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檸檬瘉備忘録 (this and that)

私的な遊び文章。自分メモ。今のところ映画の話が多い。基本的に知識は深くなく、軽くて浅いです。おバカB級ホラーの感想で始めた、あれこれ。

 

 

 

19 日前

 

もう試験シーズンだからさ:

 

Lolita に関して、いいカバーなんてこれまで一度も存在しなかった。

しかも、いいカバーなんて不可能だ。 説明して。

 

 

【ナボコフが表紙について実際に課してた条件が

 

「女の子が載ってないこと」ただそれだけだった】

 

 

それ、ハードル低すぎ

 

 

歴史上いちばん無視されてきた『著者のお願い』

 

 

最悪レベルってわけじゃないけど、かなりひどい例だよ

 

 

たぶん実際は、まったく関係ない美術作品の絵を、表紙に流用してるだけだと思う。

 

 

まだもっとひどいのがある。

私の持ってたやつは、若い女の子の脚の白黒写真が載ってて

それが長い間いちばん出回ってた版だった気がする。

 

 

それはまだいい方だよ

 

 

 

OK...質問がよく分からなかったってことか。いい感じのビジュアル表紙って何かあった?

 

 

許されるロリータの表紙って、だいたい

タバコのパッケージみたいに見えるやつだけなんだよね

 

 

内容が誤解されないんだから、そっちの方がまだ良いよ

 

 

18 日前

 

 

この本の中でドロレスは12歳。映画化や関連アートでは

不気味さを減らしてもっとワクワクする感じにするんだ、最悪。

 

 

これは、卑劣な男が、信頼できない語り手である本です。

カバーには卑劣な男が描かれるべきです。

 

 

でも『コージー・ザ・コーワードリー・ドッグ』のフリーキー・フレッド

あの変な理髪師いるよね

 

表紙があのフレッドのフリーキーな笑顔みたいな雰囲気の絵だって想像してみて。

 

だってこの本、病んだ悪役の視点から書かれてるから。もし、その顔が表紙だったら…

 

 

18 日前

 

ウッ……!

 

20 日前

 

あれ、かなり見た目がひどいけど、少なくとも失礼だとか誤解を招く内容じゃない。

活字でそのまま書くのが、この本には一番いいって思うよ。

 

 

(イメージとしてはこれが正解で、これが語る文章が内容ってことだよね?知らなかった)

(そしてこういうバージョンも販売されてるのも知らなかった)

 

(結局、原作者のお願いに1番近い風景写真か活字のみが良心的な表紙という結論になると思う)

 

 

 

ヴラジーミル・ナボコフの『ロリータ』」って表示を上から載せるだけで、

写真がけっこう台無しになるよ。

 

 

これは文学の傑作。気味が悪くて、嫌な主人公が出てくる本だ。

ナボコフ本人も、自分の作品の主人公がやった行動には反対してた

 

 

この本の中でドロレスは12歳。映画化や関連アートでは、不気味さを減らして

もっとワクワクする感じにするために、彼女を年上に見せるんだ。最悪。

 

 

【歴史上いちばん無視されてきた『著者のお願い』だ。】

 

 

 

 

その件についてのマントゥリング・シングのエッセイ

 

How the Publishing Industry Failed "Lolita" 

(as told by terrible book covers)

 
出版業界がいかにして『ロリータ』を裏切ったか(そのひどいブックカバーが語る真実)

 

 

 

 

 

本知らないんじゃない?

 

「ロリータ」なんて名前はないんだよ。

 

それって主人公のハンバート・ハンバートがドロレスのことを呼ぶ呼び名で、

ほかの誰も彼女をそうは呼ばない。

 

彼は彼女を彼女として見てないんだよ。代わりに、自分の頭の中にある理想をみる

 

この本は、主人公が子どもに対して抱く執着の話。

焦点なのは彼女じゃなくて、主人公の心のあり方(心理)だよ

 

女の子を表紙に載せると、それが読者を惹きつける存在として見なされるようになって

女の子がもの扱いされるのが原作者は嫌だった。

 

彼女が主題じゃないんだよ。

 

この本はそもそもドロレスの名前が付いてるわけじゃなくて、

ペドフィルが彼女の為に付けた『あだ名』がタイトルになってる。

 

