それぞれの“憤り” | 「あとは緩和」といわれたら

「あとは緩和」といわれたら

少量抗がん剤治療(がん休眠療法)で
元気に長生きを目指す ー

がん専門病院での治療が終了し,緩和ケア外来を紹介された

患者さん.担当緩和ケア医師との面談で要点は以下のごとく.

 

・標準治療が終了した後,患者さんがどのような治療,

 代替療法をやろうとも構わない.

 内容は,一切報告しなくていい(興味なし).

・まぁ,何やるにしても患者さんの自由なので,

 がんの進行で,体調が悪くなったら対応します.

・延命に繋がらない標準から外れた診療を,患者さんの

 弱みにつけ込んで自費診療で提供している医者がいる

 ことに“憤り(いきどおり)”を感じているとのこと.

 

まぁ,この緩和ケア医なりの“正義”故の“憤り”があるようだが,一方で,受診した患者さんは緩和ケア医の言葉に対して“憤り”

を感じている.

 

「なんでこの医者は,他に方法がないか探ろうとしないの

だろう?」と.

 

患者さんは,今行っている非標準治療で疾患制御が得られて

いることもあるだろうが,標準治療以外は全て“悪”もしくは

“認めない”とする医師の姿勢に対して自然と憤ってしまう.

 

本患者さんは,標準治療の完了と緩和ケアの間に生じる

「空白」領域にいるわけだが,

(世の中的にはこの「空白」は存在しないことになっている)

 

同じ緩和ケア医でも,この「空白」の存在に気が付き,

その領域での治療を何とかしたい・・・と奮闘している

ケアタウン小平クリニック名誉院長の山崎章郎医師の

ような方もおられる.

 

山崎医師は,自らIV期がんを患い,抗がん剤による標準

治療副作用のため途中で断念した経験から,この

「空白」を痛感したという.


同医師は,この「空白」領域に当てはめる,科学的に

(理論的・理屈上)説明の着くものを丁寧に調べて探し,

自ら追求するアクションを起こされている.

 

そして,私も私なりに“憤り”があるわけで・・・

何故に,この「空白」は,存在しないことになって

いるのか?標準治療と緩和ケアの初期からの連続性なる

ものが嘘であり,実情と大きく異なることを何故もっと

公にしないのか?あるいは嘘でも連続性があるようにして

おかなくてはならないのか?

 

そもそも標準治療は,個々の患者さんの多様性に対応

できるほど多様ではなく,十人十色の患者さんニーズに

対しての十分な対応に限界があるのは当たり前であろう.

(東京都知事ではないが,流行りのダイバーシティと

いうやつだ.)

ならば,その先知恵を絞りながら患者さんの多様性に

向き合うのも医師の努めであろうに・・・

 

また,患者さんは以下のようにもコメントされた.

「それぞれの医者なりに,何が患者さんにベストかという

自分の正義を主張しているのでしょうが,イデオロギーや

宗教・信条の違いに近いものを感じます」と.

 

患者さん達は,医者をよく観察している.

結局のところ,がん診療におけるそれぞれの“憤り”は

それぞれの“正義”のものさしの違いに起因する.