結局こうなる・・・「天秤」と「crossroad」 | ぎっちょ31  

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蒼き時代より共に生きる

ウチの裏には野良猫が日々縄張り巡回してるので

バードフィダーを作った時には

外敵に襲われることがないようにわざわざ地上1.5mに空中レストランとして作りました

地べただとチョット油断したらすぐに飛び掛かられて命を落とすからね

 

そうやって、地上1.5mで食事をしてればイイのだが

前々から気になっていた

下が散らかり過ぎる

 

この写真でもチョット写ってるけど

下に落ちた餌がスゴイでしょ

 

まあ、「皮つき餌」なので

食べたあとの殻も多いのだが

実入りのままもかなり散らかっています

 

昔、文鳥を飼っていた時もそうでしたし

文鳥でも個体差で性格が違うので一概には言えませんが

文鳥も「皮むき餌」よりも「皮つき餌」のほうが好きなようなので

いつも「皮つき餌」を与えてました

くちばしの中でモゴモゴモゴ~ってして皮を剥きながら食べるんですね

 

そんで、これも文鳥の時もそうでしたが

このようないろんな種類がミックスされた餌は、好きなのを選るんですな

大概は細長く尖がった「カナリアシード」が好きです

 

大概はこんな感じで、栄養バランスと食い飽きもないようにミックスで入っていても

餌を与えたてで餌を選べるうちは、このカナリアシードを選って食ってました

くちばしでシャッ、シャッと跳ねのけてカナリアシードばかり選る

ちょうど「すき焼き」を作ったらまんべんなく取ればイイのに肉ばっか選って取るようなもんです

だからこんな餌入れだと

シャッ、シャッと跳ねのけた餌がバリバリこぼれます

 

こんなフルカバータイプの餌入れじゃないと散らかり放題になります(これも鳥の個体差&性格でも違いますが)

 

でも、ウチにいた最後の文鳥はこのフルカバーでもバリバリくちばしで跳ねのけてカナリアシードを選っていたのでフルカバーでも散らかっていました

13年ほども長生きして、高度1万mの貨物室にも乗り、実家に連れて帰ってからお袋がエサやりの時に逃がしてしまい、お袋が「ピピちゃん」「ピピちゃんおいで」と言いながら追っていったらパニック状態なのかどんどん逃げて行き、ヨソの家の庭の生垣あたりで見失ったと聞いて「終わったな。今晩は乗り切れないだろう。猫やイタチやヘビの餌食か翌日にはカラスあたりの餌食だろう」と思い、翌朝にためしにウチの庭の木の高い所に鳥かごを吊るし、残った1羽が鳴いてる声でも聞かせてみようと設置したら

しばらくして鳥かごを見るとピピちゃん(オレは名無しで飼っていたが、実家に戻る前はブンちゃんと呼ばれていたけどね)がカゴにとまっていたという奇跡

一晩、大冒険して帰還したというなかなかの文鳥でした

 

派生話が長くなりましたが

きっと、スズメもくちばしで餌をシャッ、シャッと選ってるんだと思います

だから、地上1.5mの空中レストランの下にもたくさんの餌が落ちている

 

前々から「下に落ちたのを拾ってたら、意味ね~だろ?チョットでも油断したら命落とすぞ(まあ、それが彼らの生きる自然なのだがね)」と気にはなっていました

「たぶん、たまには猫に捕られる者もいるだろうな」とも思ってました

実際、猫がチョロチョロしてましたし

小屋の陰やら解いた小屋の基礎の陰から狙っていたりしてましたしね

 

でも、実際に目にするとでは「実感」が違う

 

バードフィダーの下にスズメの死骸が転がってました

腹減ってスズメを食うんならまだしも「食わんのなら捕るなよ・・・」とツッコミたいが

猫側からしたら「狩猟本能です」で終わるんだろう

よくさ「同じ種で殺し合いをするのは人間だけです」とか「ムダな殺生をするのは人間だけです」なんて左巻きのオメデタイお花畑連中が言ったりするけどさ

そんなことはない

 

たぶん、死後2日ってトコだと思う

3日だともうちょっと匂うと思うし、1日だとまだココまで腐敗臭は出ないと思う

軽く腐敗臭がしていました

 

「ゴメンな、オレがバードフィダーを設置したばっかりに命を落とした。ココにバードフィダーが無かったら、どっかの畑やどっかの空き地などで餌を見つけながら今も生きていたかもしれないな」と思う

でもさ、それはその現実が無かっただけで、逆を言えば、オレんちの裏にバードフィダーがあったからココ数カ月ウチの裏に来て居たから、本当ならどっかの畑で命を落としていたハズの個体が、今も生きている・・・可能性だってあるハズである」

つながり方、死のすり抜け方なんてどんな生き物でも「その時」さえなければ老いて死ぬまで生きていたようなもんです

 

オレの同級ですら十代の頃から今までで何人かすでに死んでいますが

あの時にバイクに乗ってなけりゃ・・・

あの日に彼女に会いに行ってなけりゃ・・・

あの時間にそこを走ってなけりゃ・・・

あの学校に受からなけりゃ・・・

あの土地に引っ越さなけりゃ・・・

あの人間と人生で関わらなけりゃ・・・

今もきっと生きている

 

老いて死ぬまで生きるか or 途中で死ぬか・・・なんてわずか紙一重でかわしながら「たまたま生きてるだけ」だと思うのです

 

オレだって、今、たまたま生きていますが

病気で2回ほど死にかけました、あの時、どっちかで、天秤が「死」のほうへほんのチョットだけ振れたならとっくにオレは存在していません

バイクを乗ってて死にかけたことはありませんが、だったら死ななかったのかというのも違うと思います、死ぬ時は「一発」で「あの日、あの時」にオレがバイクに乗っていたら今は居ない・・・こともあったかもしれません

クルマでブイブイ走っていた時も何度か「終わった」と思うことがありましたが、天秤がわずかに「生」のほうに振れただけであって

今生きてる皆が、そんな程度だと思います

ただ選択肢のどっちに進んだら「こうなっていた」ってのが見えないのでわからなかっただけだと思います

 

本日、バードフィダーを小屋の中に仕舞いました

 

まあ、歌詞に意味は無く、ただ「天秤」つながりですが・・・

「Crossroad」つながりでも一曲

♪Crossroad右へ曲がるのか

♪Crossroad左へ折れるのか

♪Crossroadまっすぐ進むのか

♪Crossroad今立ち止まるか