【高校受験今昔物語】トップ層の受験事情(前編) | 理系女子の難関大受験記&親父のつぶやき

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子ども2人の受験監督を務めた50代親父が綴る受験日記です。
これから受験する方の参考になればとリアルな体験を余すところなく語ります。
今は、自分の趣味やつぶやきも書いています。
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私達の子供達は、2人とも中学受験と大学受験を経験していますが、中高一貫校であったため、高校受験をしていません。

 

一方で、私達夫婦は2人とも高校受験を経験していますが、中学受験と大学受験はしていません。

 

 

 

 

そのため、昔の高校受験事情は良く知っていますが、最近の高校受験事情は詳しくありません。

 

40年近く前の私が高校受験した頃の都内難関男子は下記の感じだった記憶しています。

 

最難関・・・筑駒

超難関・・・武蔵・開成(麻布は高校受験なし)

難関・・・早大学院・慶應義塾・慶應志木・筑付

上位・・・桐蔭学園・桐朋・早実

 

都立高校は当時はグループ制をとっており、住んでいる地区によって受験できる高校が決められていました。

 

私の住んでいる地域では、受験可能なグループ内最難関の都立高校でも上記に掲載した高校の滑り止め(もちろん、学費の問題で都立第一志望者も一定数はいましたが)で全落ちした場合に進学するといった都立が最も凋落していた時代でした。

 

都立高校の入試自体が簡単な基礎問題(現在と違い全校同一問題)で私立・国立上位校受験生であれば9割以上の得点は当たり前、都立に難関のイメージは全くありませんし、上位校とのW合格で都立進学者はレアでした。

(ただし、地域によっては西高など、一定の人気を維持していた高校もあったと思います。)

 

女子については、妻の聖子は都立しか受験しないというレアな家庭であったので当時の難関女子事情も全く詳しくないのですが、

 

 

 

 

1980年の中学入試難易度の掲載されているブログを発見しましたので、女子についても少し紹介します。

 

 

 

(偏差値の上がった女子中)

豊島岡  1980年東進:46→2020年四谷:70に上昇
吉祥女子 1980年東進:47→2020年四谷:61に上昇
鷗友女子 1980年東進:49→2020年四谷:61に上昇
頌栄女子 1980年東進:49→2020年四谷:61に上昇

 

(偏差値の下がった女子中)

跡見学園 1980年東進:61→2020年四谷:40に下落
三輪田学園1980年東進:58→2020年四谷:40に下落
山脇学園 1980年東進:56→2020年四谷:45に下落
桐朋女子 1980年東進:57→2020年四谷:37に下落

 

参考ですが、広尾学園の前身であった順心女子学園の1980年東進偏差値は40ですので豊島岡以上に上がったとも言えるかもです。

 

では、最近の高校受験はどうなっているのか?

 

私の興味としては、「最上位層はどの高校を選んでいるのか?」。

 

具体的には下記のようなものになります。

 

【男子】

・高校では開成辞退者が増えてきているとの記事を見かけるが、国立・都立・開成のダブル・トリプル合格者はどこに進学しているのか?

・国立・都立のW合格者はどこに進学しているのか?

・早慶附属校と進学校のW合格者はどちらに進学しているのか?

 

【女子】

・国立・都立のW合格者はどこに進学しているのか?
・慶應女子と進学校のW合格者はどちらに進学しているのか?

 

これらについて、貴重なデータを見つけましたので、次回紹介したいと思います。

 

結果は、衝撃で、私の予想とは異なるものでした。。。

(つづく)