
瀬島氏】
私が参謀本部に参りましたのは、昭和14年11月。当時もう日支事変がおきておりましたから、参謀総長は毎日日参でしたね。私はその際の上奏文の起草、それと下問奉答資料をつくる任務をしばらくやっておりました。当時、軍隊を動かす時は必ず陛下の御裁可が必要で、これなしには一個中隊さえ動かすことは出来なかった。陸軍大臣、参謀総長だけでは、日本から満州へ、あるいは満州から日本へ軍隊を移動させることは、一切できない仕組みになっていたのです。参謀総長は拝謁(はいえつ)して奏上し、ご下問にお答えする。そして、御了解を得た上で命令文を別途に侍従武官を通じて提出し、御著名をいただく。それが1つの作戦業務でありました。
私が参謀本部に参りましたのは、昭和14年11月。当時もう日支事変がおきておりましたから、参謀総長は毎日日参でしたね。私はその際の上奏文の起草、それと下問奉答資料をつくる任務をしばらくやっておりました。当時、軍隊を動かす時は必ず陛下の御裁可が必要で、これなしには一個中隊さえ動かすことは出来なかった。陸軍大臣、参謀総長だけでは、日本から満州へ、あるいは満州から日本へ軍隊を移動させることは、一切できない仕組みになっていたのです。参謀総長は拝謁(はいえつ)して奏上し、ご下問にお答えする。そして、御了解を得た上で命令文を別途に侍従武官を通じて提出し、御著名をいただく。それが1つの作戦業務でありました。




はまかかさん、≫天皇に戦争責任があるのは当然だと思いますが国民にも責任がある。で、結局どうして欲しいのかって思います。天皇が先に責任を取ったら当時の国民も責任を取らなければならない。どうやって?何をして責任をとったとするのでしょう?天皇制を廃止しろとか国家変えろとかですかね?>天皇の戦争責任の取り方は
①国民にに謝罪する。
②国民に感謝する(兵士たちは天皇万歳と言って死んで行ったのですから)
③今の天皇が退位する。(当時12歳で関係ないけど、万世一系で濃い血が流れていますからね)
④京都に帰る(天皇が2度と権力者と合致しない為)
【この4つをすべてやった時】、戦争責任をとったと見てよいでしょう。
≫いつまでそんなこというつもりですか?って言いたくなります。 >この4つを総てやるまで要求します。何も天皇制廃止を言ってるわけでは無い。≫生産性を感じないのですが。>生産性は莫大です。天皇が4つの責任をとれば、戦争の見方も「侵略戦争」で統一されるでしょう。そうなれば、アジアとの見方も一致するから、戦争のことは終わる。後は日本の発展に総ての力を注ぐことができる。
①国民にに謝罪する。
②国民に感謝する(兵士たちは天皇万歳と言って死んで行ったのですから)
③今の天皇が退位する。(当時12歳で関係ないけど、万世一系で濃い血が流れていますからね)
④京都に帰る(天皇が2度と権力者と合致しない為)
【この4つをすべてやった時】、戦争責任をとったと見てよいでしょう。
≫いつまでそんなこというつもりですか?って言いたくなります。 >この4つを総てやるまで要求します。何も天皇制廃止を言ってるわけでは無い。≫生産性を感じないのですが。>生産性は莫大です。天皇が4つの責任をとれば、戦争の見方も「侵略戦争」で統一されるでしょう。そうなれば、アジアとの見方も一致するから、戦争のことは終わる。後は日本の発展に総ての力を注ぐことができる。


悟りのことは、悟らないと分からない。>それではみもふたもないですね。誰もわかんないんじゃないですか。創価学会に悟ってる人なんかいないでしょう?結局「わからない」でごまかすんだって感じですね。
昭和天皇もう死んでますよ。実現不可ですよ。京都に帰る意味がわかんないですね。万世一系ってなんですか?創価用語ですか?
創価では戦争は日本が一方的に悪かったって言う見解なんですか?
もしそうならアホ極めすぎです。池田氏が日本人ではないという推論が出るのも致し方ないでしょう。
侵略戦争で日本だけが悪かったなんて認識を持てるわけないでしょう!ちょっとモノの見方が偏りすぎですね。redpurge200l さんらが攻撃してくるのも仕方ないと思いはじめました。
昭和天皇もう死んでますよ。実現不可ですよ。京都に帰る意味がわかんないですね。万世一系ってなんですか?創価用語ですか?
創価では戦争は日本が一方的に悪かったって言う見解なんですか?
もしそうならアホ極めすぎです。池田氏が日本人ではないという推論が出るのも致し方ないでしょう。
侵略戦争で日本だけが悪かったなんて認識を持てるわけないでしょう!ちょっとモノの見方が偏りすぎですね。redpurge200l さんらが攻撃してくるのも仕方ないと思いはじめました。


