初めての岡山女子一人旅・日本三名園と烏城 | ゆず×ぽんのてくてく・とことこ♡

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前回の続きです。

 

 

 

 

 

 

岡山駅の観光と言ったら

 

日本三名園の後楽園

そして、

烏城うじょうと言われている岡山城です

 

 

以前、金沢に行った際に兼六園に行きました。

その時の記事はこちら

 

もう30年ほど前ですが、水戸・偕楽園にも行きました。

 

これは制覇するしかない!!

 

と言うことで、まずは後楽園に参上爆  笑

 

 

入場料は、410円

シニア(65歳以上)は140円

高校生以下は無料だそうです

 

私は、岡山城にも行きたかったので

セット料金 640円を購入♪

 

 

江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されている。面積は14.4ha。

1687年(貞享4年)に着工し14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成した。岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。

 

終戦後の1947年(昭和22年)頃には進駐軍の宿舎として使用され、園内には花葉の池の北に25メートルプールが造られていた。進駐軍の撤退後は再び岡山県の所有となり、およそ2億円の費用を投じて園内を本来の景観に復元。1954年(昭和29年)6月1日からは有料として一般に公開されるようになった。1967年(昭和42年)に園内の全ての建造物の復元が完了し、後楽園は往時の姿を取り戻した。

wikipediaより抜粋

 

冬なので、寂し気な色ですアセアセ

 

園内、めっちゃ広い!

しかも私大好き、古い建物多くって

写真たくさん撮ったけど、とにかく紹介しきれない量笑い泣き

 

 

 

実はこのあたりで、雨がぽつりぽつりタラー

晴の国・岡山なはずなのにガーンガーン

 

しばらくすると、写真でもわかるぐらいの雨脚ゲッソリ

 

でも、安心してください(笑)

園内、何箇所かにこのような避難場所(笑)あります

 

 

 

こちらが藩主の居間として使われた延養亭です。

園内で最も重要な建物で、園内外の景勝が一望できる様に作られています。

戦災で焼失しましたが、昭和35年(1960年)に築庭当時の間取りに復元されました。

 

 

園内や周辺には、この様な趣のある茶屋があります。

時間があったら、入りたかったなぁ~

 

他に鶴さんがいたり、お茶畑があったり

川のせせらぎを聞きながら、のんびりする場所もあったり

ホント贅沢空間のお庭でした照れ

 

 

 

 

 

さて、傘雨もなかなか止まないので

室内を求め、日本百名城の岡山城へ向かいますダッシュ

 

 

 

 

今まで、岡山城を見たいと思ったことが1度もなかったんですが

岡山に行く!と決めたときに、お写真を拝見したら

別名・烏城と言われるこの岡山城の凛々しさに惚れましてラブ

絶対に行こうと決めていた場所です♪

 

 

珍しのが、天守の石垣や1階の平面が不等辺五角形ってことです。

なかなかない、お城の形です。

土台になった岡山の丘の地盤にあわせたためといわれています

 

 

 

尚、天守は1945年(昭和20年)の岡山空襲で焼失

今あるのは、1966年(昭和41年)に外観を復元したものです

※画像はお借りしました

上差しこれが戦災前の岡山城です

 

よく見ると、鯱小さくない!?驚き(笑)

 

 

 

 

こちら岡山城も、見るところがたくさん!

かなり端折って写真掲載させていただきますσ(^_^;)アセアセ...

こちら不明門(あかずのもん)

 

本段に上がる入口として防備を高めた大型の城門です。本段には藩主が暮らす御殿(江戸城でいう大奥)があり、限られた人しか入れませんでした。よってこの門は普段閉ざされ、それが名の起こりとなりました。江戸時代、藩主の移動は天守近くにあった渡り廊下で行われたといいます。

この門は明治時代に取り壊されましたが、1966年に外観が再現されました。

公式サイトから抜粋

 

これを抜けると

そびえたつ岡山城!

 

超カッコいいラブ

 

 

入場料は、400円
小・中学生は100円
未就学児は無料です。

残念ながら、こちらはシニア割は無しです。

 

後楽園と岡山城に行かれる際は

上差し上記で書きましたが、大人の方はセット割が170円お得です♪

 

 

 

 

1597年天守完成

戦国時代、備前国の戦国大名だった宇喜多直家が石山城を築きました。

それが岡山城の前身と言われています。

直家の死後、子・秀家が本丸を石山から隣接する岡山に移し、

岡山城の築城を開始(江戸時代の文献では豊臣秀吉の指示という。諸説あり)

同時に、城下町の整備も進められました。

 

尚、宇喜多直家の奥様の1人には、三浦家出身の円融院がいたと言う説があります。岡山と三浦半島繋がったww

 

その後、関ヶ原の戦いで宇喜多秀家は西軍の主力として出陣するも、敗戦。
小早川秀秋が二代目岡山城主となりましたが、その2年後に急死。

跡継なく小早川家はこの時に断絶となりました。

池田輝政と徳川家康の娘・督姫の子・忠継が三代目岡山城主となり

明治の時代の版籍奉還(全国の藩が、所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還)

が行われるまで、池田一族が長きにわたり城主を務めました。

 

天守は明治維新後も残る貴重な存在で、昭和初期には詳細な図面が残されましたが、戦災で焼失しました。しかし、1966年には、往事の姿を偲ばせる天守が再建されました。

岡山城公式サイトから抜粋、まとめさせていただきました。

 

 

天守最上階から、鯱拝めますお願い(笑)

 

なぜか桃も爆  笑

確実に、これは復元じゃなく後付けよね爆  笑

 

 

城内に飾ってあった甲冑姿のモデルさん(笑)

ポーズ決めてて、妙に愛らしいお姿指差し

宇喜多秀家の甲冑

「なんかあそこに、美味しいお店ありそう!」

小早川秀秋の甲冑

「男の背中、どうよ!!」

池田輝政の甲冑

「お腹空いたなぁ~何食べようかな♪」

 

 

って言ってる感じ(笑)

 

 

 

 

戦国時代は、あまり詳しくないので、

とてもお勉強になりましたグッ

 

 

 

 

城内、カフェもあったので

コーヒーを頂きますコーヒー

 

池田家の家紋

備前蝶付き紙コップ

 

こんな家紋があったのを知りませんでした照れ

カッコいい!!

 

 

 

 

 

 

暫しここでほっと一息おねがい

 

御城印も頂いてきました♪

 

 

 

外に出たら、青空戻ってきた!

 

 

 

晴れるとたちまち元気なゆずちゃん♪

 

そうなると・・・

お腹減った・・・(笑)

 

 

 

さて!遅めのランチに行ってきます爆  笑

 

 

 

続きはまたのちほど♪