メディア化されたおっぱいに違和感を感じる
例えば写真集、古いものから新しいものまで
例えばAV
それらで乳首やアンダーヘアをあらわにしている女性たちをみると、女性たちのおっぱいを見ると違和感を感じる
これは女性特有の話だと思う
他人様のおっぱいをまじまじと見る機会は女性にはあまりない
自分のおっぱいなら見下ろしたり鏡で見たり、もんで見たり、つまんでみたり、日々コミュニケーションをとっているので親しみがある
でも他人様のおっぱいとなるとまつまたくみない、まずみない
見る機会があるとすれば、仲のよい女友達といく温泉とか、銭湯とか
しかし温泉やプールの着替えの際に見る友達のおっぱいは覗き見ることしかできない、全体像をまじまじと掴むことができない
仮におおっぴらな友達で、ゆっくり眺めあう機会があったとしても、仲のいい友達のおっぱいというものは何故か自分のと似通ってくる
大きさや形が違っても、何故か似通ってくる、似ていなくても、受け入れられるなにかがそこにはある
銭湯では他人様のおっぱいをまじまじと見ることができる、比べられる
しかし銭湯で同じ年齢層の女性を見つけることは非常に難しい
年齢や背格好が違うのだからおっぱいも違くてしかり、そこに奇妙さは感じられない
しかしメディアを通して見るおっぱいは実に奇妙である
大きさ、かたち、あと一番理解に苦しむのが乳首
なぜ面長でスレンダーなこの女の子の乳首がこんなにも巨大なのか、
大きいということはこんなにも垂れるということなのか、
メディア化されたおっぱいはかわいさやエロさや綺麗さよりも奇妙さが際立つ
男性はこんな違和感を抱くことはないと思う
女性が個々で存在し、おっぱいも個々で存在するのだから
あぁでも肥大な乳首を強調されるように縛られたおっぱいの奇妙さよ!
身震いするほどである
ユキちゃんのメディア化されたおっぱいに感じるおっぱい論の話
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