ライダー達の聖地(メッカ)、開陽台!! | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

  北海道、中標津。

 バイクに興味の無い人たちが、この中標津と書くと、数年前の吹雪の日に車の中に閉じ込められて4人もの犠牲者をだした町。という事で知られている町であるが、この町はキリン(バイク乗り)達においては、もう一つの顔がある町である。

 北海道をツーリングをするキリン達が、ある一つの場所を目指してここにやってくる。

360°地平線が見える場所。開陽台。

 ここはキリン達にはバイク乗りの聖地(メッカ)と呼ばれている土地なのだ。

(昔はそうであったが、今はどうだろうかなーー??人気漫画のばくおんには紹介されていなかったような???)

 内地(おっ!!北海道の方言。本州のこと)のライダーさん???

 今でも開陽台はライダーの聖地と呼ばれていますか??


 北海道は8月のお盆が過ぎると、いきなり寒くなり、秋を通り越してすぐに冬になる。そして今日は珍しく快晴で、気温も高い状態。

 オヤジはレディとの今年の走り納めとなる走りを今日に決め、行き先をライダー達の聖地(メッカ)とされる、開陽台と決めたのだ。

(この後、9月一杯の間、もまだまだバイクには乗れますが、たぶん寒くて乗っても1時間ぐらいがいいとこになります。)



 開陽台には30年以上昔に車で1度行ったことがあるが、その後、行くことは再びなかった。20代の頃FXに載っていた時でさえ、なかったほどの縁が薄かったのだが、50代の今日、バイクで開陽台に行けばまた、違った感動が生まれるのではないだろうか??

問題はオヤジの体力。
今まで片道40キロ程の近間の峠に行って帰って来るだけで、ヒイヒイ言っているのだが、確か記憶によると、中標津まで車で飛ばして1時間30分、合計3時間もの間、バイクに乗っていられるであろうか??


  オヤジの休日の睡眠時間は極端に短い。前日のAM:2時頃に寝たとしても、起きるのは朝の5時ぐらいである。
 その為、活動は午前中で、午後からはもう疲れてソファーにバタン!!キュウ!!という1日を過ごしている。
しかし、今回、極力、体力を温存させるために、一旦起きたのを再び寝ることにした。

朝、9時30分。やや遅い休日の朝が来た。外を見ると、久しぶりの快晴である。

 オヤジは朝食も取らず、スタミナドリンク1本をガブ飲みを行い、10時頃に開陽台に向けて出発した。

 今は暖かいが、長時間バイクに乗るなら、Tシャツ1枚は体力の疲労がでると考え、バトル・スーツの下には、下着、ホロシャツ。と、今までよりも少しだけ厚着を行う。

 まず一番最初に馴染みのスタンドに行き、燃料を満タンにする。こいつ(レディ)のボディはグラマラスのスタイルのくせに、フレームが実質の燃料タンクのため、10数リットルしか、燃料が入らないのだ。

おまけに燃料残量計もないので、残量警告灯が付いたら、「はい。残りは40kmしか走れません。」ということで、これから行こうという場所は、街から街まで40kmから50km離れているのは、ざらなので念には念を入れていく。

 ここで、燃料代、494円なり。


 レディの寝起きは相変わらず悪い。

バスッ!!バスッ!!

と片肺状態で町を抜ける。そして、隣町に着くといきなりパトカーと鉢合わせを行う。
 しばらくオヤジの後をついてくるパトカー。後ろを気にしながら走っていたら、気がついたらパトカーは消えていた。

 ここから町を抜けたので、オヤジはステップにつま先を上げて、やや腰を後ろのシートにずらし、長距離モードの体制を取った。
 長距離を走るときは、シートに座っていると、お尻が痛くなるんですよね。

 開陽台に向かうには、隣町のB町のB峠を抜け、7月7日のキャノンボーラーの集合地点の弟子屈を抜け、更に別海(根室方面)に向かうのだが・・・・・
 先は長いのでB峠の休憩所も寄らないで、弟子屈に向けて走り続ける。

ここで、反対車線で北キツネと観光客に遭遇。

北海道では観光保護のために、「北キッネにエサをやらないでください。」と言っているが、なんとこの観光客。寄ってくるキツネにエサを与えていたのだ。
そして、この北キッネ。観光客からエサをもらうと一目散にオヤジの走行車線に飛び出してきた。

 キキキーーーッ!!

