結核と診断されるまで(8) | 食道がんと闘います

食道がんと闘います

65歳食道がんサバイバー。
初発は2013年、ステージ3aリンパ節に転移。
手術で切除し抗がん剤治療。
しばらく無事でしたが2016年に肺転移、切除手術。
以来、異常なし。
定年退職後、大学で医療系を学び卒業、再度就職するも3か月で解雇、その後開業するも2年で廃業。

少しだけ時間を戻します。

食道がんの肺転移ではなかったと聞いて安心したのですが、我に返ってみれば「結核」を発症したということは、これは大事件です。

まず隔離ということになりますのでしばらくの間(この段階ではどのくらいの期間になるのかまったくわからない)病院から出られなくなるのでしょう。

小規模ながら店舗を営んでおりますが、なにしろひとりでやっておりますので当然のことながら「当面の間は休業」ということになります。

つまらないことですが、冷蔵庫の生鮮食料品はすべてオシャカということになります。

年金事務所など往訪の予約をしていたところもすべてキャンセルとなります(年金受給の開始をする心算でありました)。

なにより留守中の備えをぬかりなくやっておかなければなりません。

それも明日中(隔離の連絡を受けたのが水曜日の夕方で入院の迎えが金曜日の9時30分)にやってしまなければなりません。

漏れがあってもリカバリーはできません。

幸い、木曜日いちにちの猶予ができました。

冷蔵庫の中身を無駄にしないようにやりくりをしましたが(もちろん買い物には行きません)、それでもかなりの食材を廃棄せざるをえませんでした。

本当は外出はしてはいけないのでしょうけど、店舗に出かけて掃除をし「当面の間、休業します」の紙を貼ってきました。

入院に必要なものを少しだけ買ってきました。

家の掃除もしました。

たぶん抜かりなく留守宅の備えをすることができたと思いました。

 

翌日の9時30分。

保健所から迎えの車が来ました。

なにしろ隔離必須の結核患者です、公共交通機関を使えない、タクシーにも乗れない。

なので保健所で車を用意するとの連絡を受けていました。

どんな車が来るのだろうか、タクシーみたいなのが来るのかと思っていたら、なんと救急車みたいなヤツが来ました。

中に乗り込んでみるとベッドがあり付き添い用のいすがあり酸素吸入の準備もあり、8人くらいは入れそうな車で、なるほど、患者搬送業とでも申しましょうか、こういう業界、業者もいるのだなあと少し感心しました。

自宅から病院まで1時間と少し。

出発したのがはやかったため時間調整をしているのかどうか、車は細い道をくねくね走りながらのんびり走り、11時前に目的の病院に着いたのでした。