9月8日(日)☀ 32.8℃ 🌄 5:24 🌇 18:03 静岡
今回も 静岡県浜松市 でのお散歩です。🤠
9月に入ったというのにまだまだ 暑い日 が続きますが、それでも吹きつける風に 冷たさ も混じるようになって、真夏 ☀️🥵 のお散歩よりはラクに感じるようになりました。 やっとですね
今回は、先日のお散歩で急な便意を助けて頂いた 『 イオンタウン浜松新橋(にっぱし) 』のご近所にある 『 ファミリーマート浜松新橋南店 』からのスタートです。 この場所までは 弟 の車で送られてきました。
米津東若林線 🚗 を北方向へ進み、突き当りの『 東海道 』との交差箇所には、以前ご紹介をした『 二つ御堂 』があります。
800年ほど昔、京都にいた 奥州 平泉 (岩手県南西部) の城主・ 藤原秀衛 が 病に倒れ、大病であることを聞いた 愛妾(あいしょう・めかけ) は 京都 へ向かう途中、ここで飛脚より 秀衛 公の 死去 の知らせを聞き (誤報) 、その菩提をともらうために 北の御堂 ( 阿弥陀如来 ) を建てた。一方、京都の 秀衛 公 は病気が回復し、帰国の途中にその話を聞いて 愛妾 への感謝の気持ちを込めて 南の御堂 ( 薬師如来 ) を建てたというお話を、以前しましたね。
過去記事⇒
南の御堂 ( 薬師如来 )
北の御堂 ( 阿弥陀如来 )
こちらも以前と同じ道になります。🤠
なので、また 新幹線 を待って パチリ。 😙
翌9日、テケテケを東京へと導く 浜松駅 13時17分発の 『 ひかり506号 』が偶然にも写真に収まりました。
先日はこの跨線橋から『 JR東海 』さんの 『 西伊場 第一・第二踏切 』を経由して『 浜松工場 』方面を目指しましたが、今回はその手前、『 堀留川 』に沿って歩きます。
そして、『 東海道新幹線 』と『 浜松工場 』の間に挟まれる形で 東西約 500m の直線状 にあるのは『 伊場(いば) 遺跡公園 』で、弥生時代の環濠 (堀) や、奈良平安時代の建物 (古代の役所・郡衙ぐんが ) 跡が復元されています。
平屋建物
復元された奈良〜平安時代の 堀立柱(ほったてばしら) 建物群。『 掘立柱建物 』とは、地面に穴を掘り、柱を支える石 (礎石) を用いず、そのまま 柱(ほったてばしら) を建て地面を底床とした建物をいうそうです (Wikipedia) 。
高床式倉庫
約1500年前(古墳時代) から1000年前(平安時代) までここには 小川 が流れていたようで、大溝の中からは 土器や木製品のほか、貝殻などの食べかす・まじないの道具・更には付近に役所があったことを示す木簡 (墨で字を書いた木の札) が大量に発見されて全国的に注目されたそうです。
弥生時代の環濠
約1900年前 (弥生時代後期) に村を外敵から守るために掘られた 濠 (堀) 跡。
堀留川 (運河)
JR東海 浜松工場
そして、次なる目的地へ。🤠
『 灯籠 (とうろう) 坂』と名付けられたこの坂、かなりの急勾配で、「 倒木や落木 に注意 」とありましたが、そもそも「 崖崩れ 」が心配になるレベルに感じました。
『 三組地蔵 』との表記を見て、小学校との関わりを連想してしまいましたが、「 三組 」は 町名 で、「 みくみ 」と読むようです。 付近の 「 心造寺 」の 住職名 で、このお地蔵さんは合掌をして私たちの「 良い心 」をおがんでおり、お地蔵さんの合掌に恥ずかしくない 良い心 をいつまでも持って 育てていきたい と記されておりました。
そして、次に見えてきたのは『 浜松城 』です。
テケテケは 戦国史 には詳しくありませんが、少しお勉強をしてみましょう。
『 浜松城 』は 1568 (永禄11) 年、三河国 (現在の愛知県東半部) から東進し、駿河国 (静岡県中部) 今川領 の制圧を開始した 徳川家康 が、武田信玄 の 侵攻 に備え、遠州 (静岡県西部) 一帯を見渡せる「 三方ヶ原 (みかたがはら) の丘 」に着目、この地を 天下統一 の足がかりとしたそうです。
浜松城 の 城郭 は南北約500m、東西約450m。1873 (明治6) 年の『 廃城令 』により『 浜松城 』の建物や土地の払い下げが行われたものの、本丸 の一部は大きな開発を免れて、1950 (昭和25) 年の「 浜松城公園 」開設、1958 (昭和33) 年に鉄筋コンクリート製の 復興天守 が再建されたそうです。
天守閣 から 浜松駅方向 を望む
若き日の 徳川家康公 像
父方の実家 として『 浜松 』には 幼少の頃 から訪れてはいますが、この地に足を運ぶのは たぶん初めてです。『 浜松城 』の存在を知ったのも最近でしたので来られて良かったです。( 幼少の頃で記憶がないのかも知れませんが )。
『 浜松城 』は 歴代城主 の多くが、後に江戸幕府の重鎮に出世したことから「 出世城 」といわれたそうですから、そこからの名付けかと思われますが、浜松市 の “福” 市長も務める イメージキャラクターの『 家康くん 』。毎週日曜日には、浜松城 で会えるそうですよ。🤠
『 家康くん 』のおっしゃる 自転車の停止位置、「 車道を走る自転車 」は『 車両 』なので、車道通行 が原則で 車両用の信号に従って 車道の左端に停止。 なんですが、なかなか浸透しませんよね。 家康くん、笑いごとじゃありません
この日のお散歩の最後に訪れたのが、『 浜松復興記念館 』
同館は、『 悲惨な戦争の記憶と復興の努力を風化させないために 』と 1983 (昭和58) 年の「 復興土地区画整理事業 」の完成を記念して 1988 (昭和63)年に開館した入場無料の展示スペースです。
浜松空襲 1945 (昭和20) 年6月18日のあと
実家のある新橋町付近は空襲を免れたようです
太平洋戦争開戦の日 と 終戦の日の新聞紙面
この日も 内容満載 のお散歩になりました。
この日のゴール、『 浜松駅 』に到着で〜す。
『 東京の暮らし 』ジャンルに属しながら、静岡県浜松市 での お散歩 が続いてしまいまして申し訳ありません。