こんにちは。
ママの実践ギフテッド教育のHiromiです。
ここ数年、東大出身の塾講師でタレントの林修さんがお茶の間で大変ご活躍されていますね。
塾のCMで
いつやるか?
いまでしょ!!
のあまりに有名な決めセリフは、日本全国の予備校生だけでなく、若者のやる気を発奮したと思います。
その林さんは・・・・人気が出てメディアに出る機会が増え、先日、頭の良い子は字が汚いということを仰っておりましたが・・・・・
タレントとしてのネタが無くなった苦し紛れだったのかしら??
コレ、林さんの伝えたい意図と違う形で民間には伝わると思います。
どう伝わるかというと、
「うちの子、字が汚いけど、頭が良いならまぁ、いいか!。」
↑のセリフでは一見、わが子を肯定することで、字が汚いからもっと練習しなさいと叱る親になるより、子供の字の汚さを受けいれる寛容な親という印象を持ちますよね。
現実的なことを言わせてもらいますが、それを”ネグレクト”と言いますからね!!
林さん・・・・・もしもし??
頭が良い子は、みんな字が汚いのではありませんよ。
ちゃんと子供を見て下さいよ!!
字の汚い子供が、成長して社会人になった後まで観察した結果で仰ってないでしょ??
頭の良い子でも、いろいろですが、この”字が汚い”とされるお子さんは、たぶん、ギフテッドの傾向のお子さんが多いと思います。
が!!
頭が良いから字が汚いんじゃなくて、情報が頭の中で散らかっているので整理整頓ができなくて、字も汚くなるだけです。
よって、それを良しとしてそのまま、字が汚いまま、大人になると、何事も整頓ができない、散らかっててもいいや、そのうち片づければ良いだろうという怠惰な思考、行動ががっちりと脳内で造られて、そのまま固まっていきますよ~。
そんでもって、そういう状態を”二次障がい”と呼びますけど、それで本人や周囲の家族は良いんでしょうか?
子供の時は、男の子だし、字ぐらい汚くても、誰にも迷惑かけないからいいやと流していたら、そういう行動が思考となって定着し、社会人になり、結婚して、仕事の現場で上手く馴染めず、会社を解雇されることを父親が繰り返していたら、奥さんや子供はどうでも良いって流せませんからね。
で、女の子でも、字が汚くてもいいやという子は・・・・・ほんと、社会人になってからも、掃除が嫌い、片付けが苦手ということで・・・・・まぁ、ゆくゆく、片づけられない女という汚名を着せられることでしょう。
ご存じない方のために教えておきますが、文字というのは、その人の性格すべてが出てきますからね。
見る人が見たら、その文字の癖で、どんな思考をし、どんな行動をし、どんな人生を送るのかが、あらまし見えちゃいます。
嘘じゃありません。
以前、私も自分の筆跡を見てもらったことがありますが、私の人間性から交流関係、普段の生活態度など、知られたくないことまですべてドンピシャリでびっくりしましたよ。
なんだか誕生してから40年以上の生活のすべて、思考のすべてを知らない人に見られたような錯覚でちょっと気分が悪くなってしまったほどです。
やっぱりね、字は、綺麗に上手に書くというより、丁寧に書く習慣だけはつけたほうが良いですよ。
親御さんは、自分が親として世間からどう思われるかを気にするよりも、まずは、お子さんが二次障がいとして生きていくことがお子さんの望みなのかどうか、そこをよく観察して、それでも本人が字が汚くても良いと変わることなく練習しないままなら、それは本人の意思として肯定していかれたらよろしいかと思います。
お子さんの意思は尊重してあげても、その意思を決定する前に、まず、字が汚いということがどういう状態なのかをよく理解させる必要は、親はあると思いますよ。
ここで学校の先生や書道の先生の責任にするのは、責任転換ですからね。
書というのはヨガと同じで、自分に向き合うための、己とは?をしっかり向き合わされます。
先生が〇〇してくれる・・・・ではないのです。
自分がどうしたいか、どういう反応をして、どんな行動をするか?です。
字が汚いというのは、通常、文字として認識できない、読みにくい文字ということです。
文字を書くことは、自分が伝えたい言葉を文字にして、だれかに伝えるためです。
その文字が他人に認識できないということは、せっかく伝えたい言葉が相手に伝わらないってことですね。
そうしたら、その文字・・・・・汚いままで良いと思いますか?
