恐れを克服するということは、
過去の経験から脱することと同義です。
恐れとは、過去に経験した、ネガティヴなイメージを膨らませてしまった歪んだ結果です。
恐れとは、当たり前の感情で自己防衛本能があれば、自然な感情です。
ホメオスタシスというやつですね。
例えば、ラーメン。
初めてラーメンを食べました。
とんこつラーメン
みそラーメン
しょうゆラーメン
しょうゆとんこつ
家系
次郎
北極
そのラーメンが、
もんのすごく熱くて
「ぎゃっ!アツっ!なんだコレ!熱くて食べれないよ」
↓
熱いのは食べれない
↓
熱いの食べれないのは「ねこ舌」
↓
「私はねこ舌だ」
人間の根本的な欲求には、
快楽の追求と
苦痛の回避しかないんです。
しかも苦痛の回避の方が勝ってしまうのもまた、本能です。
より開放された(ラーメンを美味しく食べるという選択肢を増やす)、より生産的な方向を望むなら、
快楽の追求を優先させなければ、そこに人間的な成長、精神的な自由は、ないんです。
過去の経験からくる苦痛の回避を選択して変わらない現状に甘んじるか、
快楽の追求を優先して成長を求めるのか、
どちらも間違いではありません。
選択は自由です。
ただ、その選択によって、ねこ舌なのか、そうじゃないかは、
日の目を見なくても、理性で判断できると思うのです。
なんか断定的な感じになってしまてる。。
「そういう場合が多い」にしましょう。
そう、
苦痛の回避はもう無意識下で自動発動してしまうので、
その不適当に構成された回避行動は
年齢を重ねれば重ねるほど
強固で、変容しにくくなっていきます。
私たちの習慣や行動は、適切とされるものも不適切とされるものも
学習によって身についていきます。
学習とは、人間の行動ー般に関し、
経験の反復の結果生じる比較的永続的な行動の変容過程、
あるいはその結果と定義されます。
これは最先端の心理臨床にも多用される行動療法の基礎理論になっています
