今日は3月11日です。

だから、原宿に行きました。


他に行くところがあるだろ?って思う人もたくさんいるのは承知しているけど、

私にとっては、去年の3月11日以降の社会における「正しさ」について、

何らかの答えを見つけられた場所が、去年の4月の頭に行った原宿だったので、

自分の中で、いろいろなことを風化させないために、

意識的にこの場所を選びました。


人がいっぱいいました。

買い物したり、お茶したり、デートしたり、家族で歩いたりしてました。

そういう、いつもと同じ週末の風景で、

でも、道に東北への応援のメッセージの幟とか旗みたいのが出ていたり、

キャットストリートのあるお店では、キャンドルのモニュメントみたいの出していたり、

と、今日が3月11日であることを意識している様子もありました。


買い物で入った先のお店の人によれば、

昨日の方が、どこか空気がいつもと違っていて、

今日は、普段通りな感じがする、と言ってました。

「むしろ、今日の方が外出たいのかもしれませんね」って言われて、

そういう人もいるのかもしれないな、と思いました。


なんか、頭で考えていることは、ものすごくたくさんあるんですけど、

うまく言語化できなくて、ただ事実を羅列してしまいます。


昨年地震が起きた時刻と同じ午後2時46分には電車に乗っていました。

「震災の記憶を風化させず、同様の災害時の被害を最小限にとどめる訓練のため」

と言って、2時46分に電車が止まりました。

多くの乗客は、黙とうこそしないものの、おしゃべりをやめて、

下を向いたり、目を伏せがちにしたりして、震災のことを考えている様子でした。

私もそうしたし、特に信仰とかないけれど、祈りを捧げたいって思っていました。

が、そういう多くの人の思いを知ってか知らずか、

中年の女性二人が、そんな車内で大きい声でおしゃべりをしていました。


何度も書いているように、私は震災後の「自粛」とか「不謹慎」という言葉が蔓延して、

「正しさ」が空気を読んで決められて、

音楽でも娯楽でもなんでも、わかりやすいものしか受け入れられない状況が

怖くて、息苦しかった人間です。

だから、基本的には、誰が何を考えてどう行動しても構わないと思います。


ただ、さすがに3月11日の午後2時46分という瞬間に、

電車の中で、

「ねぇ、おやつ食べない?」(何かお菓子的なものを取り出す)

