トランスヒューマニズムの終わりとロマン主義の復活 | ぎべおんマンのリフレーミング

ぎべおんマンのリフレーミング

ぎべおんマンのリフレーミングでは、ぎべが体験した実感した出来事や大したオモロない出来事を、リフレーミングしたらこんなにオモロいことにも解釈できるっていう、実証ブログ。読んだらなにかが変わっていることを約束しましょう。


テーマ:

“過去はいつも新しく、未来は不思議に懐かしい”
それから約束どおり「新しいは古い」というやや不可解な風潮が強まりはじめた。
具体的には IoT がああだとかイノヴェイターがこうだとか、

最新の科学/技術について議論することや積極的に暮らしに取りこむ姿勢、

それら・彼らに付与されてきた「クール」なイメージは次第に失われていき、

逆にそのような短絡的な話題に翻弄されてやまないこと

――例えばニューモデルの VR が出荷されればまっさきに食いついたり、

トランスヒューマニストの妄言が TechCrunch や GIZMODO に嘯かれれば

すぐさまそれに反応し、とり憑かれたようにシェアを繰り返す

 BOT のような存在に成り下がることは、

(国内では壮年期の男性を中心に嫌というほど散見したが)もはや値打ちのない

「クールではないもの」の代名詞に書き換えられてしまった。

また皮肉にもそれは、

規則的にダンスする彼らの身体的な衰えとも比例して。


この価値観の移ろいはさまざまな因果のもつれによって引き起こされたが、

ひとつ確かなのは、

これが情報のオーバードースで恐怖に陥った大人たちの

「懐古的な反抗」(=ネガティヴな力)というより、

むしろ純粋無垢な次世代の、あるいは前兆を見定められる感度の鋭いものたちの

「人間性あふれる自由な文化運動」(=ポジティヴな力)によって

育まれていったということ。

そしてその背景として、革新の主流化と飽和によって

「保守こそがカウンター」の立場に回ったことが挙げられるだろう。

 

かのスティーブ・ジョブズ以降、その口ぶりをまねして

革新を語るものは掃いて捨てるほど現れたが、

彼と同等またはそれ以上の革新を起こすものはついにひとりも現れなかった。

なぜならレールの敷かれた革新ほど非革新的なものはない。

すでに切り拓かれた荒野の整備された道路上に悠々とセグウェイを走らせながら

『道程力』と説かれようと、それはまやかし以外のなにものでもないのだ。

しかし大半のひとは未知や混沌と付き合うのが不得意で、

だからこそまずはその捉えがたいものを定義づけて欲しいと願う。

あれから同じように不安なもの同士が集まり、

なかば強引に言語化/構造化するためのカンファレンスやワークショップは

どんどん開催されたし、そうやって国内でも(米国から数年遅れて)多くがそれを

「知ったつもり」になることに成功した。

しかしそもそもがまやかしなのだからそこでなにかが発明されることはなかったし、

クリエイティヴを肴に和気藹々とお酒を呑んだり吐いたり

終電を逃したりしているうちに時代は変わり、

かつての最先端はあっという間に化石となってしまった。


新しさが古くなったあとに新しさを感じさせてくれるのはいつも古さだった。

あの頃(2017年)もすでに中野の商店街やステージには

昭和歌謡の香りを漂わせたバンドが立っていたし、

それを『写ルンです』で撮影する少女はバブル期の衣服をまとっていた。

デジタルとはまるで対極の「懐かしさ」だけが都会に新風を吹かせ、

それは確かなる変化の兆しを感じさせた。
空間が膨張と収縮、引力と斥力のリズムを繰り返すように、

時間もまた加速と減速、あるいは特異点を超えたタイムリープでバランスを保つ。

そして私たちに刷り込まれた本能は、

その繰り返しを愛でずにはいられないのだろう。
いつの時代にも、皆がそちらを向いているときに

ひとり真逆を向くものが現れる。そしてそのひとが、すべてを変えていく。
成熟ではなく消費、発酵ではなく腐敗の道をたどり

やがてゲートボール場と化した実名ソーシャルメディアでは、

甚だ「民主主義とみせかけた独裁」型のインフルエンサーが猛威をふるっていたが、

その声はポスト・インターネット時代の「デジタルユートピア」をちらつかせつつも

上位数パーセントで決議し、やはり大衆を手のひらで転がそうとする点においては

旧プッシュ型の時代と変わりなかった。

それゆえに彼らはセミナーで教祖のようにふるまい金言を吐き捨てていたし、

あるいは専門用語を多用しては差異をみせつけ、

同時に追いつけない程度の商材を売りつけては高層マンションを購入していた。

そして残業の明かりを iPad のディスプレイとともに見下ろしては、

間違った手順のアセンションで東京上空に痩せこけた魂を浮遊させていた。
しかし彼らがとことん上昇し続けてくれたおかげで、

使徒たちもまたふたたび地上に降臨することが許されるのだった。

 

 

飽和したトランスヒューマニズムの終わりと、ロマン主義の復活。

 

東と西は、荒れ狂う大海に投げ込まれた二匹の龍のように、

人間性の宝を取り戻そうとむなしくもがいている。再び女媧があらわれてこのすさまじく荒廃した世界を修理してくれることが必要だ。偉大なアヴァターが待ち望まれるのである――

 

『茶の本』 岡倉天心より転載


今後はこの人間中心で当たり前に暮らす現実と、機械中心の現実と、

身体という器から離れた魂のようなものが中心の現実、

3つの見方が必要になるのかもしれません。

そのときに必要なのは、世界が切り替わったとしても変わらずに信じ続ける対象です。
例えば3つの色、RGBが重なった中心にある白のような存在…

こういうと難解かも知れませんが、

その白こそがシンプルな「あの言葉」に置き換えられるものだと、

私は確信していますけどね。

 

あれから約束どおり登場した巨大な「Machine(器)」と、それにより可視化された「Ghost(中身)」――それぞれの先に用意された未来像は

「Robotism」と「Angelism」で、

前者は身体をメカに置き換えていくことで、

後者はマインドをデジタルにアップロードさせていくことで

時間/空間の超越、すなわち有限の無限化を目論む。
しかしそんなトランスヒューマニズムという新たなる天敵の出現により、

ふたたび私たち「Human(主観)」の人間性は目覚め、才能は開花し、

より強力な自信を取り戻することになる。

 

三歩進んだのなら二歩下がればいい。

だから私はこの疾風怒濤の時代に、

この世界の圧倒的主役に他ならぬ人類を、魂のいななきをより多く聴きたいと願う。
そしてそのマイクは他でもなく、

いまこのディスプレイを見つめるあなたに差し出されているのかもしれない。

同じく圧倒的主役として人生の舞台に立つ天才の、まだあどけないその口もとに。

時同じく、第3の勢力「ヒューマニズム心理学」はこうして生まれ...続きを読む

 

 

 

The World is You.

 

  ブロトピ:更新報告ですよダンナ!(もしくはお嬢さんw)   ブロトピ:今日のブログ更新   ブロトピ:更新しました!   ブロトピ:今日のブログ更新   ブロトピ:ブログ更新通知   ブロトピ:Twitterで拡散し合う部  

ぎべおんマンさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

SNSアカウント

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス