孤独なキャノンボーラー。 | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 30年前の某雑誌に、年に一度の七夕の日にバイク仲間が皇居前に集まり、北海道へのキャノンボールという企画があった。
 北海道のゴール地点はオヤジの住んでいる場所から車で飛ばして1時間ぐらいの弟子屈という町であった。


 いつしかバイクを乗り始めてオヤジは弟子屈にバイクで行きたい。と思うようになっていた。
 弟子屈には車では何回も来たことがあるが、バイクで行くとなったらまた特別な感情が生まれるのではないかと感じた。
 30年前の七夕の日、彼らキャノンボーラー達は、旅の終着点の弟子屈で何を感じ、何を思ったのか、今、バイクを乗るようになったオヤジは是非知りたいと思ったのだ。

 しかし、残念ながら今のオヤジの体力では。弟子屈どころか、その半分の距離のB幌町のB幌峠まで行って帰って来るのが精一杯というありさまであった。

 今日の休みは久しぶりに快晴。昨日の外気温8度という寒むさからうって変わって、陽気な暖かさであった。
(今日しかない。) オヤジは密かに決意していた。
本来なら、七夕に走るのがスジであるが、これはオヤジ一人が決めた事。
そして、10時30分にたった一人のキャノンボールを開始した。

 すでにオヤジの心は30年前の、キャノンボーラー達と一緒である。あの時、彼らはゴール地点の弟子屈で、何を思い、何を感じ取ったのであろうか??
  いつも着慣れているバトルスーツが、今日はやけに頼もしく感じた。


B幌町突入。そしていつもの交差点を左折してB幌峠に向かう。

オヤジの目はすでに幻の前走車を追いかけるハンターと化していた。

そして信号待ち。

すると1台の軽自動車がオヤジの横に停まり、ウィンドウを開けて可愛い女性がオヤジに声をかけてきた
(フフフフ。孤独なキャノンボーラーのタンディズムに惚れたな。)

オヤジはニヒルにシールドを開いて、その女性に顔を向けた。

「ウィンカー点いてますよ。」

 _| ̄|○  ガックシ!!


 その時、オヤジはフルフェイスのヘルメットをしていて本当に良かったと思った。
正しく顔から火が出るとはこの事であった。

そんなアクシデントも乗り越え、何とか40分ほどかけて、B幌峠に到着。



BMWのデュアルパーパスが1台すでに峠で停まっていた。




あいも変わらず同じアングルの屈斜路湖のシーン。
全く変化の無いオヤジである。

 この段階ですでに喉の渇きを覚えたが、自動販売機は人が沢山いたので、オヤジは遠慮して、次のステージへと向かう。(だって、バイクが来ていない場所でのバトル・スーツは異常に浮いているんですよね。正しくア・フェィの世界である。)

次はいよいよ、キャノンボールの最終目的地、弟子屈である。

ここから以降はオヤジのテリトリーではない場所なので、オヤジは捕まらないように慎重に走る。
 また、B幌峠はB幌町からの道は比較的、直線が多いのであるが、これからの下りはタイトなコーナーの連続であった。

相棒のレディは別名SSイーター。250cc並みの軽いボディに大排気量エンジン。
別名、バイク界の藤原拓海が操るAE86なのだ!!


