[ロシアのユダヤ闘争史] プーチン大統領 最初期のソ連政府のメンバーは80~85%がユダヤ人 | Ghost Riponの屋形(やかた)

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おさらい。


Putin, left, speaks with Russia's Chief Rabbi Berel Lazar during a visit at Moscow's Jewish Museum, June 13, 2013. Photo by AP

2013年6月13日。

Putin: First Soviet government was mostly Jewish
http://www.haaretz.com/jewish-world/jewish-world-news/1.530857
Russian President Vladimir Putin said that at least 80 percent of the members of the first Soviet government were Jewish.
ロシアのプーチン大統領は、最初のソビエト政府のメンバーの少なくとも80%がユダヤ人だったと述べた。

“I thought about something just now: The decision to nationalize this library was made by the first Soviet government, whose composition was 80-85 percent Jewish,” Putin said June 13 during a visit to Moscow’s Jewish Museum and Tolerance Center.
「私はちょうど今思い出した:この図書館を国有化する決定は、最初のソビエト政府によって下されました。その構成は、80-85%のユダヤ人だった。」プーチンは、モスクワのユダヤ博物館およびトレランス・センターに訪問中の6月13日に発言した。

黒い帽子の人が、ユダヤ教徒ですね。

記事の発言映像↓
プーチンは、陰謀論者ですかね(笑)



And up to 80-85% of the 1-st Soviet Union government members were jews.
最初期のソビエト連邦政府のメンバーは、80~85%がユダヤ人であった。(偽ユダヤかな)

Motohiro Sato
おそらくプーチンの理解はこうだろう。
「ロシアはロスチャイルドによってロマノフ王朝が倒された。ソ連はユダヤ人に乗っ取られ、ロシア人は奴隷にされ、無数の人々が殺害され、収容所に送られた。アメリカもロスチャイルドに乗っ取られている。311地震と原発事故を起こしたのは、米ユダヤ人とイスラエルのユダヤ人。ロシアも日本も同じようにユダヤ人にやられてきた。」


プーチン大統領 ソ連の最初の政府の80から85%はユダヤ人 Putin Soviet Union Jews
(日本語字幕版)TheRapeOfJusticeさんの動画 プーチン大統領2013年1月13日の演説 後半は2013年9月のテックス・マーズ氏の解説
[CC]ボタンで日本語字幕

https://www.youtube.com/watch?v=OYsdJjmT4sQ




プーチン発言から、下記内容で、ほぼ整合性が取れているとわかる。
(細かい数字のズレは、まああるだろうね)


元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
■■■第2章:「ロシア革命」は「ユダヤ革命」だった

■■日露戦争を画策したハザール系ユダヤの狙い


1904年、日露戦争が勃発した。日露戦争はユダヤ人の画策により、隣同士の2つの国が衝突することになった戦争である。当時、イギリスのユダヤ人が挑発的な行動に出て、日本もロシアも知らないうちに戦争に巻き込まれていった、というのが実際のところである。日本とロシアの歴史的な関係は、決してよい関係とはいえないかもしれない。が、そこにユダヤ人の画策があったことを考慮に入れなければならない。そう主張するロシア人は少なくない。たとえば、ロシアで出ている『日露戦争におけるユダヤの役割』という本なども、そうしたユダヤ人の動きを論じたものだ。



日露戦争当時、ユダヤ人たちは「ロシア政府の敗北」というスローガンを掲げて革命運動を展開した。このスローガンによって、ユダヤ人の革命家たちは、ロシア政府の敗北を望む日本やアメリカから革命資金を導入することを容易にもしたのである。日本の資金力はそれほど大きなものではなかったため、主にアメリカの資本が投入された。アメリカの大資本家であり、アシュケナジー・ユダヤ人であるヤコブ・シフが、ロシアのアシュケナジー・ユダヤ人の革命家たちに多額の援助を与えたことは知られている。


こうして第一次ロシア革命の嵐がロシア全土を襲ったが、1906年5月、ロシア政府はストルイピンを首相とする新政府を構成した。

このストルイピンという人物は、民族主義者・国家主義者であったため、強固な反ユダヤ的な政策をとって革命運動を鎮圧していった(そのためレーニンもジュネーブに亡命している)。ストルイピンは「強いロシアをつくろう」というスローガンを掲げて、今日のロシアの「改革」とはまったく異なる、ロシア人によるロシア人のための政治・経済改革を進めていった。