それが自分だから良いんだ・・・という思考になりますか?
もしもなるとしたら、それは問題でしょうね。
今、小学校、中学校で問題にならなくても、社会にでてから、そういう思考が問題になってきます。
それは、自分が自分を知るために、問題となって起こり、自分の課題になるのです。
林さんがどんな発言をされても責任はないでしょうから、お好きに発言されてもよろしいかと思いますが、子供の幸せなり、将来を親身に考える親にとって、そういう発言は鵜呑みにできません。
他人が自分の文字を読めなくても自分が読めれば良いという思考では、しょせん、自己中心のまま、自分の我という殻を破れないまま、大人になることでしょう。
こういう思考が発達障がいの二次障がいという状態になっていきますからね。
お子さんが発達障がいという思考をしていなくても、こういう思考が段々と行動になり、障碍を作り上げていくから、二次障がいになります。
せっかく自分が伝えたい考えや言葉があって文字にしているのに、他人に伝えなくてもいいやと他人を蔑ろにしているだけではなく、自分の思考を伝えることさえも放棄しているという、文字の汚さは自分を蔑ろにしているということなんですよ。
文字を書くのに手が使えなければ、人間は口や足を使って、練習次第で文字を書いたり、絵を描ける能力があるのだから、手や指に障がいが無いのに、字の汚さは頭の良い証などと言い訳している人は、とんでもない天狗だと思いますね。
きっとろくでもない大人になることでしょう。
ろくでもない人間とは、そういう子供本人の意思選択と親の躾けによって作られるわけです。
林さんは、ベートーベンの楽譜を引っ張り出してきて、頭が良い人は文字が汚いということを強調していますが、林さんは、音楽家でもないのに、なんでこんな知ったかぶりしちゃうのかなぁ。
林さんが予備校の教師の体験から、文字の汚さと賢さを語っても良いのなら、私も、わが子をヨーロッパのクラシック音楽教育の最高峰の音楽教育を受けさせてきた体験と、実在するその他のギフテッドの方々をみてきた体験で意見させてもらいますが、文字の汚さと賢さは関係ありません。
汚い、綺麗も、最初は、みんな字が書けない状態で誕生してますからね。
そして、文字が下手な子と上手な子の違いは、書く頻度が違うだけです。
ひとつ注意するのは、文字は、あくまで人に伝えるためということ。
日記のように、自分が自分に言い聞かせるために、自分の考えを言葉にして書くこともありますが、日記は誰にも読まれない、読まれないことが前提にあります。
日記というのは、自分が自分のためだけに覚書で書いてますから、自分だけが読むもので、他人に伝える目的はないんですよ。
だから、字を綺麗に書く必要がない、人に読まれないためにも、自分だけが認識できるような暗号や文字で書き記すのです。
字を綺麗に書いて誰にも読めるように書き記すのは、秘密の日記ではないわけです。
音楽家の楽譜や
作家の下書き、
画家や漫画家などの下絵などは、どれも乱雑です。
だって、自分が読む目的だけで書いているのだから当たり前です。
そういう目的の文字を持ち出して、頭の良い人は、字が汚いという結論は、分析が甘いと思います。
林さんは、タレントであり、学者じゃないから分析が甘いのは当たり前ですけどね。
ギフテッドの人は、字が汚いのではなくて、字を上手に書く必要のないときは手を抜き、文字を伝える手段として伝えるときは、ばっちりと伝えるための読める文字をちゃんと書きます。
書家の武田双雲さん・・・・文字、上手ですけど、頭も良い方ですよ。
それも上手だけではない、人を惹き付ける魅力のある文字を書きますよね?
これですよ!!
