コロナ替え歌振り返り① | ギッコンガッタン 

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 コロナ替え歌が気づけば百曲目まできました。この節目に今までの振り返りをしてみる事にします。替え歌自体は、今後もやって行きたいとは、思いますが、ちょっとネタ探しに疲れていますのでしばらく振り返りを主にやって行く事にします。

 まずは、コロナ替え歌に気持ちが行ったのは昨年の夏のことでした。もう、いい加減にコロナ禍と言う茶番に嫌気がさしたのです。そんな中、8月の終わり頃に不意に思いつき憂さ晴らしに始めるようになりました。これからは、その節目の曲を振り返ってみます。今回は、最初の曲から50番目までです。

 

 

 

 記念すべき一曲目は、「戦争を知らない子供達」の替え歌でした。私も大学生の子供がいてリモート講義や学園祭の中止などがあり、感じいる所があり作ったものでした。8月は、終戦の月であるのでどこからか、流れていたこの曲を聴き思いついたのでした。

 

 

 

 10曲目は、「もしもピアノが弾けたなら」の替え歌です。この歌は、もしもと言うタイトルからなんとなく入りやすい印象がしていた曲でした。ただ、いざとやってみるとかなり苦しかった曲でした。イメージ的には、コロナ禍が明けたらここまでの憂さを晴らしたいと言う気持ちから発生した替え歌でした。

 

 

 

 20曲目は、アニメの「バビル二世」のオープニングテーマの替え歌です。私は、ようつべで昔のアニメや特撮者の歌を探し聞くのが好きです。そうしているうちにこれは、コロナを主人公にしてコロナ禍を酷くしたメンツを下僕にすればハマりそうと思い作りました。

 

 

 30曲目は、「ダンシング オールナイト」の替え歌です。私の旧友がギターが上手くちょうどその頃、彼がこの曲を演奏していたのを見てなんとなく思いつきました。自称専門家達の節操なさを歌ったものです。中学生時代大好きな曲だったので替え歌を作りながら楽しかったです。

 

 

 40曲目は、「何も言えなくて夏」の替え歌です。この曲は、バブル時代に良く聞いていた曲で思い入れはありました。原曲の主人公が心を病んで自らを崩してしまい恋人から捨てられる様子とコロナ政策に迷走して行く政治家の姿がどこか重なる感じがして作った替え歌です。

 

 

 50曲目は、「スーダラ節」の替え歌です。この替え歌を書いたのは、大晦日でした。年末の残り数日でここでもう少し頑張ればコロナ替え歌50曲目となることが分かり立て続けに作った曲でした。コロナ政策がずれて滑りまくっている様子を書いてみようと思いついた曲でした。