春の空気のせいなのか・・・錯覚がある | ぎっちょ31  

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蒼き時代より共に生きる

昔っから、感じることがある

それは鮮明な記憶

 

「春」ならではなのか!?

 

新しい土地で、希望でもない、期待でもない

言うほど毎日楽し過ぎたワケでもない

ただ春の心情というか、春の心の中というか

 

夏とか秋とか冬の記憶よりも

「春の記憶のほうが鮮明」というか

 

そのせいもあって時々「錯覚」して

「あ~そうだ、あるわけがない・・・」と思う

 

それも、なぜか今の時期

春のこの時期に、車を走らせて足を伸ばしたら、そこには当時の風景があるような錯覚に陥る

 

何のハナシかと言うと

 

例えば、それまで幼稚園児、春から小学校

小さなぎっちょ少年はお袋と一緒に小学校へ・・・

その当時は入学式に小学校の桜が舞っていたのを覚えてます

記憶が鮮明ゆえに、今も、この世のどこかにその空間(木造校舎の小学校や桜の木、学校の先生たち、用務員のおばちゃん)があると錯覚します

どこにも存在しないのにね・・・

奥にも同じ棟のH型の大きな木造校舎でした

当時は小さい島に小学校だけでも4つもありました

 

中学校は、今では森に還ろうとしています(2019年撮影)

 

高校は昔の雰囲気は残っていますが

 

当時の下宿は影も形も残っていません

唯一、建物の一部が写った写真

今思うとアチコチ写撮っときゃ良かったね

こうやってカラー写真で見ると、余計にどっかにこの風景が今もある錯覚に陥ります

向かいには、昭和の頃らしいフットワークの木造営業所がありました

同じ場所のストビュー画像

懐かしさのカケラも無い

 

高校を出る頃

待ちに待った18歳、やっとクルマに乗れる

18歳になるのスゲ~長かった

小学生からしたら、たかが6~7年なんだがね

子供の頃の時間は大人になってからの2倍も3倍も長く感じます

自分のクルマ「スカイラインジャパン」を買って、お袋と二人、長崎市内に引っ越した

当時住んだアパートは奇跡的に外観は残ってますが、室内は懐かしさのカケラも無いほどリフォーム済

あの当時のアパートも、あの当時の長崎市内も、この世のどこかに存在してる錯覚にチョイチョイなりますが

どこにも存在しません

考えて見りゃ、この頃のお袋は今のオレより若いんだからね

 

大学生になり、また新しい生活

当時、新築で入居したワンルームマンションは今でも当時の雰囲気のままですが

周辺が変わり過ぎて、懐かしさはありません

 

でも、ちょくちょく

あの頃の風景もどこかにある気がしますし

あの頃関わった人達もあの頃のままの歳で存在してる気になりますが

全部「錯覚」

どこにも存在しません

 

「この感覚はなんだろう?」と昔っから思ってました

夏や秋や冬に感じることはほぼ無い

春になぜか「どこかにある」という鮮明な記憶として蘇ります

なんなんだろうね?

春の空気なのか、春の臭いなのか、春の日差しなのか

あの街の風景とあの頃の人々がどこかに行ったら「ある」ような錯覚になります

 

春のいたずら?

 

新しい生活を始めた人もたくさん居ることでしょう

楽しみですね、失敗もたくさんあるでしょうが、楽しんでくださいね

春はそういう未来を見る季節です

 

♪あれから何十年も・・・