ロシア人によるロシア人のための
政治・経済改革を進めたストルイピン首相。
ボグロフというユダヤ人に殺された。


しかし残念なことに、1911年9月、ストルイピン首相は暗殺されてしまった。ストルイピンがキエフに行った際に、ニコライ2世とともに劇場でオペラを見ていたときのことである。彼の席の近くにボグロフというユダヤ人がいた。彼は反体制派、社会革命党の党員で政府の警察のエージェントでもあった。彼はストルイピンの席近くへやって来るや、ニコライ2世の面前で、ピストルを2発、ストルイピンめがけて撃ったのである。



ストルイピンが亡くなったことによって、ロシア人によるロシア人のための改革も終わってしまった。

その頃、ロシアの資本主義経済はかなり強くなっていた。すでに、世界の資本主義諸国の中でも、決して引けをとることのない資本主義国家になっていた。当時のロシアの経済成長率は11~15%で人々の生活水準も高かった。それは10月革命以前のことである。


■■ユダヤ人が担ったロシア10月革命
ストルイピンが暗殺されると、ユダヤ人たちはもう一つの革命の準備に入った。1917年11月6日の「10月革命」である。

この10月革命はユダヤ人による革命であった。これは疑いの余地がない。いうまでもなく、革命を指導した者のほとんどがユダヤ人だからである。10月革命の前に、トロツキーをリーダーとする70人のユダヤ人グループが、ニューヨークからやって来ていた。アメリカのユダヤ人資本家ヤコブ・シフは、このトロツキーのグループを支援していた。


そのときロシアは、ドイツとの戦争の真っ最中であった。第一次世界大戦である。ドイツの方面からも、レーニンのグループがロシアに入った。このグループもまた、ほとんどがユダヤ人だった。10月革命は、アメリカとドイツの金によってユダヤ人が実行した革命であった。


アメリカ・ユダヤ人の中心的存在だった
ユダヤ人金融業者ヤコブ・シフ

ロシアのユダヤ人革命家たちに
多額の援助を与えた。


それにしても、ロシア革命はなにゆえにひと握りのユダヤ人指導者の下に、容易に推し進めることができたのだろうか。ロシア人は黙って見ていただけなのだろうか。当時の革命政府には、ロシア人はほとんど参加していなかったのである。レーニン自身がその事実を述べている。

10月革命が起きてのち、ロシア人は新政権の成立にはほとんど関わることをしなかった。ロシア人としては、このような反民族的なシステムには入りたくなかったのである。


革命当時、ヨーロッパで出された
11人の共産党指導者たち


レーニンは、政府の官僚として誰を起用するかをじっくりと考える必要はなかった。当時は戦争中だったので、西側からユダヤ人が続々とロシアの中央に移って来た。ソ連の新政権にユダヤ人は約150人参加した。そして、政府のトップ・クラスの人々はすべてユダヤ人であった。政権内部のロシア人は2~5%ときわめて少なかったのである。

レーニンの祖母はユダヤ人だった。レーニン自身がユダヤ人とのハーフだったのである。ロシア10月革命後の新政権では、そのメンバーのうち99%をユダヤ人が占めていた。しかし、アメリカとドイツからロシアにやって来たユダヤ人たちは、革命家、あるいは共産主義者であり、ほとんどがユダヤ教を信仰していたわけではなかった。



その頃のユダヤ運動には2つの流れがあった。1つは共産主義である。共産主義者、革命家たちはユダヤ教を信奉しない。もう1つはシオニズムである。シオニズムとは、ユダヤ教徒が自分たちの宗教本部であるエルサレム(シオン)を中心として、自分たちこそ世界を支配しなければならないとする思想である。そのような人々をシオニストという


白ロシア・ミンスクの前線でのシオニスト兵の会議 (1918年)


10月革命後、ユダヤ人たちはこの2つの流れでともにロシアを支配していたのである。やがてそうしたユダヤ人の中に摩擦が生じるようになった。

1920~1930年代、アメリカやドイツからやって来た共産主義者のユダヤ人たちと、ロシアにいた150万人のユダヤ教徒との間に、激烈な闘争が巻き起こったのである。革命家たちはユダヤ教を信仰していないため、ユダヤ教徒たちは共産主義者を批判し共産主義者と闘うようになった。
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ヤコブ・シフは、ロスチャイルドの番頭と。(説明不要)
シオニズムは、ユダヤ教の教えとは全く関係ないとユダヤ教の主流派に否定されていたと思う。
陰謀論と否定している方々の共通点は、ユダヤと偽ユダヤの区別がついていないケースが多い。
ザックリと、偽ユダヤ=白人のユダヤ人(非ユダヤ教)=シオニスト=カバリスト=悪魔教(生贄、飲血)=拝金教=バール信仰で良いと思う。
血統的にはモンゴロイドがユダヤ人(ステファラディ)なので、ユダヤ教徒でない白人のユダヤ人(アシュケナージ)と言うのが、そもそも成り立つのかどうなのか=偽ユダヤ人かと。
ややこしい成り済ましが、奴らのスーパーテクニック(笑)

