「銀河の会」が拠点とする清瀬。現在は東京ですが、元は神奈川県。その前は武蔵の国でした。
現在の地理的には埼玉隣接ですが、北多摩、南多摩、西多摩、三多摩全体明治時代は神奈川県。
どうして東京になったのかというと。
自由民権運動が高揚し、神奈川の手に負えなくなった。
そこで押しつけられたというわけです。
里子にだされたというか、捨て子というか。
実際、親がいない人、里子当事者に対しては嫌味ったらしく聞こえたら申し訳ありませんが。
世間的には国際的には領土は侵略してぶん捕る、広げようとするのが常なのに多摩は違う。「神奈川は押しつけたい、東京は受けたくない」という厄介者扱いだったわけです。
だからいわゆる江戸部の東京とは空気が違うし、地方から来る人が「新宿や渋谷が東京だ」とイメージする場合、清瀬始め、多摩が東京じゃない、と思う人がいるのも無理からぬこと。
したがって気質としても江戸城周辺、薩長に侵略された「東京」は当然、いわば当時の外国のものになったわけで、土地と外来者の雑婚も進んだわけですが、多摩は「東京」なのに、徳川時代をひきずったまま維新政府に反発したまま。だから戦後に至っても、多摩部は反政府気質が強く、反維新で革新、野党が強いという空気が続いてるわけです。
あるいは戦後、全国あちこちから集まって来た。
維新政府の本場、拠点そのものの「江戸部」東京と「多摩」東京はこんな具合で区と市で別れる以外、「元神奈川」と「元江戸」の違いがあるというわけです。
といった流れからすると、例えば野球。
江戸の地元球団はヤクルト、巨人。
多摩は神奈川なんだからDENA、とできないでもない。ただし、実際、地理的にはとても遠いから特に清瀬派隣接所沢、ライオンズが実質的地元、なのでしょうけれど。多摩の他、島も東京にはありますけれど、こんな具合で、「維新政府本拠侵略完了江戸」と「民権運動多摩原人」では空気差がある。
もっともこんな事情、地元民の何割が知ってるか、自覚してるか、は分かりませんが。口に出さずとも、説明は無理でも違和感があって当然というわけです。
では、この先どうなるのか。変革の可能性をや。
江戸湾震源の湾岸を壊滅させた安政大地震が1855年。安政二年。
関東大震災が1923年。大正12年。
その差68年。
現在、関東大震災から92年。ということはとっくに「ストライクゾーン入り」。
世上、指摘されるように東海地震の次が東京湾海溝震源地震。二番目に危ないとされてるので、間違いなくどっちかが来るでしょう。
東海震源なら全滅まではいかないだろうけれど、東京湾震源の場合、東京地図、境界は間違いなく変わるでしょう。
その時、多摩は。たまたまどこにいるかであなたの運命も変わる。
立川活断層、東京湾岸、荒川沿い。東京ではこれらが「三大危険地帯」。
逆にこの「三大地帯」にいなければ命ばかりは助かる可能性大。
という指摘をしてる私。東北地震の時、荒川沿いで野球を観ていました。
分かっちゃいるけど避けられない。
選挙は人為ですが、天災も間違いなく版図を変えるでしょう。