>「万世一系(ばんせいいっけい)は、天皇の皇位継承について、皇統の一系や天皇制の永続などを主眼とする思想のこと。日本神話に登場する初代神武天皇から現在まで、王朝が断絶することもなく、一貫して天皇家によって日本は統治されてきたとする史観に基づいている。現在では、史実にもとづくものなのか、さまざまな意見がなされている。」と言うこと。日本人で万世一系を知らなかったんですか?勉強してくださいよ!日本人なら。天皇は万世一系ですからね。子孫に戦争責任が問えると思っています。≫創価では戦争は日本が一方的に悪かったって言う見解なんですか?もしそうならアホ極めすぎです。池田氏が日本人ではないという推論が出るのも致し方ないでしょう。>池田は軍国少年だったから、天皇も批判して無いし、東京裁判も問題があると思っているようだ。小説「人間革命」に書いてあったからね。

≫侵略戦争で日本だけが悪かったなんて認識を持てるわけないでしょう!>他国は関係ないと前に書いたでしょう。読み直しなさい!≫redpurge200l さんらが攻撃してくるのも仕方ないと思いはじめました。>こいつは侵略戦争そのものを否定している。何の証拠も出さずに。大卑怯のインチキ野郎です。
私はいつでも真面目だが、今回は特に真面目に言うぞ。
瀬島インタビューのどこを読んでも昭和天皇が独裁政権をしいていた事にはならない。これは専制君主としての仕事をしていただけの話。
戦中の日本をあえて言うなら軍部による独走政権と言えるが、昭和天皇も軍部も議会も独裁などはしていない。
なぜなら、各々の機関は他の機関に対して無理に命令をすることができなかったからだ。これは昭和天皇も同じ事。
昭和天皇が「独裁」できていたら戦争事態が起こらなかったかもしれん。
瀬島インタビューのどこを読んでも昭和天皇が独裁政権をしいていた事にはならない。これは専制君主としての仕事をしていただけの話。
戦中の日本をあえて言うなら軍部による独走政権と言えるが、昭和天皇も軍部も議会も独裁などはしていない。
なぜなら、各々の機関は他の機関に対して無理に命令をすることができなかったからだ。これは昭和天皇も同じ事。
昭和天皇が「独裁」できていたら戦争事態が起こらなかったかもしれん。


ナイチーさん、戦争は、日本国民みんなでやったんです。
戦時下は、立派に民主主義は生きてましたし、軍事独裁で無理やり戦争したのでもないです。≫戦時下が民主主義かどうか明治憲法を読みなさい。天皇を頂点とした独裁国家であることが分かるから。戦時下が民主主義だったのなら、何故戦争反対や国を批判したら「不敬罪」で逮捕されたんだ?民主主義なら言論の自由は保障されているはずだろう?≫軍事独裁で無理やり戦争したのでもないです。>あなたはの本が徴兵制度で強制的にへいたいにしていたのを知らないんですね。
戦時下は、立派に民主主義は生きてましたし、軍事独裁で無理やり戦争したのでもないです。≫戦時下が民主主義かどうか明治憲法を読みなさい。天皇を頂点とした独裁国家であることが分かるから。戦時下が民主主義だったのなら、何故戦争反対や国を批判したら「不敬罪」で逮捕されたんだ?民主主義なら言論の自由は保障されているはずだろう?≫軍事独裁で無理やり戦争したのでもないです。>あなたはの本が徴兵制度で強制的にへいたいにしていたのを知らないんですね。

『1873年に国民皆兵を目指す徴兵令が出され、のち兵役法となった。大日本帝国憲法にも兵役の義務が盛り込まれた。当初は、免役率が80%と高く、肉体的に頑強な男性の中から、くじ引きでごく僅かのみ徴兵されていた。しかし、不公平感から全国で徴兵反対運動が起こり、そのため徴兵制度は大改正され1889年には法制度上、男性に対して国民皆兵が義務付けられた。実際に徴兵される男性が増加していき、太平洋戦争末期には、700万人以上も根こそぎ徴兵された。第二次世界大戦に敗れた1945年に廃止された。』国の強制だったんですよ。赤紙を送る方法でね。≫それを戦争責任を天皇にとらせるのも、妙な話。>妙ではない独裁国家の日本なのだから独裁者のヒロヒトに一番の責任があるのは当然。


