カサンドラにならないアスペルガーとの関わり方 | ママの実践ギフテッド教育

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こんにちは。

 

ママの実践ギフテッド教育のHiromiです。

 

 

今日は、発達障がい、アスペルガーの家族と関わる家族のあり方について、私自身も参考になる記事があったのでシェアしますね。

 

こちら

 

 

ヤフーで取り上げられていたニュースなので期間限定記事として、後日、リンクは消されてしまうと思いますが、こちらの記事で取り上げているカサンドラは、アスペルガーの夫とカサンドラの妻の関係ですが、カサンドラは配偶者間の関係でなくても、アスペルガーの子供と母親といった親子関係でも見られます。

 

私の夫もそうなので、私もカサンドラになる可能性は大なのですが、この記事を見る限り、私はカサンドラではありません。

カサンドラがカサンドラに陥るポイントは、「私が悪いから、夫が治らないんだ。」「私が努力したら、彼も変われるはず」という思い込みです。

 

で・・・・私がカサンドラにならないのは、この思い込みがないからなんですよ。

 

 

そして・・・・私は、ギフテッド教育を通して、アスペルガーの長所も短所も心得ているので、おかしな期待もなければ、思い込みで自分を縛ることがありません。

 

 

私がギフテッド教育をみなさんに勧める理由のひとつは、人の特徴となる行動や思考の違いを知ることで、ギフテッドという傾向や能力が自分に当てはまらなくても、そういう人を理解する、知識を持つことで、自分がその人に合わせることができるようになる、他者との関わりが楽しくなるからです。

 

このスキルがあることで、私はアスペルガーの夫を変えようとかいうお見込みを持つこともなく、カサンドラには陥ることがなかったと言えます。

 

このことは、受講者様のお子さんについても同様です。

 

なんらかの”障がい”はあっても、それとは別に、そのお子さんの持つ特性が活かせるように持っている力を伸ばしてく。

 

私は、その人の障碍は治せませんし、また、それを変えるためのミラクルは起こせません。

 

ですが、その状態を受けいれていくこと、自分と向き合っていくことは教えることができます。

 

お子さんや配偶者がアスペルガーであるために、母親、妻が罪悪感を抱えて自分がなんとかしてあげなくては!と自己犠牲をしてまでがんばらなくても、その状態がその人の課題であり、自分の課題は、自分が乗り越えていくことで自分がハッピーになることなんですね。

それが最終的には、非AS者とAS当事者のためになります。

 

カサンドラという状態については、”妄想”として、現状では、疾患とは認められていないものですが、確実にそこにあり、それ自体が妄想だと言われることが一番の問題です。

アスペルガーの特徴として、知能の遅れはなく、逆に一部分が極端に発達していることで、自分の能力を過信しているために、他者を馬鹿にしたり、他者の感情を理解する思考が欠けているため、自分の欠けている部分について指摘されると不安を感じたり、怒りを感じてトラウマになったりしますから、関わる家族は、そこを懸念して、欠けている部分の障碍を指摘したり、刺激をしないように自分を我慢することが習慣となり、これが抑制になってしまうんですね。

 

そして、一人で問題を解決しようとがんばればがんばるほど、カサンドラとして重症になっていきます。

 

私が妻として至らないから、夫がちゃんとできないのだ。

 

私が母として至らないから、子供がちゃんとできないのだ。

 

私の努力が足らないのだ・・・・・

 

そんな言葉を自分に向けて、一日に何十回も唱えているので、どんどん心が重くなり、ネガティブな思考になってしまうのがカサンドラ症候群です。

 

カサンドラの何が辛いかと言えば、目の前にいる相手に向けて、どれだけ大きな声で叫んでも、その声が聴こえない、届かないこと。

 

それは、相手の聴覚に問題があって聴こえないとか、自分の声が小さい声しか出ないとかではありません。

 

周波数が違うんですよ!!😅

 

日本語を知らないイギリス人にどれだけ日本語で「これはペンです。」と大声で叫んでも、馬の耳に念仏よろしく、イギリス人には通じません。

 

言葉の意味がわからなくても、状況をみて、怪我をして血が流れている人が何か叫んでいたら、その言語がわからずとも、助けを求めていることがわかりますが・・・・AS者は、それを理解できないから問題であり、それが障がいになるわけですよ。

 

日常では特によく見かける会話、顕著な例として、AS者の男性が自分が熱を出したり、体調を壊すと、痛い、具合が悪いと大騒ぎしても

、妻が発熱して体を休めていても「いつ具合、良くなるの?俺、お腹空いたんだけど、なんか作ってくれない?」などの発言は、序の口です。

あまりここで取り上げると、AS当事者に対する偏見にもつながるので控えさせてもらいますが、基本的に自分の感情、思考、行動にしか目を向けらず、他人が同じ体験をしているときに共感できないことが障がいになったり、コミュニケーションスキルとして欠けている部分になります。