 

この本は、主人公が子どもに対して抱く執着の話。

焦点なのは彼女じゃなくて、主人公の心のあり方(心理)だよ

 

 

 

海外掲示板

 

書籍の話

 

引用

 

 

 

これ見てたら、キューブリック版が原作に忠実かは分からなくなって来た

 

そもそも原作に忠実ってキューブリックの下手分野な気もして来た。

 

 

これが原作で

 

原作の特徴

 

原作小説:言葉の魔術と「信頼できない語り手」

 

ナボコフの原作は、ストーリーそのものよりも

「英語という言語を極限まで操った文体」に最大の価値があります。

物語は一人称で描かれ、少女の見解はいっさい示されていません。

 

主人公ハンバートは、極めて教養が高く、美しい言葉で

自分の犯罪を正当化しようとする「信頼できない語り手」です。

 

 

ラインのアイデアは「嘘つきの語り手 創作者」彼は自分が怪物だとは思っていない。

彼は恋をしている男のように見える、だからなんでも美化する。それが欺瞞(罠)だ

 

キューブリックの時代に原作者は生きていて、彼の具体的に描かないアレンジに共感していた。

自分でも映像化するならば、そのようにするだろうと

 

しかし1997年版では時代が変わり、原作者はもうこの世にはいなかった。

 

 

書籍では主人公の一人称で物語が書かれている。

 

書籍と映画。1962版と1997版。

 

どちらも素晴らしい作品だが、それぞれ個別の映画として鑑賞すべきだ。

 

 

それぞれに伴うあらゆる不快感。これは次のことを表している。

 

 

 

スペインの解説。

 

 

としたらあのポストカードがファッショナブルに見えるようじゃ

 

原作者の意図の真逆ってことになりそうじゃない?

 

 

 

 

そんな感じで別の意味でモヤモヤして来たよ。

 

 

 

原作の特徴

 

原作小説:言葉の魔術と「信頼できない語り手」

 

 

ナボコフの原作は、ストーリーそのものよりも

 

「英語という言語を極限まで操った文体」に最大の価値があります。

物語は一人称で描かれ、少女の見解は、いっさい示されていません。

 

主人公ハンバートは、極めて教養が高く、美しい言葉で

自分の犯罪を正当化しようとする「信頼できない語り手」です。

 

読者は、彼の圧倒的な文章の美しさに、幻惑されそうになりながらも

 

「いや、彼が言っていることはすべて、自分に都合のいい言い訳ではないか?」という

 

 

文学的な罠(心理戦)を、読書体験として味わうことになります。

 

 

 

 

 

AIによる解説。

 

 

あ、そうか。ちらっとでもこれが

 

美しく見えたり、ファッショナブルに見えてる時点で

 

文学的な罠に引っかかってる状態なわけか!なるほど。

 

 

 

 

そんな感じで、じゃあ、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AIによる解説。

 

 

 

1962年のスタンリー・キューブリック監督版と

1997年のエイドリアン・ライン監督版の『ロリータ』は、

同じ小説(ウラジーミル・ナボコフ著)を原作としながらも

 

「時代の規制」と「監督の解釈」の違いによって

全く異なるアプローチで撮られています。

 

2つの作品の主な違いを4つの視点から解説します。

 

 

 

 

表現のトーン

 

1962年(キューブリック版):「冷徹な風刺とブラックコメディ」

キューブリックは主人公ハンバートの狂気、人間の愚かさそして当時の

アメリカ社会の俗っぽさをユーモアと冷ややかな視点(風刺)で描きました。

 

 

1997年(ライン版):「情緒的なロマンス、そして執着がもたらす悲劇」

ラインは原作が持つ「破滅的な執着と、それがもたらす悲劇性」を、

よりストレートに描いています。

 

 

 

 

ロリータの年齢と描き方

 

 

キューブリック版

1962年版:大人の魅力を持つ少女

劇中では「小悪魔的(ニンフェット)」な側面が強調され

より大人の女性に近い雰囲気をまとっています。

 

彼女自身が支配してコントロールしている雰囲気も感じさせます。

 

 

