義父と私の11年9ヶ月① | 永遠に悪夢の金曜日

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毎週金曜日に映画について投稿していますが、今回は身内に不幸があったため、映画を再見するなどの時間や気持ちの余裕がありませんでした。

 

ですので、今回は亡くなった義父について書くことにしました。

 

個人的なことなのでつまらないかもしれませんが、もし読んでいただけたなら幸いです。

 

 

義父と私の11年9か月

 


令和4年6月27日の早朝、肺がんを患っていた義父が亡くなった。

27日の4時7分、義母からの電話で飛び起きた。まさか…。


「お父さんね、亡くなっちゃった。病院に来れば会えるけど、来る?」
 

私はすぐに病院に駆けつけた。

 

私の家から病院までは車で10分。しかし、義父の容態とコロナの影響でなかなか面会が出来ず、やっと数日後には会えることになり、お互いに楽しみにしていたのに、こんな形で会うことになってしまうなんて...。


義父との大切な思い出を忘れないために、いろいろ記録しておこうと思う。


結婚前に義父と初めて会った時、スラリとした体型とやや洋風で強面のルックスから「外国の俳優さんみたいだなぁ」と思った。義父は口数が少なく、あまり笑わず、一緒にいると少し居心地が悪い感じがした。


結婚前の挨拶に、義父母が私の両親に会いに東京まで来てくれた。その時、義父は私の父に

 

「何があっても(私)さんを守ります」

 

と言ってくれた。私の両親は義父母の誠実さ・優しさを感じ、とても喜んで送り出してくれた。


約11年前、東京から九州に移住し、夫の実家から車で15分ほどの所に住んだ。

 

引っ越しから数日後、まだ荷解きも終わらない中、義父母が夫のことでお参りした神社にお礼に行くので、一緒に行ってほしいと言ってきた。正直、引っ越しの片付けをしたかった私は「なんで今?落ち着いてからにしてよ!」と内心思ったが、結局断れずその日は丸一日、義父母とドライブになった。相変わらず、口数の少ない義父だった。



引っ越し後、私たち夫婦は生後2ヶ月のチワワを迎え入れた。義父はこのチワワを溺愛した。犬に会いたいのか、頻繁にウチに来るようになった。そのお陰で徐々に会話が増えるようになった。しかし、困ることも。それは、自営業の義父がなんの連絡もなく、昼夜構わず突然に来ること。


夜8時過ぎ、私の入浴中にチワワが吠えた。気になりお風呂から上がり、しばらくすると携帯がなった。義父からだった。


「今行ったのに、出てこんやった」
 

入浴していたから、と謝った。
それからは、来るか来ないかわからない義父のため、夜9時までは入浴しなくなった。



義父が連絡なく来るので気が抜けない、正直困ると夫に話すと、夫が義父に話をしてくれた。

 

後日、義父から

 

「急に来られたら困るって言われたけど、どういうこと?」

 

と聞かれてしまった。


私は「私が、お父さんが来るならもっと家を綺麗にしておくのにって(夫)に話したからかなぁ」と誤魔化し、「いつでも来ていいですよ」と言ってしまった。
案の定、その後も義父の無連絡での来宅は続き、義父は徐々におしゃべりな人へと変わっていった。



義父母とドライブに行った時のこと。車中、義母と私は楽しくおしゃべりをしていた。
高速道路を走っていた義父は、間違えて出口を通り過ぎてしまった。


そして一言。

 

「(私)さんが喋ってるから気を取られて間違えた」


えっ!?私のせい??いやいや、ちょっとちょっと!!

手柄は自分、失敗は人のせいにするところもある、ちょっと厄介な義父であった。



ここまでのことを読むと、義父と私の関係はあまり上手くいっていないように思われるかもしれないが、そんなことは全くなく、ドライブや買い物に行ったりと仲良くやっていた。

 

 

九州に引っ越してしばらくした時、私たち夫婦は飲みにいき、深夜に大喧嘩をした。九州に知り合いもなく、行き場のない私は、義母に電話をかけ、深夜2時に愛犬と共に夫の実家に行った。酔っ払って泣きながら事情を説明する私に、義父母はとても優しくしてくれた。そして、自分達を頼ってくれて嬉しいと言ってくれた。


翌日、迎えに来た夫は義父母からかなり叱られたが、私が義父母を頼ったことをとても喜んでいた。友人からも、相手の実家に帰るなんてあり得ないと驚かれたこのエピソードは、長らく夫の語り草となった。



ある日、義父母と地域のお祭りに行った。顔の広い義父母に声をかけてくる人は多く、その中の1人がこう言った。
「あー、これがいつもどこにでも着いてくるお嫁さん?」
私はすかさず「そうなんです。どこにでも着いてっちゃう嫁です」と答え、義父の顔を見た。
そこには、バツが悪そうに笑う義父がいた。


何故なら、一度も私から一緒に連れて行ってと言ったことはないからだ。
それを見ていた義母が後から、義父は私が一緒に出掛けてくれることが嬉しく、近所の人に自慢していたと教えてくれた。



そんな時間を過ごしていくうちに、義父はいろいろな愚痴を私にこぼすようになった。

 

野菜や果物などをお裾分けすることを口実にちょくちょく話をしに来ていたが、ある時はなんとかウチに来る口実を作ろうとしたらしく、頂き物のフィナンシェを2個だけ持ってやってきた。手ぶらでは愚痴を聞いてほしくて来たことがバレると思ったのだろう。そんな可愛いところもある義父だった。



そんな義父とのこんなエピソードは、到底ここには書き切れないほどたくさんある。


(つづく)