刃を受け、無念にも谷底へ落ちていく。

 

それまでずっとか弱いままであったアリスは、最初で最後の勇気を奮い立たせ、ウンカスの落ちた谷へ身を投げる。

 

 

ここのところの演出と音楽が非常に美しい。

 

 

まねの出来ない行為だからこそ、美しく悲しく、はかなく散っていく若い二人に、胸がしめつけられる。

 

 

私もアリスのように、谷底へ身を投じることができるか、昔から時々考えてみることがある。

だがそれにはあまりにも歳を取り過ぎてしまった。

時代も違うし、あれは映画や小説の話だし。

いくら私が夢見る夢子ちゃんでも、

あまりにもしがらみが多くて、

社会通念上の定義や、そういうものがこの身に刷り込まれていて、邪魔をして、

映画のようなわけにはいかない。

 

どうしてもというなら、長期戦になるが、女を武器にマグアを骨抜きにし、(今や!!)いうときに、本懐を遂げるか?でもこれも時代劇的な発想だし、話変わるし。

 

「ラスト オブ モヒカン」を見るたび、なんとかならなかったのか、ぼんやり考えたものだ。

 

 

さて、後追いを考察すると書いたので、ここから180度転換したことを書く。

 

歴史的に、長い間、女性は処女性を守らなければならなかった。

存在価値がそこにあったといってもいいだろう。

それは、例え良家の令嬢であっても政略結婚をさせられたり、貧乏であれば借金を肩に嫁に行かされたり、しいては売られたりしたことだろう。

また、若くして夫を亡くしたら、その後一人で安全に生きていける保証などなかっただろう。

 

だから、「後追いした方がまし」な人生が待っていると容易に想像したと考えられる。

 

したがって、後追いの映画を観て、美しいなどと言うのは、現代に生きる私の勝手な感想に過ぎないと思うし、この映画の背景はそうではないが、地域や文化によっては、無理にでも後追いさせられた時代もある。

しっかり見極めなければ、それこそ、大昔の死者に対するセカンドハラスメントにもなり得る、慎重を要する題材であると思う。

 

そして、21世紀を生きる私には、選択肢がある。自由がある。一般的にかけられそうな声に従い、「私が元気に生きていくことが、夫がなによりも喜ぶことだろう」と生きていくもよし、だらだらヒマつぶしをするもよし。後を追って、みじめな最後だった、かわいそうな二人、と憐れまれようとも、100年経てば、誰一人、覚えている人はいない。

 

 

 

 

 

 

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