 

AS当事者が夫の場合、女性がサポートすることで男性は、自分の障碍について気が付かないし、世間も「それは男性だから仕方ない。」で聞き流し、非アスペルガーである妻の対応に問題があると逆に責めるのですから、妻の立場からみると、踏んだり蹴ったりなんです。

女性がAS当事者として、夫や子供の世話ができないと、母親らしくないとか、女性なのに掃除ができないなんて!と言われるのは、まったくもって偏見です。

 

また、お子さんがAS当事者の場合、親の躾けができていないと指摘され、母親が責められることで、母親は益々、自分を責めてカサンドラになっていくわけです。

 

文字には文字の伝え方があるように、言葉を話すときも、話して伝える方法があり、その方法も様々なので、周波数を合わせないことには、まずお話にならないわけですよ。

 

例えば、私の夫は、自分の伝えたいことが上手に表現できないので、自分にもイライラするのですが、夫の言いたいことがわからない私に対して、

 

「お前がバカだから俺の言う事がわからないのだ!」

 

というような言い方をしてきます。

 

この言葉だけをみたら、妻を馬鹿にするなんと酷い夫なんだろうという誤解をする人が多いと思うんですよ。

 

ですが、実際には、

 

私の脳内では、夫の言葉は、

 

「俺が言いたいことが言葉にできないよ、助けてくれ!」

 

と聴こえてくるわけです。

 

言葉はとても端的なので、普通の人にはわからないところですが・・・・

 

これが夫婦だと、合い(愛?)の手が入りましてね!

 

うふふ!

 

暴言として聴こえないので大丈夫なのよん!

 

まぁ・・・・夫の言いたいことを理解するのは、とても難しいし、私もいまだによくわからない意味不明な行動もたくさんありますが、夫とはもう四半世紀に渡って共に暮らしてますから・・・・それなりに、彼が言わんとすることは察することができるようにはなってきてます。

夫が変わるとか、変えることを期待するより、日々、私自身がいかに夫と関わるかが課題であり、夫の障碍が問題ではないのですよ。

 

だから、コミュニケーションとは、自分の言いたいことだけを一方的に伝えるのではなくて、相手と意思の疎通を交わし、自分のことも相手のことも理解しよう、受け入れようという思考そのもので成り立ちます。

 

コミュニケーションとは、自分や他人を責めるためのツールではなく、相互理解を伝える手段であり、その方法はいろいろあることを知りましょう!!

 

私はそこを熟知してきたので、カサンドラにはならなかったと思います・・・・

 

とはいえ・・・・どうなんでしょうね。

 

私は大丈夫!などと偉そうに豪語したところで、年を取って、この先、アルツハイマーや記憶障害になって、自分の理性が取れなくなれば、もしかしたら、それまで溜めていた感情や思考が爆発して、凄いヒステリー婆さんになる可能性は大ですからね。

 

人間は、自分で自分の世話ができなくなり、他者にお世話をしてもらうことを知り、感謝して精一杯生きるのが人の道というものです。

 

自分は立派に一人で何でもできるという驕りを捨てるためにね。

 

人は、そうやって成長するために、様々な困難を体験していくのだから、その困難を不幸と捉えるか、自分に与えられた課題として取り組み、感謝して生きるのか、それはその人の自由な選択であり、それが魂の霊格と呼ばれるものです。

 

最近は、霊格についてもいろいろな意見が出ていますが、現世ではだれもその世界を実証できないのがスピリチュアルな世界であり、また、それを理解しないからこそ、困難に取り組めるのが現世です。

 

霊格によって今の現世の生き方や一生が決定するんじゃなくて、人は霊格を成長させるために誕生しています。

 

だから、しつこく言いますが、人は幸せになるために誕生しているのです。

 

幸せになるために、さまざまな苦労が巡ってきます。

 

苦労というものが何もない人生に、喜びが感じられますか?

 

感じませんよ。

 

誕生していろいろな困難を体験し、自分が何をどう捉え、感じ、行動していくかで成長する、それが現世の意味というか位置づけだと私は考えてます。

 

ですので、喜怒哀楽は、どれもが大切で必要なものですから、怒り、悲しみ、憎しみ、不安といったネガティブな感情や思考を否定するよりも、それらの感情や状況について、自分がどれだけ自分と向き合い取り組めるかで人はいくらでも好きに、いくらでも自由に輝けるんですよ。

 

どうぞ、生きているうちに、精一杯、自分の光を輝かせてくださいね。

 

どの人も!!

 

どのお子さんも!!

 

 

 

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