激しいタイヤ音を鳴らしながら、レディは止まる。エサをもらったキッネは何かあったのか?という顔でオヤジを見つめる。

「轢かれなくて良かったな。」そうつぶやき、オヤジは北キッネを避けてまた走り始めた。

 ここで、お腹がすき始めた。そういえば、朝食をとっていなかったことを思いだし、弟子屈の道の駅でトイレタイムと休息を行う。

 前回はここから摩周湖を抜けて、東藻琴山を抜けてから帰宅したルートであったが、今回は更に先を進むのだ。

 この段階で、距離は70km
時間はAM:11:30であった。
 すでにここで予想の時間を費やしてしまった。




弟子屈の道の駅。











向かって左端がオヤジの愛機レディ9。

しかし、ちいさいねぇーー。右端がホンダのNC700だから、このライダーはオヤジが原付に乗ってきたと思い、オヤジの重装備を見て嘲りわらっていた。



フフフフ♪だれもこの原付き並みの小さいバイクが1、000ccもあるとは思うまい。

少しだけ休息して、食事ができるとことを求めて再び出発するオヤジ。だって、バトルスーツを着ていると、普通の食堂に入るのは気が引けるんですよね。


 食堂を探しながら、しかし行き先は開陽台へ向かう。丁度そのとき、地元組のハイエースが先行していた。
「チャンスだっ!!」この車の後ろを付いていけば、ネズミ取りにも引っかからないで走れる!!

 オヤジはこのハイエースの後ろを走り続けた。スピードメーターは、高速道路と変わらないスピードを維持していた。

 前方に左ウインカーをつけっぱなしにしている車がいた。
前方のハイエースがパス。オヤジも続けてパスしてから、少しだけゆっくりと、その車の前を走り、ハンド・サインでウインカーが付いていることを教えたのだが、その車は全然気が付かないで走り続いけていた。

 ここで気がついてくれると、かなりカッコいいのだが・・・・あのバイク何を変なことをしているんだろう??と思われただろうなぁーー。


_| ̄|○ ガックシ!!

 そうしているうちに中標津町が近づいてきた。お腹の方はかなり減ってきてはいるが、まだ耐えられない状態ではない。

30年前の記憶によると、開陽台は中標津町に行く途中にあると記憶していたのだが、そんな看板がどこにもない。
少々焦りながら看板を探していたら、ついに中標津町まで入ってしまった。

 偶然、町の地図で開陽台の行き先を見つけたので、食事よりも先に開陽台に向かうこととした。

 徐々に近づいてくる目的地。しかも、30年前に一度しか来たことがないので、期待に胸が膨らんでいった。そして、その聖地はそこに現れた。




 これが、オヤジが長いあいだ憧れていたバイク乗りの聖地(メッカ)か??














展望台からはオヤジの停めたバイクが見える。







 
開陽台の展望台のてっぺん。何だかローマー時代のコロシアムみたいである。



 時期が時期なのだろう??何だか閑散としていた。

バイクを手に入れたときは、自分がここまで来るとは思いもしなかった。

 ただ単に、休日に近間を少しだけ乗れたらそれでいいと思っていた。

 ここに着けば、もっと違う意味で感動にかられると思ったが、北海道の風景を見慣れているオヤジには、ただ単に有名な観光地の一つであった。
(うーーん。いろんな意味で、感性が鈍ってきたのかな??


