老いる事。「雨にも負けず」 | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 

 1ヶ月ほど前にオヤジの住んでいる街の瓦版に、寿大学の案内が入っていた。

※寿大学とは、入校されたおじい様やおばあ様が、年に何回か集まってみんなで花見に行ったり、日帰り旅行を行い、広く交流を行うという集まりの場である。

 

 自称、永遠の20代を自認するオヤジは、寿大学は完全にお年寄りの集まりだと思っていたので、気にしていなかったのだが、よーーーく読んでみると、もうそろそろ、オヤジも入校できる年だという事が判って、少しショックであった。

 

 で、先日、役所からオヤジあてに封筒が届いた。

「???」と、思いながら封を切ってみると・・・・

 何とその中には今月の4月1日から、今年から60歳になる人を対象に、街で経営している銭湯と温泉が、大人金額から割引になり、いつでも子供料金で入れる事が書かれていた。

 さらに証明書も発行されていた。

 

 この証明書を見た途端、オヤジはかなりショックを受け、一気に20代から40年も年をとった気がした。

 また、だから日中の銭湯は、娯楽代わりのお年寄りが多いんだという事も気がついた。

 確かに銭湯が安くなるのはうれしいが、これで何だか自分はもうお年寄りと言う枠に入れられたような気がしたのだ。

 

 また、ネットの動画をみれば、かなりの高い確立で年金の話の動画が入ってくる。

 

 老いることは、まず確実に目からやってくる。

いま迄暗い中で仕事が出来たのも、電気を付けなければ、全然見えなくなる。

 日中、パソコンのキーボードが打てたのも、今は真昼でもスタンドを付けなければ、キーボードが打てなくなる。

 

 更に睡眠時間が異常に短くなる。

 明日は休みだからと言って、夜更かしを行い、朝方の4時過ぎに寝ても、起きる時間は常に一緒の、朝6時頃である。

そのため、慢性的な睡眠時不足になり、日中,時間があれば昼寝をするようになる。

よく、年寄は早起きだ。と、言われるが、あれは本当の事であった。

 

 また、経験値が大きくなるので、後輩に自分の知識を教えたくなるため、色々と教えたがるものである。ただし、考え方が頑固なため、大抵は敬遠されてしまう。(笑い♪)

 だから色々と聞いてくる後輩には、可愛くなるので、つい、余計な事も話したくなることが多々ある。

 

 ネットが発達していない時代は、お年寄りは重宝されたのだが、いまではわからないことがあればすぐに、ネットで解決できるので、年をとればとるほど、会社的にはお荷物てきな存在と化する。

 

 以前、後輩が調べ物をしようとしていたので、オヤジは老婆心ながら、「ここはこんな風にしたらいいよ。」と、アドバイスをしたら、その後輩は「ネットで調べますので、教えてもらわなくいても良いです。」と、ピシャリとオヤジはアドバイスを断わられた。

 オヤジも仏様でない為、その後輩には、以後、アドバイスは一切しなかった。

 

 ちなみにその後輩は、いまだに郵便物の書類に相手の会社宛てには、御社とは書かずに●●様。自分の会社にも様を付けて出している状況である。

 まあ、彼はネットで調べて何でもわかるんだから、そんなあたりまえの事なんか、お茶の子サイサイだから、別に教えてあげる事でもないであろう。(笑い♪)

 

 知識と経験値は違う。

ネットでは知識は調べることは出来るが、経験は実体験から覚えていくものである。

 先日、若い子がメタルラックをばらそうとして、苦労していた。

やったことがある人はわかると思うが、あの棚は自重で金具に締まっていくため、4ヶ所均等に外さなければ、1ヶ所外しても、また重さで下がって金具にはまる為に、何回やってもなかなかうまくばらせないのである。

 そこでオヤジは「棚を上下さかさまにしてみな。」と言いながら、棚を反対して軽く上の棚を叩いた。

途端にメタルラックの棚は下に落ちていき、その勢いで、一気に棚は全部外れた。

 経験とはそんなものである。

ネットなら普通は金具の形と棚の取り付けの方法を教えることは多いが、外し方の裏ワザは書いてあるのはあんまりないであろう。

 

 昨年、札幌にいる4歳年上の姉に久しぶりに連絡をしたのだが、もう年だから姉も旦那さんも、札幌近辺しか動けないなぁーー。と、ぼやいていた。

 

 オヤジはその言葉を聞いてびっくりしてしまった。

 オヤジは昨年は休みの日に1回に1千キロを走り回った。

 また、娘のために1ヶ月に札幌往復300キロを数回こなしていた。しかもそのほとんどが、徹夜で直ぐに休憩無しのトンボ帰りであった。

 

 老いることは、まずは心から始まるのではないであろうか??

 

 最近、宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩が非常に心に染みてくるオヤジである。

 

「雨にも負けず」 

宮沢賢治

 

 雨にも負けず 

 風にも負けず 

 雪にも夏の暑さにも負けぬ 

 丈夫なからだを持ち 

 

 欲は無く 決して瞋からず 

 何時も静かに笑っている

 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ

 

 あらゆる事を自分を勘定に入れずに

 良く見聞きし判り そして忘れず 

 野原の松の林の影の 小さな萱葺きの小屋に居て 

 

 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 

 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い

 南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い 

北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い 

 

 日照りのときは涙を流し 

 寒さの夏はオロオロ歩き 

 皆にデクノボーと呼ばれ 

 誉められもせず

 苦にもされず

 そういう者に 私はなりたい。

 

 年をとると、若いころのように体に無理が効かなくなり、辛いことが多いように思われるのであるが、

この宮沢賢治の詩の様に、心を穏やかにして、いつもニコニコしながら静かに生きていけば、年を取るのも案外悪くないかな??と、思っている、オヤジである。

 

 

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