と、思いつつ、慎重に下っていくと、いきなり後ろのインからBMWのデュアルパーパスにブチ抜かれた。

 さっき、オヤジの横に停まっていたマシンだ。そういえば発車するとき、BMWのオーナーがやけに睨んでオヤジを見ていたっけ。
 オヤジも負けじと彼の後を追いかける。

 コーナーでは引き離されるが直線で追いつく。屈辱だが仕方がない。


 峠の麓でBMWは前走車のトラックを追い越し、遥か彼方に走り去っていった。

(あれはきっと幻だったんだ。)オヤジはそう、自分にいいか聞かせ、なおも60km/h~80km/hの間のスピードで淡々と目的地を目指していった。

AM 11:30

弟子屈町道の駅にて





ここにもバイクは1台もいなかった。
今回のゴールに着いて何か感じるものがあるかと思ったが何も感じることは無かった。

あれほどの想いを感じて向かった弟子屈町。
「フフフフフフ。」オヤジは一人でに笑いがこみ上げてくるのを止めようが無かった。

それはまるで、30年もの間、大切にしていたものの正体が大したことが無かった事に気がついたのと同じであった


 さて、どうしようか?ここでオヤジの旅は終わった。

引き返すのもよし、また、違う目的地を目指して走るのも良し。幸いなことに、オヤジの体力はまだ残っていた。


弟子屈町は霧の摩周湖で有名な町である。

「よし、摩周湖だ!!摩周湖に向かおう!!」

そう言って、オヤジは摩周湖に向かった。

 全国的に知られている霧の摩周湖。そこは年間を通して霧が発生し、地元組でも滅多に霧が晴れたときの湖を見られる事が少ないのである。
 
30分ばかしてそこに着いた。
バイクの入場料は100円である。
しかも、ここでお金を払えば、硫黄山もただで入れるとの事であった。

昔、摩周湖だけなら●●円。硫黄山とセットなら▲▲円と値段が少し高かったのだが、今は同じ値段で入れるということであった。

 ということは、自然と硫黄山に行くしかないね。

 もうこの段階で次の行く場所が決定してしまった。






 今日の摩周湖は久しぶりに晴れていた。

多分、オヤジも今まで晴れた摩周湖を見たのは数回ぐらいである。




残念ながら、オヤジか摩周湖を出ようとしたら、バイカーの集団が現れた。






 ボディが小柄なレディにはだれも見向きもしなかったが、一人だけオヤジがエンジンをかけた途端、驚いた人がいた。

 うーーん。このリアクションが面白いんだよねぇーー。


さて、次なる目的地は硫黄山である。

ここでもタイトなコーナーを安全運転で走りきり、1時30分頃に無事に硫黄山に到着。






硫黄山は名前のとおり、
硫黄の噴煙がゴウゴウと音を立ててあちこちから立ち上っている場所である。

 
また、その有毒ガスの為に、付近は植物は生えない状態で、その雰囲気は正しく北海道の恐山。死の世界と言っても過言ではないであろう。








 
見学できるすぐ近くにも硫黄が立ち上っている。風向きによってはちよっとやばい時もある。





 ここで不思議な風景を発見。

 立ち入り禁止区間から出て、明らかに普通の身なりとは違う格好の女性がいた。なんだか巫女さんみたいな格好である。

しばらく見ていると、カメラマンの前で舞っていた。


何かの撮影か何かなんでしょうね。
悪いとは思いつつ、密かに盗撮してしまったオヤジである。
後で問題になったらいけないから画像は自主規制しております。

そろそろ、お腹も減ってきて、喉も乾いたので帰るとします。(あれから飲み物を飲む機会を失ったまま、昼も取らずに走り続けていました。)

 元に引き返すのも距離が遠くなるので、硫黄山から近道の藻琴山から引き返すことにした。
 しかし、ここは先日、事故で亡くなったライダーが走っていたルートである。

慎重に慎重に藻琴山の峠を登って行くオヤジ。

途中、B幌峠から見た
屈斜路湖が別な角度から見える場所があるので、そこで撮影タイム。





 ここの赤い場所が、さっきいた硫黄山である。



ここでも、バイクが5台が停まっていた。
ハーレーが2台、BMWが1台。ドカのデビルが1台。もう1台は車種不明。

彼らも撮影を行っていて、若い女性のモデルさんがハーレーにまたがっていた。
本格的なレフ版を使っていたからどこかのバイク雑誌の関係者だと思う。

流石にここでは堂々と盗撮できないチキンなオヤジのため早々と退散。

そして、事故死したライダーの場所を慎重に通りすごす。
本当に何故ここで亡くなったのか不思議に思う場所である。
 心の中で黙祷を捧げてから藻琴山を下っていった。

下った先は日本最大の芝桜公園のある場所である。


 5月にはこんなに綺麗に咲いていたのに、今はもう普通の丘である。








その為、入場料は無料だが誰もいなかった。

そろそろオヤジの旅も終わりに近づいてきたようだ。

PM:300

「ただいま~~♪無事に帰ってきたよ。」


誰もいない家にオヤジは声をかけた。

 




 今日の走行距離:210km。

普通の人には大した距離でないのですが、50kmも走ればヒイヒイと言い、体力が無くてダウンするオヤジの今年初めてのツーリングでした。



 30年前に銀色のカタナでポルシェを追いかけたキリンに憧れ、年に一度の走りのため東京から一晩でここ北海道に向かったキャノンボーラー達の心を知りたくて、今回の走りを決行したオヤジであったが、今のオヤジにはキリンのようなテクニックもキャノンボーラー達のような強靭な精神力も持ち合わせていない。

 しかし、必ず無事に帰る。という意思だけは持ち続けていこう。と強く感じるのであった。



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