ここに着いた時間は12時40分。
距離は130kmを超えていた。



当初の予定は片道1時間30分。距離的には90kmぐらいの予定であった。

30分ほど滞在して帰路につく。
途中、下りの坂道のあまりのスピードの速さに、速度を落とそうと、ギァーを1速に落とし、クラッチをつなぐと。

ギャン!!と大きな音がして、後輪が空転。後ろがグニャリと振れた。

 ガードレールも無い坂道。路肩から落ちたらひとたまりもないので、オヤジはタンクを瞬間的に両足で挟み込んだ。

ふーーっ。400cc以下の軽い車重のせいで助かった。コイツが重たい車重なら間違いなく路肩に転倒していたよ。





開陽台から中標津町までの途中の道で。遥か彼方に続く1本道。

また、北海道ってこんな道ばかり続くんだよね。

開陽台を見たオヤジは今日の目的が終わったので、食事をしてから帰る事にした。しかも、空は次第に暗くなり、あたりの空気は急速に冷たくなってきた。
 この時ほど、バトル・スーツのありがたみが身にしみて判る。

 この中標津から帰るには二通りの道がある。
今来た道を帰る。(当たり前だよな。)
それともう一つ、隣町の標津町経由で80kmほど離れた斜里町を抜けて網走に戻る道。

普通なら、元きた道を帰るのが一番安全であろう。しかも、今まで走ったことのない距離を今、走っているのだ。


まずは食堂だ。


中標津で食堂を探していると、なかなか気に行った店がなく、気がついたら隣町の標津町に着いてしまった。
ここまで来たら、もう斜里町経由でしか帰れなくなる。
「まあ。良いかっ!!どうせ夕方までに帰ればいいんだし。」オヤジは気を取り直し、まずはレディのガソリンを入れることにした。

 標津町でのガソリンは6.28L、1、124円入った。

ここでも食堂を探していたが、なかなか気に行ったところがなかった。そうしているうちに、斜里町に向かう道にたどり着いた。

 近間の廃墟となったドライブインにて。


このドライブインの裏側の駐車場にレディを停めて、日本海を見る。











 この海の向こうに島がみえるであろうか??



 昨年、主(あるじ)さんと一緒に行った羅臼では残念ながら見えなかった、
北方領土である。
 本当に近い距離である。
小型船で1時間も走れば上陸出来そうな距離である。





こちらの方面に40kmくらい走れば、羅臼にたどり着ける。

オヤジは行ってみたい衝動にかられたが、やっとの思いで我慢して、レディを斜里に向けた。
(羅臼町からウトロ→斜里に走れますが、100kmぐらい回り道になり、しかも今時期ぐらいから羅臼町からウトロの横断道路は、路面凍結のおそれがあり、夜半通行禁止がはいります。)

 ここからだんだん、疲労と空腹が激しくなり、しかもお尻も痛くなり、時折、後部シートにお尻をずらしながら走りとづけた。

心配していた天気はなんとかまだ晴れを保っていた。

どれほどの時間を走り続けたことであろう。

斜里町につく前に、ある遺跡にたどり着く。

越川橋梁



と、呼ばれる遺跡であるが、上越川駅間の国有鉄道 根北線 の橋梁として建設が開始されたのだが、ほとんど完成した状態であったが、そのまま使われることがなかった橋である。














 実はここは、某、心霊スポットでもかなり有名なところらしい。

 あなたのパソコンに変なものが映っていたら、ゴメンしてネ!!


斜里にたどり着いたら、もう後は自分のテリトリ(領域)である。

オヤジは食事も取らないで再び走り始める。

PM3:00
小清水の原生花園に当着!!

ここは、昨年、主(あるじ)さんに案内したかった場所であるが、時間の都合でパスしたところである。












 原生花園とはなんてことなない、単なる砂浜にハマナスなどの花が咲いている場所である。
 やはり、案内しなくて正解だったかな??

反対側には濤沸湖。





 今まで明るかった太陽も、そろそろ陽が落ちようとしてきた。

広大な景色を見ながら、オヤジの旅はそろそろ終わりだな。と感じていた。

最後に再びガソリンを入れる。644円也。

PM:4:30無事に帰宅。




たった3時間弱。

 距離的には180kmぐらいのツーリングの予定が、6時間30分。約290kmのツーリングとなっていた。


 本日の費用。ガソリン代:2、262円のみ。
ちなみに、食事と飲みものは一切取らず、朝から飲まず食わずでの行軍でした。




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