人それぞれ、の意味 | 彼は彼で、必死で生きてる           

彼は彼で、必死で生きてる           

良いも悪いも善も悪も
優れているも劣っているも
社会や時代が引っ張った
一本の線の上か下か。あるいは右か左か。

静かに目や耳を澄ませた時
見えてくるもの聞こえてくるものって
何なのだろう?

十人十色、という。
十人が十人、それぞれの性格で、
それぞれの価値観を持っている。

それだけじゃないことに、ふと気づいたりします。

十人が十人の幸せの形を持つようになる。
と、書きつつ、これはどうも間違い。

幸せを感じながら生きるのがあっている人と、
幸せ感をもたないで生きる生き方を
望んでしまっている人もいるように
思えてならないのです。

あらためて幸せって何?

毎日、社交パーティー。
プラスの言葉と、良い投資の話。
幸せ?

家族は笑顔で暮らしているけど、
切り詰めても切り詰めても減っていく貯金。
幸せ?

今はどうにもならないけど、
今に見ていろと、心が震える瞬間。
幸せ?

仏教の修行をしている人が悟るとしたら、
仏教修行をしているその生活者としての悟りであって、
その悟りを持って、
ブラック企業で幸せに働いたり、
ブラック企業と戦ったりできるわけじゃない。たぶん。

ふと、思うこと。
苦しい生活の中で、適切な苦しみ方を知っていること。

苦しいことなんてわかっているのに、
その苦しみの楽しみ方を知っているマラソンランナーのように。


たとえば、ちょっと荘子的であれば、

苦しみから解放されない王様に、
王様でいること自体が苦しみを作っているんじゃないの?
夢も希望も捨てて、一人静かに暮らせば開放されるんじゃないの?

それが捨てられるくらいなら、苦しみとうまくつきあう方法を
探し続けて苦しむ方がよい。のかもしれない。ケースバイケース。

気づきそうな気がしてきませんか?

夢、希望、努力、自制、苦しみ、苦しむ楽しさとやりがい。

ほとんど同じものじゃないのかって。
少なくとも、ぴったり寄り添ってそんなものたちが
あるんじゃないかってことに。

人の真実は、あなたの真実じゃない。
今の真実も、次の瞬間の真実じゃない。

標語みたいに万人のために壁に貼られた幸せなんて、
ほとんど意味を持たないような、
そんな気がするのです。

十人十色・・・ 十瞬十真・・・