「こういうのがあれば、地震が起きても安心ね(笑)」

という会話を交わす人の神経は疑わざるを得ませんでした。


同じ日本という国で、一年前の3月11日の午後2時46分に

たくさんの人の人生が変化を余儀なくされ、たくさんのものが失われたというのに、

そして、それを風化させないため、この次の悲劇は少しでも小さいものにするため、

同じ時刻に電車を止める、という配慮がされているというのに、

なんで、そんな会話ができるんだろう。


すごく腹立たしかったし、ショックだったし、怖いなと思いました。


先日、日本国籍を取得されたドナルドキーンさんが、

震災後1年を迎える日本に対して、「正直言ってがっかりしている」と言った、

という報道がありましたが、

ああいう人たちを見るとそう思わざるを得ません。


もちろん、東京の人たちが、いつまでもくよくよと「自粛」していても仕方ないし、

結局、みんな自分の人生を、自分の毎日を生きるしかないのも事実で、

明るくなっちゃいけないとか、楽しく生きちゃいけないなんて、

どんな状況にある人であっても、他人に言う権利はないと思います。


でも、せめて、今日くらいは午後2時46分という時刻くらいは、

被災地や被害者の人に思いを馳せて、まとまらなくてもいいから何か考える、

ということができないんだろうか。

もう、東京は震災前と同じ暮らしができてるから、関係ないとでも考えてるんだろうか。


そんなことを考えさせられました。

ああいう人が普通に生きている東京で、

もし、大きな災害や事故が起きたら、みんな「助け合う」のだろうか。

「奪い合い」が起きて、「絆」なんて簡単に断絶されるんじゃないか。

そんな不安さえ頭をよぎりました。


そのくらい、あの人たちにはショックと恐怖を覚えました。

なので、私が震災後、もっとも嫌いだった言葉を心の中で言いました。

「黙れ、不謹慎」。


今日はなんとなく、渋谷で降りてキャットストリートを上って原宿に向かったので、

電車を降りた後に、まず渋谷のスクランブル交差点で信号を待ちました。

グリコの街頭ビジョンでCMを流していました。

あのいっぱい、いろんな人が出ていて、みんなで歌っているCMです。

私、テレビほとんど見ないから、CMも全然知らないんですけど、

あのCMはTERUさんが出ていて、

TERUさんのブログで、作家さんがあのCMに込めた願いなんかも知ってたんで、

「ああ、こういうCMなんだ」ってしみじみ見ました。

ほのぼのした温かいCMだなって思いました。

後ろで信号待ってた人たちも、「なんかいいよね」って言っていました。

電車の中では、ずっと、そのおばさんたちのことで暗くなっていたので、

すごく救われた思いがしました。


私にとって、この一年というのは、本当に自分の無力さを感じることが多かったなと思います。

自分なんかいても、今の日本には無駄だと、ものすごくよく思いました。

ただ、考えれば考えるほど、

すべての人が、直接であれ間接であれ、何か形として困っている人全員の役に立てていることなんて、

人類の歴史上一度もなかったのかもしれない、

ということも思うようになりました。

震災の前から、日本にも世界にも困っている人や大変な状況の人がいて、

でも、みんながみんな、その人たちの役に立って生きていたわけじゃなくて、

ただ、そうだとは言え、だから、そうやって役に立って生きていなかった人の人生が

この社会にとって無駄かと言ったらそうでもないよな、って思います。


きっと、私も他の人も、要するに人間はみんな、

すべての人の役に立てるだけの力を持つことはできないから、

一生、無力さを感じながら生きていくしかなくて、

だからこそ、「忘れない」「思いを馳せる」とかいった、

簡単なことを、日々の生活で、ずっとやっていくしかないんだと思います。


きっと、去年の4月、私が原宿で感じたことは、そこにつながっていたのかもしれないな、

って。


そんなことを考えながら、今、かけている音楽は、

hideさんのHurry Go Roundです。

私が、震災後にすごく聴きたいな、と思いながら、

こんな曲を聴きたいと思う自分は「不謹慎」なのかもしれない、

って思った一曲。

今聴くと、きっと、去年の今頃より、

今のためにある曲なのかもしれないな、とも感じます。

「震災後」を生きていかなきゃいけない、すべての人のために

何かたいせつなことを伝えてくれる歌詞なんじゃないかと。

「また 花となるでしょう」

「また 春に会いましょう」

すごく温かい言葉だなって思います。


そういう一日でした。

私は、震災直後の1か月半くらいの日記がすべて、

ブログではなく、紙媒体で残してあって、

今日もそうしようかと思ったんですが、

ブログを再開した日に聴いた曲もhideさんのHurry Go Roundだったので、

今日もブログで書くことにしました。


電車での一件があったからこそ、

多くの人の「忘れない」って思いがアメブロに溢れてるといいな、