ナイチーさん、≫天皇制がなくなればアジアの日本に対する見方が変わるなんて、そんな馬鹿なこと言ってるから、中国にも韓国にもなめられるんじゃないですか?>僕は天皇制を無くせなんて言ってませんよ。「戦争の責任を取れ、」と言ってるんです。
≫あちらは、ただ単に外交カードの一つで、昔のことをいつまでも言うだけ。>いや、そうではない。南京大虐殺や731部隊など、黙っている事はできないことを我々日本人からされましたからね、色々言ってくるのは当然でしょう。
≫中国に関しては、内政に対する国民のガス抜きに反日教育してるだけ。>共産主義だからそれもあるでしょう。でもそれより黙っていて何もしないと、「虐殺など無い」という卑怯な日本人によって歴史が改ざんされてしまいますからね、黙っているわけにはいかないのでしょう。
≫あちらは、ただ単に外交カードの一つで、昔のことをいつまでも言うだけ。>いや、そうではない。南京大虐殺や731部隊など、黙っている事はできないことを我々日本人からされましたからね、色々言ってくるのは当然でしょう。
≫中国に関しては、内政に対する国民のガス抜きに反日教育してるだけ。>共産主義だからそれもあるでしょう。でもそれより黙っていて何もしないと、「虐殺など無い」という卑怯な日本人によって歴史が改ざんされてしまいますからね、黙っているわけにはいかないのでしょう。
redpurge!≫昭和天皇は最後まで戦争に反対していたよ。>だから瀬島インタビューを20回読めと言ってんだ!戦争に反対してる奴(ヒロヒト)があそこまで詳しい情報を要求すると思うのか?インタビューをよく読め!ヒロヒトが戦争やる気満々なのが分からないのか?お前より『aiiiiinakammura』さんのほうが正確に瀬島インタビューの意味をつかんでいる。しょうがないからヒントを与えてやろう。よく言われる【大本営発表とは、ヒロヒト自身の命令だったということだ。】世の中の人は「大本営発表とは軍上層部が大本営会議を開いて決定してると考えている人が多いだろうが、瀬島インタビューを見ると、【ヒロヒト以外は一個師団たりとも動かせない仕組みになっている。】【即ち総ての指揮はヒロヒトが執っていたということ。】
瀬島氏のインタビュー読みましたがなんでこの人が言っている事が100%本当のことだと言えるのですか?確かにこの人はこう言っているのかもしれませんがそれを絶対事実だという貴方が理解できません。疑わしいでしょう。本当かもしれません。つまり100%ではない。だけども貴方は100%信じているその根拠をお聞きしたい。

Coffee殿のブログから飛んできましたが、
瀬島インタビューのどこに天皇陛下が直接戦争の指揮
を執った証拠があるのか、不明なので明らかにしてください。
いつ、いかなる時の作戦を陛下が立案し、実行させ、
その首尾と事後フォローがどうされたのか具体的に示して
下さい。
人のブログであのような罵詈雑言を垂れ流し、
天皇陛下を愚弄した発言をした以上、貴殿には説明責任
があります。
瀬島インタビューのどこに天皇陛下が直接戦争の指揮
を執った証拠があるのか、不明なので明らかにしてください。
いつ、いかなる時の作戦を陛下が立案し、実行させ、
その首尾と事後フォローがどうされたのか具体的に示して
下さい。
人のブログであのような罵詈雑言を垂れ流し、
天皇陛下を愚弄した発言をした以上、貴殿には説明責任
があります。

はまかかさん、≫瀬島氏のインタビュー読みましたがなんでこの人が言っている事が100%本当のことだと言えるのですか?確かにこの人「はこう言っているのかもしれませんがそれを絶対事実だという貴方が理解できません。疑わしいでしょう。本当かもしれません。つまり100%ではない。だけども貴方は100%信じているその根拠をお聞きしたい。>瀬島隆三の履歴です。
【陸軍軍人時代】
瀬島は、富山県西砺波郡松沢村鷲島(現在の小矢部市鷲島)の農家に生まれた。旧制富山県立砺波中学校、陸軍幼年学校を経て、陸軍士官学校44期を首席で卒業し、昭和天皇から恩賜の銀時計を受けた。陸軍大学校51期も首席で卒業し、昭和天皇から恩賜の軍刀を受けた。御前講演のテーマは「日本武将ノ統帥ニ就テ」。
【陸軍軍人時代】
瀬島は、富山県西砺波郡松沢村鷲島(現在の小矢部市鷲島)の農家に生まれた。旧制富山県立砺波中学校、陸軍幼年学校を経て、陸軍士官学校44期を首席で卒業し、昭和天皇から恩賜の銀時計を受けた。陸軍大学校51期も首席で卒業し、昭和天皇から恩賜の軍刀を受けた。御前講演のテーマは「日本武将ノ統帥ニ就テ」。

