アメリカではウィドウ・メーカー(未亡人製造機)!!!と呼ばれる、物騒な車がある。
言わずと知れたシエルビー・コブラの再来と呼ばれる、初代、ダッチ・バイパーの事である。
この車ね。
ダッチ・バイパーは車重:1、540kgの比較的軽量なボディに、8リッターV10のユニットを積み込み、400馬力を発生される、当時としては最強パワーのアメリカン・マッスルカーであった。
で、近年、アメリカで、そのバイパーに継ぐ第二の未亡人製造機と呼ばれる車が出てきた。
それが、我が愛機、 初期モデルのS2000の事である。
FRレイアウトの電子制御装置が付いていない足回りに、リッター当たり125馬力を発生させるVTECエンジンの初期モデルは、特性を理解しないでアクセルを入れたら、途端にスピンしてしまう特性がある。
と、良く車の雑誌にも書かれることが多い。
で、この6年間余りオヤジが乗った感想は、別になんてことの無い普通の素直な良い車である。
これは娘1号もちよくちょく運転しているから、間違いはないのである。
(えっ??単にオヤジがマシンの性能を使いきっていない。ですって??)
当たり前である。S2000の限界走行をするには、サーキットで走られなければいけないのだ。
ただ、その片鱗は垣間見た事があった。
始めて手に入れた年であった。
当時はオヤジも少しばかりヤンチャしていた時であったので、あの世界最速のハヤブサを抜かすために作られたと言われる、1400ccのバイクのカワサキ:ZX-14Rに信号GPをいどんだ時であった。
1速、14Rが先行。S2000はタコメーターが9000回転に入った途端14Rに追いつき、更に14Rが2速で引き離す。
すぐにS2000は追いつく。
そして14Rは3速に入れて、再びS2000が追い付く。という繰り替えしであった。
それ以上はお互い、免許取り消しの領域に入ったので、勝負は止めたのであった。
改めてリッターバイク並みのS2000の加速に惚れ直したオヤジである。
また、たった1度だけ、S2000をスピンさせかけた事があった。
大きなデパートの屋上の駐車場に入ろうとした時であった。
濡れたゴムマットの為、S2000の後輪が瞬間空転して、リァが大きく振られた。
瞬間!!ヤバイ!!制御できない!!と、頭にケツを降るS2000の姿がよきったが、体の方が先に反応して、軽くケツが流れただけで無事に坂道を登り切った。
そんなS2000も今年は3回目の車検である。
6月頭にはS2000で走りたい場所がある為、今日は直ぐに自動車税を払って、S2000を馴染みの車屋さんに出してきた。
早く走れるのが待ちどうしいオヤジである!!
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