って切実に思います。


おしまい。

ラジオに、摩天楼オペラが出ています。

さっき、別のラジオ局で出ていて、

その番組が終わって、別のラジオ局の番組に替えたら、

また、ゲストでした。

まぁ、録音なんですけどね、びっくりです。


彼らは、CRUSHの第一弾でXの紅をカバーしていたバンドですが、

実は、そのときの印象はあまり良くなかったんですよね。


が、今回、オリジナル聴いて、イメージが一変しました。

すごいな、この人たちって。

楽器の人たちのテクニック、ボーカルの歌、そして、音楽全体、

どれを取っても、すごいと思います。

ボーカルの歌い方が、ビジュアルバンドっぽいセクシーさに、

B’zの稲葉さんのセクシーさを掛け合わせた感じがあって、

音域の広さや、発音の良さも、日本人バンド離れしてるなって思います。

バラードでのビブラートの多様さや使い分けのうまさも、

実力派だなぁって感じさせられたし。

あと、私が好きなゴージャスなサウンド感もいいです。

キーボードがメンバーにいる編成だからだと思うんですが、

各パートのアンサンブルの複雑さが、クラッシックっぽいところがあって、

それがまた、おもしろいです。


以前、イタリアのロック特集みたいのをラジオで聴いて、

なんか、さすがは古くからの芸術の都の国だけあって、

ロックも、なんかクラッシックっぽいな、と単純に思うところがあったんですが、

摩天楼オペラもそういう雰囲気を持っています。

音楽から、ベルサイユ宮殿が思い浮かぶような。

あ、ベルサイユ宮殿がパリっていうことはわかってます。

なんか、ああいうコテコテな感じの世界観を持った音楽で

かっこいいなぁ、って。

「摩天楼オペラ」って名前が、すべてを象徴している感じがします。

ステンドグラスが空まで続いてるんじゃないかっていうくらいの塔で、

合唱団付きのオーケストラが演奏しているような。


アルバム買おうかなって思ってます。

どうしようかな。。


そんなことを考えました。


ほとんど、テレビを見なくてラジオばっかの生活になってから、

だいぶ経って、周りからは「それだと時代から置いて行かれない?」って心配されるけど、

ラジオを聴くようになってから、知ってるバンドの数が絶対に増えたから、

別にいいです。


ついでですが、CRUSHの第一弾で演奏したバンドのオリジナルを聴くことが最近多いんですが、

カバーだけじゃわからない個性やいい点がわかって、おもしろいです。

あと、摩天楼オペラにしてもDOG in theパラレルワールドオーケストラにしても、

第二弾の葵さんにしても…とにかく多くのバンドに対して思うこととして、

そこのバンドの個性に合った曲をカバーしたんだなって思って、

プロデュースの人や企画の人のセンスをすごく尊敬します。


そんな感じです。

うまくまとまらないな。


おしまい。

昨日は、ビジュアライゾーンの100回記念の生放送だったので、

わくわく聴いていました!と書きたいところで、

実際、ラジオをかけることはしていたのですが、

ストレスフルなメールを返さないといけない用事があって、

なんか、最初の1時間はあんまり記憶がないです。


ただ、DOG in Theパラレルワールドオーケストラが途中で出てきた、

っていうことと、

あと、番組後半の方で、DJの方々が、

「まだあんまり知られてないV系バンドをどんどん紹介していきたい」

っていうコンセプトで番組を続けてきたというお話をされていたことが

印象に残っています。

実際に、私はあの存在を知ったバンドや、

この人たちこういう雰囲気なんだっていうのを知ったバンドが

結構多いので、すごく共感しました。


DOG in Theパラレルワールドオーケストラは、

CRUSHの1作目でラファエルの「夢より素敵な」をカバーしていて、

そのときに歌声と、バンド全体のバランスがすごく好きだなって思って、

ネーミングが不思議なこともあって、気になっているバンドです。

ビジュアライゾーンや、同じ局の別の曜日の番組に登場することが多くて、

彼らのオリジナルの曲も耳にするようになったんですが、

オリジナルの曲も、いい意味でポップな音楽と、

私が好きな女の子アーティストに通じるような世界観を持った曲が多く、

なんか好き、って思っていました。

あと、トークがマイペースなところも。


ところで、そんな彼らがカバーしていた「夢より素敵な」も、

すごくいい曲だな、っていうのもそのときから思っていて、

ラファエルのオリジナル版のPVを動画で見つけて、

何回か再生して観たりしてたですが、

映像の作り方がきれいで、なんかいいなって思っていました。


私は、中学生の時にX解散するわ、hideさん亡くなるわ、

という世代で、

しかも、高校生になるまで、あんまりバンド曲やV系に興味なくて、

GLAYとラルクとSHAZAくらいしか知らなかったんで、

ラファエルとかSOPHIAとか本当によく知らなくて…


