変わるもの、変わらないもの | 彼は彼で、必死で生きてる           

彼は彼で、必死で生きてる           

良いも悪いも善も悪も
優れているも劣っているも
社会や時代が引っ張った
一本の線の上か下か。あるいは右か左か。

静かに目や耳を澄ませた時
見えてくるもの聞こえてくるものって
何なのだろう?

ブログを書かなくなって3年が過ぎてました。

 

皆様、いかがお過ごしでしたか?

 

3年前のブログを見返してみると,自分自身はたいして変わっていなくて、

でも、世界はすごく変わったような。

 

技術が人々のコミュニケーションをどんどん変えていきます。

 

会いたい人と会いたい時に、技術を使って顔を見ながら話ができる。

携帯端末もどんどん子ども達がもつようになってきて。

 

家族のそれぞれが、今話したい人と話しにスマホの向こう側にいってしまって…

家族の大切な時間は大丈夫だろうか?

 

快適さを求めていろんなものごとが発明されるけど、

いつもいつも快適でなにもかもが揃っていたら、

人と人が深くつながるきっかけがどんどん失われてしまう。

 

食卓の醤油をハイっと、とってもらった時と、

10kgの米を10分も歩いて汗だくで運んできてもらった時では、

明らかに感謝の度合いが違うように、

 

僕らは便利さを手に入れながら

大きなものを失っていく。

 

世の中は効率の良さが重視されて進んできて、

経済を活性させられる人が価値ある人と言われて、

 

そのフルイの目からこぼれてしまうと

とてもとても生きづらくなってしまう。

 

うすっぺらな「絆」やうすっぺらな「感謝」や

うすっぺらな「自由になった気分」の中で

 

豊かなはずの世界で人々はいっそう孤独になっているような。

 

遠くの会いたい人にすぐ会える仕組みも大切かもしれないけれど、

すぐ目の前にいる人を、目を澄ませて耳を澄ませて感じようとすれば、

その人の社会的な行為や能力ややる気や価値観の奥に

その人の生きているエネルギーみたいなものが

伝わってくるんじゃないかな?

 

そのエネルギーみたいなもの、命みたいなものを応援してみる。

 

そんなコミュニケーションのあり方もあるんじゃないかな?

 

言葉で激しく叱ったとしても、

自分が今の瞬間好かれることなんかどうでもいいと思える

深いコミュニケーションのあり方。

 

そんな愛し方ってあるんじゃないかな。