太平洋戦争時は、大本営参謀としてガダルカナル撤収作戦、ニューギニア作戦などを担当する。最終階級は陸軍中佐であった。1945年7月関東軍参謀に転出。8月の無条件降伏後、ソ連軍との停戦交渉におもむくも、シベリアへ11年間抑留される[1]。この間、連合国側から極東国際軍事裁判に証人として出廷することを命じられ、1946年9月17日に草場辰巳、松村知勝とともにウラジオストクから空路東京へ護送され、ソ連側証人として出廷させられている。
後年瀬島は、シベリア抑留について、日本の軍人や民間人の帰国を規定したポツダム宣言(9条)違反であり、日ソ中立条約を破っての対日参戦とともに、スターリンの犯罪であったと述べている。また、日独伊三国同盟の締結についても、断じて実施すべきではなかったと述懐している[2]。
後年瀬島は、シベリア抑留について、日本の軍人や民間人の帰国を規定したポツダム宣言(9条)違反であり、日ソ中立条約を破っての対日参戦とともに、スターリンの犯罪であったと述べている。また、日独伊三国同盟の締結についても、断じて実施すべきではなかったと述懐している[2]。

上の続き【実業家時代】
シベリア抑留から帰還後、1958年に伊藤忠商事に入社する。入社3年目にして業務部長に抜擢(1961年)され、翌1962年取締役業務本部長、半年後に常務、1968年に専務、1972年に副社長、1977年に副会長、1978年に会長に就任する。帝国陸軍の参謀本部の組織をモデルにした「瀬島機関」と呼ばれる直属の部下を率いて、伊藤忠商事の総合商社化などに辣腕をふるった。[3]
1981年に相談役、1987年に特別顧問に就く。この間、中曽根康弘政権(1982年 - 1987年)のブレーンとして土光臨調委員などを務め政治の世界でも活躍した。1984年勲一等瑞宝章を受章。他にも亜細亜大学理事長、財団法人千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長、財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会名誉会長などの公職を歴任した。
2000年に伊藤忠商事特別顧問を退任。2007年9月4日午前0時55分、老衰のため東京都調布市の私邸において死去した。享年95。逝去後、従三位が贈られた。
2007年10月17日、築地本願寺において伊藤忠商事と亜細亜学園主催による合同葬が執り行われた。
シベリア抑留から帰還後、1958年に伊藤忠商事に入社する。入社3年目にして業務部長に抜擢(1961年)され、翌1962年取締役業務本部長、半年後に常務、1968年に専務、1972年に副社長、1977年に副会長、1978年に会長に就任する。帝国陸軍の参謀本部の組織をモデルにした「瀬島機関」と呼ばれる直属の部下を率いて、伊藤忠商事の総合商社化などに辣腕をふるった。[3]
1981年に相談役、1987年に特別顧問に就く。この間、中曽根康弘政権(1982年 - 1987年)のブレーンとして土光臨調委員などを務め政治の世界でも活躍した。1984年勲一等瑞宝章を受章。他にも亜細亜大学理事長、財団法人千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長、財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会名誉会長などの公職を歴任した。
2000年に伊藤忠商事特別顧問を退任。2007年9月4日午前0時55分、老衰のため東京都調布市の私邸において死去した。享年95。逝去後、従三位が贈られた。
2007年10月17日、築地本願寺において伊藤忠商事と亜細亜学園主催による合同葬が執り行われた。

上の続き【人物】
1979年、瀬島龍三夫妻を媒酌人として昭和天皇の孫・東久邇優子(東久邇宮稔彦王第一王子盛厚王の子)と伊藤忠商事社員との結婚式が執り行われることとなった。それを受けて、スリランカ大統領来日歓迎晩餐会が催された際、昭和天皇は瀬島龍三夫妻を特別に呼び、「瀬島は戦前戦後と大変御苦労であった。これからも体に気をつけて国家、社会のために尽くすように。それから、今度お世話になる東久邇の優子は私の孫である。小さいときに母(東久邇成子)と死に別れ、大変かわいそうな孫である。自分はこういう立場にいるので十分な面倒が見られず、長く心に懸かっていた。このたび立派に結婚することができ、自分も皇后も大変喜んでいる。どうか宜しくお願いする」という言葉を瀬島に贈った。これを聞いた瀬島は「陛下よりお言葉を賜ったことで、積年の苦労が全て吹き飛んだ」と周囲に漏らしていたという。東久邇優子の結婚披露宴には皇太子明仁親王、同妃美智子(現在の天皇、皇后)をはじめ全皇族が出席した。
1979年、瀬島龍三夫妻を媒酌人として昭和天皇の孫・東久邇優子(東久邇宮稔彦王第一王子盛厚王の子)と伊藤忠商事社員との結婚式が執り行われることとなった。それを受けて、スリランカ大統領来日歓迎晩餐会が催された際、昭和天皇は瀬島龍三夫妻を特別に呼び、「瀬島は戦前戦後と大変御苦労であった。これからも体に気をつけて国家、社会のために尽くすように。それから、今度お世話になる東久邇の優子は私の孫である。小さいときに母(東久邇成子)と死に別れ、大変かわいそうな孫である。自分はこういう立場にいるので十分な面倒が見られず、長く心に懸かっていた。このたび立派に結婚することができ、自分も皇后も大変喜んでいる。どうか宜しくお願いする」という言葉を瀬島に贈った。これを聞いた瀬島は「陛下よりお言葉を賜ったことで、積年の苦労が全て吹き飛んだ」と周囲に漏らしていたという。東久邇優子の結婚披露宴には皇太子明仁親王、同妃美智子(現在の天皇、皇后)をはじめ全皇族が出席した。

