(N168)プロ野球背番号レビュー(40番台) | BLUEのブログ

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30番台にもどる

 

今日の内容はプロ野球「背番号」レビューの続きで、40番台について投稿します。

 

では、スタートします。なお、順番は「00」からスタートし、以降は「0」から番号順に並べております。

 


 

(参考データ)

以下の表が各番号における最長着用者である。

 

 

40

 

広島では伝統的に捕手の番号とされ、代表格と言える達川光男は珍プレーの宝庫として特に重宝された。正直、「40」の説明は達川さんで埋め尽くしてもいいのだが、最長着用者の倉義和とか「ゲンちゃん」こと河野博文などの名誉もあるので…。あとは、「疑惑の危険球」を装った加藤健はある意味で日本シリーズの歴史に名を残したか。

 

ちなみに、ウィーラー巨人へ移籍した後にそのままコーチとして残留し現在は「86」へ変更しているが、それにしても登場テーマ曲が「ハクション大魔王」って…(笑)。

 

【主な着用例】

宮本敏雄、ラインバック、大島康徳、藤波行雄、達川光男、河野博文、渡辺正人、桟原将司、加藤健、ウィーラー ほか

 

41

 

投手のイメージが強いこの番号で、「ナベQ」こと渡辺久信はその代表格である。斎藤雅樹は「11」のイメージが強いが、11試合連続完投勝利をしたのはこの背番号の時である。野手の例としては「稲葉ジャンプ」で知られた稲葉篤紀を忘れてはならない。その稲葉の背番号を受け継いだ高井雄平は投手で50試合以上投げながら野手でも3割を打った異色の「二刀流」選手となった。

 

ちなみに、最長着用者は大洋でコーチをやっていた沖山光利という人で、三浦大輔の愛称である「ハマの番長」の名付け親だという。

 

【主な着用例】

谷沢健一、斎藤雅樹、渡辺久信、稲葉篤紀、小林宏之、青山浩二、浅尾拓也、高井雄平、千賀滉大、中川皓太、小瀬浩之 ほか

 

42

 

日本では「死に番」とされ、忌み番の代表格とされている。そのため、日本人の着用者は少なく、巨人では28年間欠番だった時期がある。代表格はやはり並外れた怪力を誇ったカブレラと、日本球界で初めて160km/hを投げたクルーンになるだろうか。ちなみに、下記の王天上は「フランク・オーテンジオ」が本名で、「王さんの上を行って欲しい」との期待を込めてこの登録名となっていた。

 

大リーグでは黒人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンを讃える意味で、全球団で永久欠番となっている。そのため、外国人選手が来日する際はこの番号を希望する事もあるという。

 

【主な着用例】

王天上、カブレラ、下柳剛、ズレータ、クルーン、木田優夫、ブランコ、ジョンソン、坂口智隆、メルセデス、大関友久 ほか

 

43

 

玄人好みが揃っているのがこの番号で、国籍問わず一芸を持った個性的なメンツが下記の代表選手に並んだ。最近ではやや投手の割合が多いだろうか。ちなみに、山本由伸は2020年から「18」に変更したが、あえて変更せずに「43」を定着させて欲しかった思いもある。

 

最長着用者はロッテで捕手をやっていた土肥健二という人で、あの落合博満はこの選手の打撃フォームを参考にしたとされている。

 

【主な着用例】

土肥健二、ブラウン、鈴木平、横田久則、横山道哉、ミンチー、宮出隆自、小笠原孝、高橋朋己、宋家豪、島内颯太郎 ほか

 

44

 

大リーグでハンク・アーロンが着けていた影響か、外国人の大砲が揃っているのがこの背番号。三冠王を獲得したバースブーマーが代表格で、最近だと中日にいたタイロン・ウッズの印象が強い。日本人にとっては「死」が2つ続く番号なので着用例は少ないが、現役で井上ロッテ)や頓宮オリックス)といったレギュラークラスの選手が着けており、少なくとも「42」よりはマシだと思われているようだ。

 

思えば「バースの再来」は一体何人来日したんだろうか。1989年に在籍したセシル・フィルダーはある意味でバースを超えた存在ではあるが…。

 

