三河雑兵心得: 12 小田原仁義 | ギッコンガッタン 

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 植田茂兵衛の出世物語の第12段です。秀吉の天下取りは、着々と進んでしました。全国に惣無事令が出た今、日本中のほとんどの武将が秀吉に臣従しています。残るは、関東の北条氏のみです。秀吉は、北条領への駿河方面からの侵攻を家康に託します。

茂兵衛も従軍して相模の山中城へ進軍します。

 

 ただ、この戦いでは、家康軍だけでなく、秀吉の配下の武将も従軍しています。これに対しての気遣いも家康軍にとっては大きな攻城戦でした。山中城の城兵の抵抗は、それなりにあり、両軍の死者が二千名となる激戦でしたが山中城は、落城しました。更に家康軍は、韮山城の攻城戦となりました。

 

 韮山城の城主は、若き日の家康の同じ人質仲間で今川領時代の駿府で過ごしたいわゆる幼馴染の北条氏規でした。例によって家康は、猫なで声で茂兵衛に氏規を救えるように降伏をしてくれるようにと指令を出します。ただ、これは、北条側の問題と攻城軍側の問題があり苦しいものがありました。

 

 北条側の問題としては、氏規が秀吉との交渉担当であったため、固より裏切り者扱いされ主戦派に気を遣わざるを得ず、簡単に降伏がしにくい状態があることがあります。攻城側の問題としては、今回の戦で最後の手柄を望む将兵からすれば、大した戦闘がなく敵が降伏するのを歓迎しないと言う面がありました。

 

 数年前に少し話しただけの氏規との親しみでしたが、家康に無理やりに政治的な役割を押し付けられて困り果てる茂兵衛でした。いざ、氏規と対面した茂兵衛は、以前一度会っただけなのに、しっかり覚えてもらえていたため、氏規に好印象を持ちます。また、氏規は、内心では、降伏したい意志を見せます。

 

 しかし、なかなか氏規は、降伏しません。茂兵衛は、更に氏規の意志を確認します。その結果、家中の主戦派の城がある程度、降伏するまでは、まだ降伏できないという事でした。忠誠心もですが家を保つために必死の交渉をしていた苦労も知らず秀吉の犬と揶揄してきた主戦派への意地もありました。

 

 結局、一番の強硬派で名胡桃城事件を起こし秀吉の北条攻めを強行した北条氏邦の守る鉢形城が降伏しここに至り秀吉の間者とまで揶揄された自分も面目が立つとなり、氏規は、降伏します。遂に残るは、北条氏の本城である小田原城だけです。茂兵衛は、既に海からも陸地からも大きく囲まれている小田原城に驚きます。


 石垣山の一夜城と言う秀吉の奇策が聞き、小田原評定と言う決まらない会議をさす慣用句も生まれた全国統一の総仕上げとなった小田原城攻めは、秀吉方の大勝利に終わります。この際にかつての上司であった大久保直世が北条氏を油断させて秀吉への戦いを誘導する秀吉の策に加担していた事を知った茂兵衛は、驚きます。


 また、同時に家康の所領である三河遠江駿河甲斐信濃の5カ国が召し上がられ北条領をそのまま受け継ぎ144万石から250万石に加増となりました。そして、新しい関東の中心地は、小田原からまだ一寒村に過ぎない江戸になる事になる事が決まりました。北条氏は、開戦の責任者として氏政と実弟の氏照が打首となります。


 この氏政と氏照の介錯を氏規にさせると言うつまり、弟に兄の打首をさせると言う酷い裁定を秀吉は、下します。氏規は、この後で自害するだろうと読んだ家康は、それを防ぐ役割を茂兵衛に託します。実際、案の定で氏規は、介錯後に自害しようとします。茂兵衛は、必死にそれを止めることに成功します。


 その後に氏規は、高野山に送られる事となり、茂兵衛は、その護送の任務につく事となります。途中の道で茂兵衛の一団は、賊に襲われます。この際に長年苦楽をともにしてきた義弟の辰造が左腕を失う傷を負います。茂兵衛は、辰造の手当が出来る寺へ行きました。そこで死んでいたと思っていた綾女と再会します。


 以上が、あらすじです。今回は、久しぶりに戦闘シーンの描写が印象的でした。例によって家康が笑いながら茂兵衛をこき使います。ただ、それを苦しみながらも家康に心中文句を垂れながらこなす茂兵衛の働きぶりが相変わらず健気です。そして、秀吉の狸ぶりと秀吉の臣下達の下品さを福島正則を通じて見事に描いています。


 一番の印象的に思えたのが北条氏が氏政も含めてみんな人柄の良さがよく出ている事です。それ故に秀吉や家康そして、その影で働いていた忠世などの狸ぶりがよく伝わり、北条氏の良さが余計に引き立つように思えました。これで1巻から13巻まで全てつながりました。最新巻の14巻も買いました。これを読むのが楽しみですね。