*ただし、瀬島自身は晩年、フジテレビの番組『新・平成日本のよふけ』の中で「瀬島機関」の存在そのものを否定、マスコミの作り話と語っていた。
注上>瀬島隆三の履歴です。は、>瀬島龍三の履歴です。の間違い。
はまかかさん、と言うように、戦後も中曽根首相のブレーンを務め、何より昭和天皇本人より絶大な信頼を受けている事実を考えると、瀬島龍三の東京新聞でのインタビューは信じられると確信します。
≫仮に本当だとしてもこの人は好きになれないですね。>私も瀬島は嫌いです。731部隊との関係も挙げられているからです。≫なんかしゃべりすぎではないですか?逆に信用できない人物のような気がします。あくまで印象ですが。≫信用はあると思います。履歴を見ても。信用が無ければ就けない要職に就いているからです。
注上>瀬島隆三の履歴です。は、>瀬島龍三の履歴です。の間違い。
はまかかさん、と言うように、戦後も中曽根首相のブレーンを務め、何より昭和天皇本人より絶大な信頼を受けている事実を考えると、瀬島龍三の東京新聞でのインタビューは信じられると確信します。
≫仮に本当だとしてもこの人は好きになれないですね。>私も瀬島は嫌いです。731部隊との関係も挙げられているからです。≫なんかしゃべりすぎではないですか?逆に信用できない人物のような気がします。あくまで印象ですが。≫信用はあると思います。履歴を見ても。信用が無ければ就けない要職に就いているからです。

≫この人は天皇に責任が全部あるといっているんでしょうか?細かいニュアンスが読み取れないので難しいですけど。>晩餐会の出来事を見ても分かるように、瀬島は天皇を敬愛していた。だから天皇に責任があるとは言っていない。ただ自分が経験した事実を答えただけなのだ。≫この人自身責任逃れしようとしてはいませんかね。>これも無いだろう。言ったように、ただ経験した事実を答えただけなのだ。
【瀬島龍三インタビュー】
【東京新聞出版社が平成7年5月13日に出版した、東京新聞・戦後50年取材班編が出した、「元大本営参謀の太平洋戦争・瀬島隆三インタビュー」である。この27ページから抜粋して書く。
聞き手・東京新聞編集局長佐藤殻、同局次長酒向安武、経済部記者大沢賢
【昭和天皇の実像】
― 「参謀本部」というと何かいかめしい、近寄りがたい感じがします。明治憲法(大日本帝国憲法)では統帥権が独立しており、軍隊は天皇に直属し、参謀総長は天皇を補佐する立場にありました。瀬島さんは参謀本部に入られて昭和天皇の実像に接する機会が多かったかと思いますが、実際に天皇と参謀本部のつながりはどんな具合になっていたのでしょうか。瀬島さんは当時の「雲の上]の実情をご存じの、数少ない「生き証人」です。
【東京新聞出版社が平成7年5月13日に出版した、東京新聞・戦後50年取材班編が出した、「元大本営参謀の太平洋戦争・瀬島隆三インタビュー」である。この27ページから抜粋して書く。
聞き手・東京新聞編集局長佐藤殻、同局次長酒向安武、経済部記者大沢賢
【昭和天皇の実像】
― 「参謀本部」というと何かいかめしい、近寄りがたい感じがします。明治憲法(大日本帝国憲法)では統帥権が独立しており、軍隊は天皇に直属し、参謀総長は天皇を補佐する立場にありました。瀬島さんは参謀本部に入られて昭和天皇の実像に接する機会が多かったかと思いますが、実際に天皇と参謀本部のつながりはどんな具合になっていたのでしょうか。瀬島さんは当時の「雲の上]の実情をご存じの、数少ない「生き証人」です。

【瀬島氏】
私が参謀本部に参りましたのは、昭和14年11月。当時もう日支事変がおきておりましたから、参謀総長は毎日日参でしたね。私はその際の上奏文の起草、それと下問奉答資料をつくる任務をしばらくやっておりました。当時、軍隊を動かす時は必ず陛下の御裁可が必要で、これなしには一個中隊さえ動かすことは出来なかった。陸軍大臣、参謀総長だけでは、日本から満州へ、あるいは満州から日本へ軍隊を移動させることは、一切できない仕組みになっていたのです。参謀総長は拝謁(はいえつ)して奏上し、ご下問にお答えする。そして、御了解を得た上で命令文を別途に侍従武官を通じて提出し、御著名をいただく。それが1つの作戦業務でありました。
私が参謀本部に参りましたのは、昭和14年11月。当時もう日支事変がおきておりましたから、参謀総長は毎日日参でしたね。私はその際の上奏文の起草、それと下問奉答資料をつくる任務をしばらくやっておりました。当時、軍隊を動かす時は必ず陛下の御裁可が必要で、これなしには一個中隊さえ動かすことは出来なかった。陸軍大臣、参謀総長だけでは、日本から満州へ、あるいは満州から日本へ軍隊を移動させることは、一切できない仕組みになっていたのです。参謀総長は拝謁(はいえつ)して奏上し、ご下問にお答えする。そして、御了解を得た上で命令文を別途に侍従武官を通じて提出し、御著名をいただく。それが1つの作戦業務でありました。