私のように長文をダラダラと書かなくても、双雲さんは、文字一文字でぐっと人を惹き付けることができます。
これがギフテッドの人の持つ”力”です。
文字を書くこと。
それは、私は誰?と自分に問い、
他者に向けて心を開き、自己をアピールすることなんですよ。
だから、その自分の思考、言葉、文字というものが上手く他人に伝えられるための手段は、しっかり身に付けさせておくことは、とても大事なことなんです。
お子さんがギフテッドだから、発達障がいだから、お子さんが〇〇のタイプだからと、タイプ別に分けて教育指導を受けてたら、子供lはいつまで経っても自分以外の人間の存在を受けいれられる思考が持てませんからね。
どの子も、自分の書く文字について、自分を丁寧に扱う=他人にも丁寧に接することを教えるのが教育でしょう?
ギフテッドだから字が汚くても仕方ないとか、文字が下手でも頭は良いのよねと言うのは、ただの優越感でギフテッドとは関係ありません。
森ガールも、小さい頃、文字が鏡文字で、文字が下手だったのですが、文字の練習というのは、自分の心にどれだけ丁寧に寄り添えるかどうかであり、上手に書くことではないと教えてあげなければ、子供はわからないのです。
わからないままでは、いつまでも成長できないのです。
成長しないというのは、チャレンジしたい気持ちがないわけで・・・・・
チャレンジがしたくありません、できませんというのは、ギフテッドの傾向ではない別の状態です。
お手本に習ってきっちり書くように教えるから、子供は文字を書くことに苦手意識を作ってしまいます。
お子さんには、自分らしい文字がどんな形なのか、そこを極めさせてあげて下さい。
お子さんの思考や知識がどれだけ深く発達し、素晴らしくても、文字として認識できないレポートを出して、減点されてがっかりするのは、お子さん本人ですからね・・・・・
自分が読めれば問題はない!という習慣を肯定しているようでは、どうやって予備校の生徒たちに日本語のニュアンスを指導できるのでしょうか?
それも林先生、国語が専門と来ているし・・・・・
国語の教師がメディアでそんな発言するのは、ちょっとおかしいです。
まぁね・・・・林先生だって、過去、一流企業の就職も辞めちゃったリ、商売をやってもことごとく失敗を重ねているわけで、やっぱり東大を出ていることと賢さは関係ないってことですから。
ただ、林先生もホリエモンさん同様に、失敗をたくさん重ねて工夫していくから、だんだんと成長していくわけで、成長していけば人は幸せになるんですから、あんまりね、頭が良いこととか、賢さ云々に拘る必要はないと思いますよ。。。
まぁ・・・・林さんがお茶の間でご活躍しているのは、”タレント”として、多少、盛った話をしないとお仕事にならないから、あえて、煽るために頭の良い子は字が汚いという発言をされていると思いますが、林さんの言葉を鵜呑みにして、お子さんの文字を汚いことを肯定し、放置させておくことは、私ならやらないです。
昔は森ガールも、字は汚かったのですが、その後、文字を書くことが大好きになりまして、私よりも上手な文字を日本語も英語も書いてますが、作曲したり楽譜起こしをしているときは、読めない字を書いてますが、万一、文字として読めても・・・・・書いている内容、私が理解できてませんので!
どっちもどっちってことですよ!!
世の中、お互いに持ちつ持たれつ、過ぎること、足らないこと、バランスを取ったり、取らなかったり、いろいろあるから面白いんですよ。
林さんの見解は、間違っているわけではないとは思いますが、あの説明の仕方では、国語の先生が伝えたい言葉にはなっていないと思いますね。
で・・・・塾講師が本業なら、日本語をしっかり教育することがプロなはず。
だけど、林さんの長所が一番活かされているのは、今、タレントでしょ??
何の芸があってタレントなのかが曖昧ですが、頭の良い子が文字汚い説は、信憑性のない情報です。
エンターテイメント的には、話題性のある発言かもしれませんが。
子育てに迷う母親や文字が下手で練習したくない子供を煽るのも、今なんでしょ?
私はそこで煽りませんからね。
受講者様より、お子さんの文字についても私はよくご相談をいただきますが、皆さん、きちんとお子さんに文字を丁寧に書くことを教えて、お子さんが徐々に書く楽しさを知り成長し、書道で賞をもらったとか、文字を綺麗に書く習慣をつけていらっしゃります。
いっつも丁寧に隙なく綺麗な字を書く必要はありませんが、人に自分の言葉を読んでもらう、自分の言葉を伝えるときは、丁寧に書く習慣、マナーを小さいうちから付けさせてあげて下さい。