昨夜、DOG in Theパラレルワールドオーケストラの話聞きながら、

ふと、ラファエルってどういう人たちだったのかな、って思いながら、

別のことをいろいろしていたんですが、

運命というかなんというか、びっくりしたことに、

今日の昼間、メールチェックしようとネットつなげたら、

yahooのトップのニュースが出るところで、

「ラファエル復活か?」みたいな見出しがありました。


それで、その記事からいろいろなことを初めて知ったんですが、

すごく驚いたのが、「夢より素敵な」は、

亡くなった華月さんが10代に作った曲だったということです。

あんないい曲を10代で作った人なのに、

すごく若くして亡くなってしまって、メンバーとか当時のファンの人とか、

本当にショックだっただろうなって思います。


私はなんか、「滅びの美学」みたいのを信じてしまうところがあって、

国内外のロックバンドの解散とか、

音楽家に限らず、作家とかも含めて、アーティストの急死とかを、

どこか、「この人たちは、こういう形で自分の<芸術>をやりきったんだ」

という見方をすることがあるんですが、

あまりに若くて亡くなったら、そういう見方ってできないよなって思っちゃいます。

ショック受けるだけ、みたいな。


yahooは下にコメントが出ることがあって、

あれって、読むと心がすさむようなこととか多いですけど、

そのラファエルの記事については、

素直に復活を楽しみにしてるっぽいコメントがあって、

私の中で、一つ、「腑に落ちたこと」があります。


それは、「なぜ、バンドは復活するのか」ということです。


彼らが本当に「復活」するのか、またその理由がなんなのかは

記事からはわからなかったんですが、

昨年は、「震災を機に」みたいに言って、復活するバンドが結構ありましたよね。

私は、それを正直、意味わかんないなって思ってました。

「なんで今なのか」の理由が「震災」と言われても・・・って。

いきなり、今、「復活」して、

誰かの心にその人たちの音楽が届くのかなって。

チャリティーをするにしても、解散なり、活動休止後の自分としてできることがあるはずだし、

そっちをするべきなんじゃないかって。


でも、なんかそのyahooのコメントなのに素直な言葉を見たときに、

ふと思いました。

解散後にも、ずっとその人たちの音楽が好きで、その人たちの音楽を心の支えに生きている人たちが、

きっとたくさんいて、

そういう人にとっては、自分や日本が大変な時に、

大好きなアーティストが活動を再開してくれたら、すごく心強いし、

もう一度生きていこうって思える糧になるんだろうな、と。


私自身、前も書いたように、震災直後に聴きたかった曲が、

マイケルジャクソンのHeal the Worldと、hideさんのHurry Go Roundで、

二人とも、もうこの世にはいないから、

もう一生、ライブでは聴けないわけだけど、

当時の私は勝手に、今マイケルが生きていたら、絶対にこの曲を歌っていた、

って思っていたし、

hideさんだったら何を語ったのかな、って考えたりもしていました。


そういう意味で、誰かを勇気づけるとか、誰かの心の支えとかって、

生きてる人、今存在している個人やバンドだけができる特権ではなくて、

一生懸命生きて、社会に何かを表現した個人やバンドなどの存在なら、

「今」「この世に」いなくても、できることなのかもしれないなって思います。


だから、震災前の何年間かの間、活動をしてなかったバンドだったとしても、

彼らに支えられて、その何年間を生きてきた人や、

震災後の日々を生きていこうとした人はきっといるし、

そういう人たちのために、「復活」を決意した人たちの考えは、

何も間違ってないんだって思うようになりました。


繰り返しになるけど、

ラファエルが「復活」するのかも、その理由が震災なのかも、

まったくわかりません。

少なくともyahooには書いてなかったので。


ただ、私は昨日のラジオに録音で出てたDOG in Theパラレルワールドオーケストラから、

ふとラファエルの「夢より素敵な」を思い出したタイミングで、

ラファエルについて報道されてるのを見て、

いろんなことを考えているうちに、

震災後に「復活」したバンドについても、思いを巡らすことになった、

という話を書いてみたかったので、書いた次第です。


どんなアーティストにせよ、どういう理由にせよ「復活」することになったとき、

たくさんの人が、それを喜ぶのだろうし、

それは、この間、彼らの音楽を支えに生きてきた人たちがいるからだ、

っていうことが、なんか急に降ってくるように感じられたんですよね。


ちなみに、そのとき、部屋で流れていた音楽は、

久しぶりに聴きたいなぁって思ってかけていた、

CRUSHのDOG in Theパラレルワールドオーケストラ版の

「夢より素敵な」でした。


不思議。


おしまい。