てつさん>『インチキ極まりない、これ以上卑怯な改ざんは無いことをやっているから、いつまで経っても侵略したアジアの人たちが、「日本人は侵略戦争を謝れ!」と言ってくるのです。』
≫事実確認もせず、とりあえず謝って賠償金も支払っているにも関わらずいつまでも謝れといってきていますよね?中国と韓国は。これはたかりといわれてもしかたないのでは?>事実確認をしていないのは我々日本人のほうです。中国も韓国も体験した本人や遺族、殺された白骨遺体など事実を日本に突きつけて抗議しています。
≫あなたの言うアジアはどこの地域を指すのですか?いわゆる特定アジアのことですか?>いわゆるアラブなどのアジアは含まれません。中国・朝鮮半島を含んだ主に環太平洋です。
≫中国と韓国以外に執拗に謝れと言ってくる国は有るのでしょうか?
まず朝鮮。それからフィリピン人の従軍慰安婦等、個別に裁判で日本を訴えています。中国・韓国朝鮮が執拗に言ってくるのは、韓国朝鮮は日帝36年の植民地支配。中国は、南京大虐殺、731部隊等、日本兵の虐殺の度合いが酷く、他の侵略した地域に比べて犯した罪が深く大きいから執拗に言ってくるんだと思
≫事実確認もせず、とりあえず謝って賠償金も支払っているにも関わらずいつまでも謝れといってきていますよね?中国と韓国は。これはたかりといわれてもしかたないのでは?>事実確認をしていないのは我々日本人のほうです。中国も韓国も体験した本人や遺族、殺された白骨遺体など事実を日本に突きつけて抗議しています。
≫あなたの言うアジアはどこの地域を指すのですか?いわゆる特定アジアのことですか?>いわゆるアラブなどのアジアは含まれません。中国・朝鮮半島を含んだ主に環太平洋です。
≫中国と韓国以外に執拗に謝れと言ってくる国は有るのでしょうか?
まず朝鮮。それからフィリピン人の従軍慰安婦等、個別に裁判で日本を訴えています。中国・韓国朝鮮が執拗に言ってくるのは、韓国朝鮮は日帝36年の植民地支配。中国は、南京大虐殺、731部隊等、日本兵の虐殺の度合いが酷く、他の侵略した地域に比べて犯した罪が深く大きいから執拗に言ってくるんだと思