バール信仰、ウォール街の「突進する雄牛の像」↓




「キリスト教シオニスト」の実態
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd400.html
現在アメリカのキリスト教シオニストとユダヤのシオニストは「同盟」を結んでいる。この同盟関係を知ると、パレスチナ問題の根がより深いところに根ざしていることに気付く。

イルミナティとは何であるか2(バール信仰)
http://takanojyou.blogspot.jp/2012/07/blog-post_6360.html
アシュケ(アシュケナージユダヤ=ハザール人)は、アッシリア・バビロニアの意味で、古代ユダヤ人を「バビロン捕囚」で奴隷にし、拝火教でユダヤ・キリスト教を信じない人々だ。その彼らがユダヤ人を名乗る。だから「偽ユダヤ人」と学名が付けられたのだ。
イルミナティとは、世界の超お金持ち達の悪魔教カルト組織であり、彼らが崇拝する悪魔は、見た目はバフォメットであり、中身はバール信仰なのだ。
しかし、イルミナティのメンバーを偽ユダヤ人(ハザール人)だけだと考えてしまうと、大きな間違いを犯してしまう。要は、お金持ちで悪魔教信者で彼らの仲間であれば、イルミナティなのだ。


ブラックの経営者とイルミナティは、抜群の相性を示すと思う(笑)


「ロシア革命」について、マリンズ本の記述↓
ここでのユダヤは、偽ユダヤの方でしょう。
だいたい、異なるソースから似たような記述が出れば大丈夫でしょう。
(プーチンの公の発言だけで終了でも良いが)
要点のみ。



衝撃のユダヤ5000年の秘密―ユダヤはなぜ文明に寄生し破壊させたか?
単行本 – 1995/1 ユースタス マリンズ (著)
議会図書館に勤務するかたわら、世界の権力中枢の正体を暴露・糾弾する著作を発表、戦後のドイツで最初に焚書処分をうけた作家でもある


P204
●共産主義はユダヤ集団主義国家の近代的な形態である

P213
●ユダヤが仕掛けた恐怖のフランス革命
多くの学者は、フランス革命の背後の秘密勢力とはユダヤである、と名指しで指摘している

P217
いうまでもない事だが、ロシアにおける「ユダヤ問題」とはユダヤ人による農民の搾取であり、さらなる搾取から農民を守るために白系ロシア人指導者たちによって講じられた対策であった。すべての学者の一致した見解によれば、「ボグロム」すなわち農民によるユダヤ人攻撃は、ユダヤによる穀物市場の買い占めと農民からの冷酷な搾取とが引き起こしたものであった。ユダヤ人は大金持ちになりすぎて、多くのユダヤ人たちがまったくなんの仕事もしなくなった。

P218
●「柔軟」路線と「強硬」路線によるロシアへの仕掛け
19世紀を通して、何千人ものユダヤ人扇動家が、共産主義革命を前進させようと努力した
1848年のカール・マルクスの「共産党宣言」の出版にともなって、ユダヤ人は二つのグループに分裂した。ボルシェビキ・マルキストは、すべての非ユダヤ人土地所有者を根絶しなければならないという「強硬」路線に従った。社会主義マルキストは、非ユダヤ人の征服は、すべての政府および教育施設をコントロールし、非ユダヤ人がみずからを統治する望みを奪い去ることによって、徐々に行わなければならないと主張した。
エードアルト・ベルンシュタイン[1850-1932、ドイツの社会主義者、1889年に修正主義Revisionismを主張]は、後者の「柔軟」路線を指導した。彼は、「マルクス思想の指導者の一人」とみられているが、イギリス亡命中にフェビアン協会的漸進主義者になった。
ベルンシュタインはイギリスの現在の社会主義者労働党政府の生みの親である。
レーニンは「強硬」路線派の指導者であり、「ベルシュタイン主義者」に対する宣伝戦を展開した。
1905年に、レーニン主義者たちはロシアで権力を奪取する最初の試みを行なった。彼らは勝利を収めたが、理論家(理想か?)であったために政府運営の方策を欠いていた。現実離れしたユダヤ知識人たちは、勝利後の数日間、街頭に立って群衆に向かい熱弁をふるったが、それも帝制下の官吏たちが職場に復帰し、命令を発しはじめるまでのはかない命であった。革命はついえたのである。
1917年の時点では、レーニン主義者たちは、教訓を学びとっていた。5月に、ユダヤ人ケレンスキーに率いられた「ベルンシュタイン主義者」グループがユダヤ自由社会主義者政府を樹立したが、彼らは誰も殺害しなかった。レフ・ブロンシュタインと好んで自称したトロツキーとレーニンは同年10月のボルシェビキによる権力奪取の先頭に立った。そして、フランス革命の例にならって、トロツキーは恐怖時代を開始した。

