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檸檬瘉備忘録 (this and that)

私的な遊び文章。自分メモ。今のところ映画の話が多い。基本的に知識は深くなく、軽くて浅いです。おバカB級ホラーの感想で始めた、あれこれ。

 

 

 

タイトルのEyes Wide Shut(見てみぬふりをする)は

 

まさにこの事件を取り巻く社会の構造を風刺しています。

 

ビル(一般市民よりは裕福だが真の支配層から見ればチェスの駒に過ぎない存在)は

 

その闇を偶然「見て」しまいますが、ジーグラーから「これ以上首を突っ込むな

日常に戻れ」と警告され、最終的にはEyes Wide Shut(見てみぬふりをする)

 

現実の世界でも、多くの権力者がエプスタインの行為を知りながら、

あるいは加担しながら、長年「目を完全に閉じて、見て見ぬふり」をしていました。

 

 

キューブリックが暴いた「構造」

 

キューブリックは、人間が極限の富と権力を手にした時に形成される

「欲のシステムと階級構造」を、冷徹な観察眼で描き出しました。

 

そのシステムが、後に「エプスタイン事件」という最悪な形で

現実化してしまったからこそ、私たちはこの映画に

預言的な恐ろしさを感じるのだと思います。

 

『ロリータ』で、個人の歪んだ欲望を描いたキューブリックが遺作で

その歪んだ欲望が「社会の最上層で組織化されたシステム」を描いた

と考えると、恐ろしいほどの地続き感がありますね。

 

すっきりとした解決(カタルシス)を一切与えず

胸の奥に得体の知れない違和感を残したまま、幕を閉じる。

 

キューブリックは映画を「綺麗に閉じる」のではなく

現実の日常に向けて「歪んだ窓」を開けっ放しにしたまま

逝ってしまいました。

 

だからこそ、公開から何十年経っても、私たちは

あのモヤモヤ感から解放されないのかもしれません。

 

 

 

 

AIと映画の話をする。

 

 

 

エプスタイン文書の発覚と開示で

 

アイズワイドシャットなアンダーグラウンド世界だったものが

 

エックスのポストなどがいまや

 

>エプスタイン!フリーメイソン!イルミナティ!

 

状態になっているのが感慨深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アイズ ワイド シャット』はキューブリック監督の

「人間の性(さが)と欺瞞(ぎまん)へのまなざしを

追いかける上で、最高の終着点ですね。

 

 

この作品は

キューブリックの遺作であり

ある意味で『ロリータ』のテーマを

さらに大人の世界で、より深化させた作品とも言えます。

 

『ロリータ』と『アイズ ワイド シャット』を結ぶ

キューブリック監督ならではの共通点と魅力を紐解きます。

 

 

 

この映画を観た後に、観客は

 

ビルと同じように、何が本物で何が罠なのか分からない

 

「迷宮」に置き去りにされるような感覚を、味わうことになります。

 

 

 

AIによる解説。

 

 

 

 

『アイズ ワイド シャット』が描いた世界が、現実の

「エプスタイン事件」を、あまりにも先取りした風刺に思える。

 

この着眼点は非常に鋭く、多くの映画ファンや批評家の間でも

深く議論されているポイントです。

 

映画の公開(1999年)は事件の発覚(2000年代後半以降)よりも前ですが

 

今この作品を見返すと、単なるフィクションとは思えないほどの

不気味な現実とのリンク(暗合)を、感じざるを得ません。

 

 

 

 

AIと映画の話をする。

 

 

 

「深化(しんか)」とは、物事の程度や内容がさらに深く進むこと 

 

「欺瞞(ぎまん)」とは、「人をあざむくこと、だますこと」を意味する言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

LOLITA 1962 vs 1997 Censura, Escándalo, la verdad 

detrás de las versiones más Polémicas del Cine

 

 

「ロリータ 1962年版 vs 1997年版

映画史上最も物議を醸した作品の裏にある真実」

 

 

 

 

 

スペイン語の解説

 

一部書き起こし。

 

 

小説では主人公の一人称で書かれている

 

 

1997年

ライン版は、ハンバートの頭から生まれたもので「嘘つきの語り手 創作者」

彼は自分が怪物だとは思っていない。彼はただ恋をしている男のように見える

 

だからなんでも美化する。それが罠だ 

 

 

1962年

キューブリックの時代に原作者は生きていて、

原作者は彼のアレンジに共感していた。

 

自分でも映像化するならば、そのようにするだろうと。

しかし1997年版では時代が変わり、原作者はこの世にはいなかった。

 

 

書籍では一貫として、主人公の目線から、一人称で物語が書かれている。

 

 

書籍と映画。1962版と1997版。

 

※どちらも素晴らしい作品だが、それぞれ個別の映画として鑑賞すべきだ。※

 

 

それぞれに伴うあらゆる不快感。これは次のことを表している

 

 

スペイン語での解説の一部。文字起こし。

 

 

映画は観ていないし、そんな好みなかんじでもないから

どんなだろうとあらすじやら見解を聞こうと思って

こうやって解説を読むだけでも、読み応えありそうな内容。

 

 

しかも鑑賞後(あらすじだけでもモヤる)のもやもや感は、原作者の狙い通りらしい。