てつさん、『>でもそれより黙っていて何もしないと、「虐殺など無い」という卑怯な日本人によって歴史が改ざんされてしまいますからね、黙っているわけにはいかないのでしょう』
≫むしろ、黙っていて何もしないと、「虐殺が有った」という卑怯な中国人によって歴史が改ざんされてしまいますから、右翼と言われる人達は黙っているわけにいかなくなったのでしょう>←こういうことをいうので日本人は卑怯だと言うのです。私の言う「卑怯な日本人とはあなたの事です。」
『>日本軍人を自己批判をしていない為』
≫他人でしょう?あなたは日本軍人だったのですか?>他人でも虐殺した血が僕にもあなたにも流れている。だからその血を断ち切るために日本軍人を批判するのです。批判とは分離する行為だからです。
≫天皇には戦争による死者(戦死、補給途絶による餓死・病死、空襲・原爆の犠牲者、沖縄やサイパンのような戦闘に巻き込まれて亡くなった住民)に対する倫理的な責任はあるように思います。しかし、法的な責任は無いように思います。残念ながら。>道義的責任があります 。
≫むしろ、黙っていて何もしないと、「虐殺が有った」という卑怯な中国人によって歴史が改ざんされてしまいますから、右翼と言われる人達は黙っているわけにいかなくなったのでしょう>←こういうことをいうので日本人は卑怯だと言うのです。私の言う「卑怯な日本人とはあなたの事です。」
『>日本軍人を自己批判をしていない為』
≫他人でしょう?あなたは日本軍人だったのですか?>他人でも虐殺した血が僕にもあなたにも流れている。だからその血を断ち切るために日本軍人を批判するのです。批判とは分離する行為だからです。
≫天皇には戦争による死者(戦死、補給途絶による餓死・病死、空襲・原爆の犠牲者、沖縄やサイパンのような戦闘に巻き込まれて亡くなった住民)に対する倫理的な責任はあるように思います。しかし、法的な責任は無いように思います。残念ながら。>道義的責任があります 。
ossanzettoさん、お答えしましょう。それからredpurge、これは君への答えともなるので自分への答えだと思って読んでもらいたい。
≫Coffee殿のブログから飛んできましたが、
瀬島インタビューのどこに天皇陛下が直接戦争の指揮
を執った証拠があるのか、不明なので明らかにしてください。>
>瀬島インタビューのどこにヒロヒト天皇の直接戦争の指揮を執った証拠があるかですが、それは、まず、
【当時、軍隊を動かす時は必ず陛下の御裁可が必要で、これなしには一個中隊さえ動かすことは出来なかった。陸軍大臣、参謀総長だけでは、日本から満州へ、あるいは満州から日本へ軍隊を移動させることは、一切できない仕組みになっていたのです。参謀総長は拝謁(はいえつ)して奏上し、ご下問にお答えする。そして、御了解を得た上で命令文を別途に侍従武官を通じて提出し、御著名をいただく。】と言う所と、
≫Coffee殿のブログから飛んできましたが、
瀬島インタビューのどこに天皇陛下が直接戦争の指揮
を執った証拠があるのか、不明なので明らかにしてください。>
>瀬島インタビューのどこにヒロヒト天皇の直接戦争の指揮を執った証拠があるかですが、それは、まず、
【当時、軍隊を動かす時は必ず陛下の御裁可が必要で、これなしには一個中隊さえ動かすことは出来なかった。陸軍大臣、参謀総長だけでは、日本から満州へ、あるいは満州から日本へ軍隊を移動させることは、一切できない仕組みになっていたのです。参謀総長は拝謁(はいえつ)して奏上し、ご下問にお答えする。そして、御了解を得た上で命令文を別途に侍従武官を通じて提出し、御著名をいただく。】と言う所と、

瀬島氏【前日奏上したことと、ご下問に対する答えが合わないと、それをご指摘になるのです。「よきに計らえ」式にやっておられるように思われがちですが、全然違うのですね。】
>これを解説すると、全ての軍隊はヒロヒト天皇の許可無く動かす事はできなかったとある。そしてヒロヒト天皇は、「よきに計らえ」しこではなく科学者の性格もよるのか、細かく質問して、その答えが前日と違う時はそれを指摘する等の、全てを把握して、了解の著名をしていた、ということだ。それは、明治憲法第55条の『 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責メニ任ス
凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス』という、天皇が、国務大臣の輔弼(輔弼(ほひつ)は、大日本帝国憲法の観念で、天皇の行為としてなされ、あるいは、なされざるべきことについて進言し、その全責任を負うこと。)のイメージをくつがえす姿である事が分かる。即ち、ヒロヒト天皇は、国務大臣(軍参謀総長)の助言を受けて天皇としての行為をしていたのではなく、むしろ、自分が国務大臣(軍参謀総長)を動かしていた、ということが分かるのである。
>これを解説すると、全ての軍隊はヒロヒト天皇の許可無く動かす事はできなかったとある。そしてヒロヒト天皇は、「よきに計らえ」しこではなく科学者の性格もよるのか、細かく質問して、その答えが前日と違う時はそれを指摘する等の、全てを把握して、了解の著名をしていた、ということだ。それは、明治憲法第55条の『 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責メニ任ス
凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス』という、天皇が、国務大臣の輔弼(輔弼(ほひつ)は、大日本帝国憲法の観念で、天皇の行為としてなされ、あるいは、なされざるべきことについて進言し、その全責任を負うこと。)のイメージをくつがえす姿である事が分かる。即ち、ヒロヒト天皇は、国務大臣(軍参謀総長)の助言を受けて天皇としての行為をしていたのではなく、むしろ、自分が国務大臣(軍参謀総長)を動かしていた、ということが分かるのである。

