言葉はひたすらさまよい歩き、どこへもたどり着けない。
どんな話か。
赤ちゃんが生まれた時、親は
「よい子に育ってね」と願う。
思春期の頃、親は
「もっとよい子だったのに」と言う。
漠然としたよいこが、
段々と
「何をするのがよい子で、何をしないのが悪い子」
と誰かが決めたよい子悪い子で定義し始められる。
具体的によい子とは?
状況の中で変わっていきそうです。
成長して、たくさんの人や社会と関わる中で、
言葉のもっていた意味も
どんどん変わってしまうのでしょうね。
仕事場で
お客さんのことを考えて行動する。とか
今からする仕事の目的は何?なんて、
残念ながら、ひとによって大きく異なってしまったりするでしょう。
長年一緒に暮らした家族でさえ、通じない言葉。
新しい出会いから始まる
たくさんのそれぞれの常識や
それぞれの当たり前や、
それぞれの正義だって、
ものすごく違っているかもしれないわけです。
怒られたり、頭にきたり、
落ち込んだり、陰で文句をいったりしながら
段々とわかるようになるわけで、
もちろんそのためには、
自分と違う相手を理解しようとする
努力みたいな気持ちを
お互いに持っていたいものですが。
相手の
言葉の使い方の癖や、
正義感が
7割くらいわかる。
そんなことを目指して時間を
共有していくことも
大切なのかもしれません。