●ロシア革命で2000万人のキリスト教徒が虐殺された!
革命後3年間で、彼らは、白系ロシア人の88%を虐殺した。ロシアの312人の共産主義指導者のうち、非ユダヤ人はわずか2名で、残りはすべてユダヤ人であった。
彼らの最初の公式活動は、反セム主義すなわちユダヤ批判を、共産主義ロシアでは人の犯す最悪の犯罪とする法律を通過されることであった。ほんの些細な反ユダヤ的ジョークをいおうとも、それは死をもって罰せられた。「シオン長老の議定書」のようなユダヤ関連の本をもつことまでもが、死によってあがなわなければならない犯罪とされた。
こうしてユダヤは、1917年から1940年までのあいだに、ロシアで2000万人ものキリスト教徒を虐殺したのである
ロシア皇帝実の従兄弟であるイギリス国王ジョージ5世[在位1910~36年、1917年に王家名をサックス・コバークからウィンザーに変更]は、自分の血縁を救うために何の努力も行ってはいない。これは、なぜなのか?彼には枢密院があって、ロシア皇帝の命乞いをボルシェビキに訴えようとしても、枢密院がそれを拒否したであろう。
1919年の枢密院は、ユダヤ人のみによって構成された。枢密院は、ロスチャイルド卿を筆頭に、サー・エドウィン・モンタギューとドイツのフランクフルト生まれのユダヤ人銀行家で、どういうわけかイギリス最高の枢密院にまで登ってきたサー・エドガー・シュパイヤー、サー・マシュー・ネイサンと帝国化学会社を宰領するサー・アルフレッド・モーリッツ・モンド、シェル石油の所有者サー・ハリー・サミュエル、サー・アーネスト・カッセル、そしてレディング伯爵ルーファス・アイザックスによって構成されていたのである。
国王の運命は、これらユダヤ人銀行家たちの掌中に完全に握られていた。したがって国王は、自らの血縁を救うためであっても、あえて口を開く勇気が無かったのである。
そして数年後に、イギリス国王はロンドンにソビエトの外交使節団を歓迎することになる。
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共産主義=ユダヤ集団主義。
ソ連はユダヤ国家。
ロシア革命はユダヤ革命。(フランス革命もユダヤ革命)
第一(1905年)も第二(1917年)も、革命を行ったのは同じ連中で支援者も同じ。
(1904年-1905年9月5日の日露戦争で、日本も知ってか知らずか第一革命に加担している)
と言うわけで、正確に書くと、ソ連は偽ユダヤ国家。ロシア革命は偽ユダヤ革命。
この頃からすでに、偽ユダヤの亡命先にイギリスがあると。
それにしてもロシアのやられっぷりを見れば、日本の搾取などカワイイものです(笑)
マリンズ本の記述から、奴らの行動パターン、共通点が読み取れると思う。
ユダヤ批判の法律=不敬罪であったり、
「柔軟」路線と「強硬」路線が、右翼と左翼と被るとか。
日本は、社会主義マルキストの「柔軟」路線かとか(笑)
偽名を好んで使うとか・・・日本にも居るな。

ソ連の悲惨な歴史、民主化民営化と称して、偽ユダヤとつるんだロシアのオルガルヒが、90年代に国有企業の資産を「タダ同然で強奪」した経緯を知っているプーチンが、どちら側か解りそうなものである。
中国もアヘン戦争や毛沢東の大躍進で、ソ連と似たような悲惨な歴史を持つ。

必ず通らねばならぬ、偽ユダヤの試練(笑)


↓も参考になると思う。

世界人口を90%削減するアジェンダは、共産主義と名を借りて昔からやってます。
世界大戦などの戦争も、そういった裏の目的があったのだろう。
人の不幸や苦しみをエネルギーにするのが、悪魔教なのかどうなのか。