また、
【【瀬島氏】
例えば、戦争が始まってから全アジアの軍から毎日電報が入ります。「軍事機密至急親展」という赤い判子のついてある電報が一番重要な電報。それは大体、参謀総長宛に各軍司令官から来ます。この電報は夜遅くても、参謀本部の将校が宮中の当時の侍従に届けることになっていました。ある時、陛下が御寝所に入られたということで届けなかったところ、おとがめがありましたね。 】
>という箇所を見ると、ヒロヒト天皇は、参謀総長宛の「軍事機密至急親展」という一番重要な電報を、毎日見ており、ヒロヒト天皇が寝所に入ったことで届けなかった時はそれをとがめた、と言っている。このことからも、ヒロヒトが、毎日情報を受け取って、分からない所は質問して、戦争の状況を完全に把握していたことを示している。
これらのことから、『ヒロヒトが常に直接戦争の指揮を執っていたことが伺える。
【【瀬島氏】
例えば、戦争が始まってから全アジアの軍から毎日電報が入ります。「軍事機密至急親展」という赤い判子のついてある電報が一番重要な電報。それは大体、参謀総長宛に各軍司令官から来ます。この電報は夜遅くても、参謀本部の将校が宮中の当時の侍従に届けることになっていました。ある時、陛下が御寝所に入られたということで届けなかったところ、おとがめがありましたね。 】
>という箇所を見ると、ヒロヒト天皇は、参謀総長宛の「軍事機密至急親展」という一番重要な電報を、毎日見ており、ヒロヒト天皇が寝所に入ったことで届けなかった時はそれをとがめた、と言っている。このことからも、ヒロヒトが、毎日情報を受け取って、分からない所は質問して、戦争の状況を完全に把握していたことを示している。
これらのことから、『ヒロヒトが常に直接戦争の指揮を執っていたことが伺える。

≫いつ、いかなる時の作戦を陛下が立案し、実行させ、
その首尾と事後フォローがどうされたのか具体的に示して
下さい。>
については
【【瀬島氏】
陛下は科学者でもありましたから、正確を尊ばれましたね。例えば、陛下が杉山参謀総長に「ソロモン方面の軍への補給はむずかしいようだが、今兵はいくらいるのか」とお尋ねになる。それは何個師団とかじゃなくて、何万何千かというお尋ねなんです。杉山総長がアバウトにお答えすると、「もっと正確な数字を報告せよ」とおっしゃる。それは次の拝謁の時に、もって行かなくてはならない。】
>と言う箇所を見れば、瀬島の『陛下が杉山参謀総長に「ソロモン方面の軍への補給はむずかしいようだが、今兵はいくらいるのか」とお尋ねになる。』という箇所がある。これは、この文の入り方からみて、杉山参謀総長がソロモン方面の報告をヒロヒトにしてからの質問というより、いきなりヒロヒトのほうから、杉山参謀総長にソロモン方面の質問を投げかけたことが分かる。
その首尾と事後フォローがどうされたのか具体的に示して
下さい。>
については
【【瀬島氏】
陛下は科学者でもありましたから、正確を尊ばれましたね。例えば、陛下が杉山参謀総長に「ソロモン方面の軍への補給はむずかしいようだが、今兵はいくらいるのか」とお尋ねになる。それは何個師団とかじゃなくて、何万何千かというお尋ねなんです。杉山総長がアバウトにお答えすると、「もっと正確な数字を報告せよ」とおっしゃる。それは次の拝謁の時に、もって行かなくてはならない。】
>と言う箇所を見れば、瀬島の『陛下が杉山参謀総長に「ソロモン方面の軍への補給はむずかしいようだが、今兵はいくらいるのか」とお尋ねになる。』という箇所がある。これは、この文の入り方からみて、杉山参謀総長がソロモン方面の報告をヒロヒトにしてからの質問というより、いきなりヒロヒトのほうから、杉山参謀総長にソロモン方面の質問を投げかけたことが分かる。



ただそれは、おそらく、『ソロモン方面に兵を増強しろ!』というような指示ではなく、杉山参謀総長が後から『何万何千です。』と答えると、毎日「軍事機密至急親展」を見ているので敵の情報も知っているヒロヒトから『敵は何万何千いるのであろう?我が軍は2万ほど少ないがそれで勝てるのか?』というような聞き方をして、杉山参謀総長が『それでは後1万ほど兵を送ることにします。』というような、ドイツのヒトラーが『ここに何万何千兵を送れ!』という指揮をしたのとは違って、杉山参謀総長に不備な所の質問を投げかけることで、【杉山自身が、自然と、『こうしなければ行けない』と思うような指揮を執っていたということだ。だから、表面的にはヒロヒトが指揮を執っているようには見えないのだ。】しかし実際は、【杉山参謀総長を通して、ヒロヒトは全軍を動かしていたのだ!】
そしてヒロヒトが独裁状態だった証拠は、【東京新聞出版社が平成7年5月13日に出版した、東京新聞・戦後50年取材班編が出した、「元大本営参謀の太平洋戦争・瀬島隆三インタビュー」である。この27ページから抜粋して書く。
聞き手・東京新聞編集局長佐藤殻、同局次長酒向安武、経済部記者大沢賢
【昭和天皇の実像】
― 「参謀本部」というと何かいかめしい、近寄りがたい感じがします。明治憲法(大日本帝国憲法)では統帥権が独立しており、軍隊は天皇に直属し、参謀総長は天皇を補佐する立場にありました。瀬島さんは参謀本部に入られて昭和天皇の実像に接する機会が多かったかと思いますが、実際に天皇と参謀本部のつながりはどんな具合になっていたのでしょうか。瀬島さんは当時の「雲の上]の実情をご存じの、数少ない「生き証人」です。