ライン版

1997年版:リアルな「子供」としての少女
より原作に近い「子供っぽさ」や「幼さ」が残る演技をしています。

ハンバートの歪んだ視点(欲望)によって神格化されているものの、実際には

「大人の都合に振り回され、搾取されている未熟な少女」という痛々しい現実が

リアルに描写されています。

 

 

 

 

 

ナラティブ(語り口)の構造

 

1962年版:映画的なサスペンス構造
 

キューブリックは、観客に、最初から悲劇的な結末を見せることで

そこに至るまでの過程を、客観的、かつサスペンスフルに追わせる構造をとっています。

 

 

1997年版:原作に忠実な心理告白の構造
 

ライン版は、原作小説の「ハンバートの告白手記」という

ハンバート一人称での「言い訳めいたスタイル」に、非常に忠実です。

 

ハンバートのモノローグ(ナレーション)が多用され

 

観客を、彼の歪んだ精神世界、言い訳めいた自分勝手な心理の

奥深くへと、引きずり込んでいく構成になっています。

 

 

 

映像美と音楽

 

キューブリック

1962年版:モノクロのシャープな構図
白黒映画ならではの強いコントラストを使い

チェス盤のように緻密に計算された構図(キューブリックの代名詞)

で撮られています。音楽もどこか軽快で、風刺的な雰囲気を引き立てます。

 

 

ライン

1997年版:耽美的で美しいロードムービー
エンニオ・モリコーネによる切なく美しい音楽にのせて

アメリカの哀愁漂う風景が、カラーで叙情的に描かれます。

映像が美しいからこそ、そこで行われている行為の異常さが際立つ

 

という効果を生んでいます。

 

 

どちらの作品も、「大人の歪んだ視線が、いかに現実を書き換えてしまうか」

 

という本質は共通していますが

 

1962 キューブリックはそれを「滑稽な悲劇」として、突き放して描き

 

1997 ラインは「感情的な心理ドラマ」として生々しく描き出しました。

 

 

 

キューブリックは

 

目線の配り方、言葉のトゲ、不自然な沈黙だけで

部屋に満ちる異常な空気感を表現しています。

 

観客の想像力を刺激するこの演出は、後に『アイズ ワイド シャット』

などでも洗練されていくキューブリック特有の「冷たい緊張感」の原点と言えます。

 

 

 

原作の特徴

 

原作小説:言葉の魔術と「信頼できない語り手」

 

 

ナボコフの原作は、ストーリーそのものよりも

 

「英語という言語を極限まで操った文体」に最大の価値があります。

物語は一人称で描かれ、少女の見解は、いっさい示されていません。

 

主人公ハンバートは、極めて教養が高く、美しい言葉で

自分の犯罪を正当化しようとする「信頼できない語り手」です。

 

読者は、彼の圧倒的な文章の美しさに、幻惑されそうになりながらも

 

「いや、彼が言っていることはすべて、自分に都合のいい言い訳ではないか?」という

 

文学的な罠(心理戦)を、読書体験として味わうことになります。

 

 

 

 

 

AIによる解説。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはスペイン語です。

 

1962年のスタンリー・キューブリック監督版と

1997年のエイドリアン・ライン監督版の映画『ロリータ』を

 

比較・解説する内容になっています。

 

もし特定のフレーズの意味や、映画に関する詳しい情報など、

さらに知りたいことがあればお気軽に教えてください。

どのような点が気になりましたか?

 

 

 

 

 

映画について、あのあらすじを映画でどう描いてるのかなぁと思って

 

(ここの記事でロリータの映画どう表現されてるか気になって)

 

 

 

 

ちょっと、調べてみた。

 

 

 

私は、キューブリック版のあのお馴染みの『ハートサングラスのポスター』の映画だけ

 

存在を知ってて(観たような観てないような記憶が、あるような、ないような)

 

1997年版のほうは、映画の存在すら知らなかったよ。

 

映像を見たら、1997版は『ギリアウト』とかじゃなくて

 

『完全アウト』の領域で、びびった。

 

キューブリック版でも今見るとギリと思ったけど

 

アバンギャルドさを感じるので

 

1997版よりはまだマシに感じたのかも。

 

 

あのポストカードはファッショナブルだよね。