共産主義体制により殺害された犠牲者数
http://ameblo.jp/ghostripon/entry-10274395398.html
クルトワは同書において、共産主義体制により殺害された犠牲者数の国・地域別の一覧を
提示しています。

それによると、

 ソ連       2,000万人
 中国      6,500万人
 ベトナム      100万人
 北朝鮮       200万人
 カンボジア     200万人
 東欧         100万人
 ラテンアメリカ    15万人
 アフリカ       170万人
 アフガニスタン  150万人
 コミンテルンと権力を握っていない共産党 約1万人
----------------------------------
 総計         約1億人

となっています。

ソ連と中国における犠牲者が圧倒的に多いわけですが、ソ連に関してはかなり
控えめの数字です。

毛沢東率いる中国共産党の殺戮(メジャーな殺戮事件簿のみ)を見てみましょう。

1、「大躍進」と称する無謀な産業政策の失敗によりうみだされた飢餓
  (餓死者総数、3,000~4,500万人)

2、「文化大革命」という名の大量虐殺・内部粛清
  (死者総数、一説に2,000万人)

3、チベットへの侵略戦争による少数民族迫害・殺戮
  (死者総数、推定120万人)


偽ユダヤの簡単な見分け方↓

カバラとシオニズムの関係
http://ameblo.jp/ghostripon/entry-11416336582.html
サンプル↓

$Ghost Riponの屋形(やかた)
(ユダヤ)

$Ghost Riponの屋形(やかた)
(偽ユダヤ)

$Ghost Riponの屋形(やかた)
ナチ+シオニスト=ネオコン=レイシスト(人種差別主義者)


具体的な手口↓

集団主義者の陰謀 The Collectivist Conspiracy
http://www.youtube.com/watch?v=l5PKxamWPr0
$Ghost Riponの屋形(やかた)
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集団主義者の陰謀

集団主義という言葉に曖昧さがあって波紋をよんでいるので、ここで少し説明を加えます­。
ここで言われている集団主義とは民主主義の原則的なイデオロギーのことです。即ち多数­決の原理です。実はこのイデオロギーはギリシャ時代からある極めて原始的な思想であっ­て、既にアメリカ独立の時代には、民主制が史上最悪の制度であることを多くの人々が知­っていました。現代日本の学校のいじめの問題も実は集団主義の汚点の最たる例なのです­。ですから、アメリカの憲法には民主主義と言う言葉は一切使われていません。その代わ­り、アメリカ建国者や憲法著者は共和制という言葉を好んで使っています。しかし、その­当時使用された意味は現代では全く失われてしまい、本来の共和制の基本思想である個人­主義についても理解する日本人は殆どいないのが現状です。我々がこういう事を知らされ­ていないこと自体、陰謀がある証拠だと我々は捉えるべきだと思います
2012年12月13日追記終わり

昨年(2011年)始めにプリズンプラネットテレビが購読者に公開した、G・エドワー­ド・グリフィンさんへの独占インタビューです。アメリカの事情の大部分は、名前を変え­れば日本の事情にそっくりそのまま置き換えられます。だから、ここでの話題は日本人に­とっても大変重要だと思います。少し長いので、私なりに以下のような目次を作ってみま­した。

0:00:19 自己紹介
0:01:12 集団主義思想
0:03:13 右翼左翼の枠組みの真相
0:08:28 ティーパーティー運動
0:13:46 民主党と共和党の同意点
0:17:15 ロン・ポールの旋風
0:20:29 選挙と投票の意義
0:23:49 プロの政治家
0:26:24 右翼と左翼の化かし合い
0:30:52 超裕福家系の政治戦法
0:32:56 脅威・不安解消という落とし穴
0:34:30 免税財団の行っていること
0:37:29 アメリカ政府の仕組みと機能
0:43:07 大統領が独裁的になったのはいつ頃?
0:43:49 ヒラリー・クリントンのビデオ
0:45:43 国民の意識の高まりを支配者は恐れている?
0:47:35 世界統一政府への歩み
0:54:49 自由開放運動の思想と課題
0:59:51 八百長プロレスの政治とマスコミ
1:01:48 グレン・ベック
1:02:47 FOXニュース
1:05:06 憎悪の政治
1:07:57 独占資本家と全体主義の歴史
1:13:22 銀行救済
1:17:37 ティーパーティーの今後
1:19:05 ケムトレイルの映画「一体何を撒いているの?」


そろそろユダヤ劇場も終了でしょう。