【主な着用例】

山本功児、バース、ブーマー、加藤博一、緒方耕一、ハウエル、ブラッグス、上田佳範、T・ウッズ、井上晴哉、頓宮裕真 ほか

 

45

 

続けて読むと「死後」となり、そのせいかこの番台の中で特に選手が少ないように感じる。かつては外国人の活躍例もあったが、現在は主に若手が着用する事が多い。もちろん、岡本川井のように活躍した選手もいるし、インパクトだけならパンチ佐藤も印象的だ。なお、シュールストロムに関してはむしろ広島のスカウトになってからの方が活躍している気が…。

 

現役選手では本田圭佑西武)や龍空中日)などがレギュラーで活躍し、2022年にはポンセがノーヒットノーランを達成している。

 

【主な着用例】

テリー、ゲイル、ランス、岡崎郁、佐藤和弘、定詰雅彦、岡本克道、シュールストロム、川井貴志、阿部翔太、綾部翔 ほか

 

46

 

代表選手を見る限りでは、記録よりも記憶に残る選手が多く見受けられる。中でもG.G.佐藤の北京「夏季」五輪での落球に関してはもう語る必要もないだろう。あとは近鉄時代の北川が「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」を打ったのも印象に残った。また、すっかり監督のイメージとなった栗山英樹は現役時代にこの背番号を着けていたらしい。

 

なお、田中健二朗投手はトミー・ジョン手術で一度育成契約となっていたが、2021年に支配下復帰を果たして最長着用者となった。

 

【主な着用例】

栗山英樹、三浦大輔、坊西浩嗣、北川博敏、土谷鉄平、森本稀哲、本多雄一、G.G.佐藤、田中健二朗、島本浩也、コラス ほか

 

47

 

おそらく、ほとんどの人が現役時代の工藤公康を思い浮かべるだろう。元々小山正明の影響で投手の番号ではあったが、平成以降は完全に左投手のイメージで固定された。杉内帆足山口鉄也など工藤に憧れてこの番号にした選手も多い。現在でも年を追うごとにこの番号を着ける左腕が次々と現れており、下記の代表選手に入らなかった投手も少なくない。

 

一応、野手の着用例も挙げておかなければと思い、代表選手に外国人2人を入れといた。ただ、やはり野手の「47」は違和感が強い。

 

【主な着用例】

小山正明、金石昭人、工藤公康、ライマー、野口茂樹、杉内俊哉、帆足和幸、山口鉄也、クルーズ、砂田毅樹、高橋奎二 ほか

 

48

 

若手の出世番号として着けられるケースが多く、現役でも数多くの若手が期待を込めて着用されている。古くは松永裕美、最近でも井端弘和岩隈久志などがこの番号からスタートして日本を代表する選手に成長した。もちろん長く着けるケースもあり、最長記録は西武で2022年まで活躍した武隈祥太となっている。

 

ちなみに、甲藤啓介ソフトバンク時代にリリーフで活躍し、その背番号から取った「SBM48」を結成していた時期もある。明らかに「AKB48」を意識していたと思われるが気にしてはいけない。

 
【主な着用例】
香田勲男、久保康生、島崎毅、島田直也、岩村明憲、マルティネス、高木晃次、矢野謙次、谷元圭介、甲藤啓介、武隈祥太 ほか
 

49

 

「死」と「苦」が続く背番号であるからか、これまた外国人の着用例が多いのがこの番号。代表格と言えるのはクロマティで、現在でも巨人最強助っ人として語り継がれる。日本人では平井光親が首位打者を獲得した時にこの背番号を着けていた。また、柏田貴史は野球留学した際に大リーグで登板した後、逆輸入の形で巨人に復帰してから「49」を着けて活躍した。

 

ちなみに、ロッテなどで活躍したシコースキーは本来だと「シコルスキー」と呼ぶらしい。たった一文字変わるだけで意味が大きく変わってしまうな……しくしく。

 

【主な着用例】

皆川睦男、クロマティ、平井光親、吉田修司、柏田貴史、ディアス、シコースキー、ネルソン、ビエイラ、アマダー ほか

 


 

50番台は次回投稿します。クロマティと言えば、昔「魁!!クロマティ高校」って漫画があったなあ。それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?

 

50番台へつづく