上方文化評論家 福井栄一 いちびって候
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狐と殿様。

昔、鳥取藩の藩主が参勤交代で帰国の途上、駿河国赤坂の本陣で突如、狂乱。「雲州の高浜が来る、じきにやって来るぞ。奴が来る前に、早々に出立せい!」と絶叫して暴れ、手がつけられない。
家臣が不審に思って探ってみたところ、同じ赤坂宿に「高浜八郎右衛門」なる武士が逗留していると判明した。江戸勤番を終えて帰郷する途中であった。弓の名手との評判だった。
そこで、「わが殿の口から貴殿のお名前が出ておりまする。ぜひご同道を」と懇願して、本陣まで出向いてもらった。
 一方、藩主の狂態は激しさを増すばかり。
藩主は座敷へ入ってきた八郎右衛門の姿を目にするや、障子を蹴破って庭へ駆け出し、池へ飛びこむと、気を失った。

 家臣たちが慌てて助け出すと、藩主はほどなく正気づいた。ここしばらくの己の言動は、何も憶えていないという。
 家中の者どもは、「ご主君に憑いた狐が、八郎右衛門殿の武勇を恐れて、退散したのだろう」とうわさした。

 この後、八郎右衛門が多大の褒美を賜って意気揚々と旅を続けたのか、本陣からの帰路、口封じのために謀殺されたのか。それは伝わっていない。

 

汗。

人間は、運動らしい運動をしなくても、1 日約 600 ml の汗をかくよ。
あなたのベッドや布団、湿ってない?

 

アメフラシ

タイドプールに居る軟体動物アメフラシの殻は、まるで紙のように薄い。つついて刺激を与えると、紅紫色の液を出す。それが水中で広がるさまを雨雲に見立てたところから、この名がついた。#アメフラシ

 

朝日関西スクエア会報に、拙稿『五月山の謎』が載りました。ご高覧下さい。

朝日関西スクエア会報に、拙稿『五月山の謎』が載りました。ご高覧下さい。

https://www.kansai-square.com/member/2020/05/post-31.html

 

レッドテンプル。

レッドテンプル(キツネノゴマ科)の葉は、伸び始めは緑色。
「あれっ、買うときに種類をまちがえたかな?」と心配になるかも知れないが、光量をきちんと確保してやれば、徐々に朱色へ変化して、水槽を華やかに彩ってくれる。但し、底床肥料をケチると、緑色に戻ってしまうから注意。
#レッドテンプル

 

名作古典にでてくる不思議なむかしばなし(福井栄一著・汐文社)

6月には、東京都千代田区の汐文社から、
『名作古典にでてくる  どうぶつの不思議なむかしばなし』、
『名作古典にでてくる  さかなの不思議なむかしばなし』、
『名作古典にでてくる  とりの不思議なむかしばなし』
の3冊を一挙刊行予定! お楽しみに!!!...
#福井栄一 #汐文社 #名作古典にでてくる不思議なむかしばなし

 

地蔵の臼。

昔、高知のある村に、裕福な兄と貧乏な弟が住んでいた。
ある時、弟の息子が病気になった。薬を買おうにも医者を呼ぼうにも金が無い。弟は兄の家へ行って土下座して頼んだが、兄は一銭も貸してくれなかった。
弟は村はずれの地蔵堂へ行き、「このままでは息子が死んでしまいます。どうか息子の命をお助け下さい」と涙ながらに祈った。
するとその夜、夢枕に地蔵が現れ、小さな石臼を授けてくれた。「右に回せば望みの物が出て来る。左に回せば出るのが止まる。心して使えよ」とのお告げだった。

...

 翌朝、弟は枕元にあった石臼を恐る恐る回しながら、
「銭と米を少しばかり出してくれ」
と願うと、出るわ出るわ、銭や米がざくざく出てきた。その銭で医者を呼び、息子は一命をとりとめた。
それからというもの、弟は臼を回しては、家や田畑や馬や使用人まで出して、村一番の長者になった。

驚いたのは兄である。
弟の富貴の秘密を探ろうと弟の屋敷を訪ね、
「あの時は非道な真似をしてすまなかった」
と心にもない詫びを入れた。
弟は元々善良な人間だったし、いまや裕福になって何事にも寛容になっていたから、すぐさま兄を赦してやった。
兄は弟が気を許したとみてとるや、急に金持ちになった理由を訊いてみた。
弟は、「それはこの臼のおかげさ。これを右に回して願い事を言うと・・・」
と言いながら、その場で上等な茶菓子を出してみせ、兄へ食べさせてやった。兄は目をまるくしながら頬張った。
その夜、兄は弟の屋敷に泊めてもらった。

さて、真夜中。
兄は家人が寝静まるのを待って例の臼を盗み出すと、屋敷を抜け出し、海岸の漁師小屋へ身を潜めた。
やがて夜が明けると、兄は舟で沖へ漕ぎ出した。
「村で臼を使うと、俺が盗んだとすぐにバレてしまう。他国へ渡り、そこでこの臼を思う存分使って、国一番の長者になってやろう」という肚だった。

しばらく漕ぐうち、兄は塩が舐めたくなった。昨夜、弟の家で甘い菓子をたらふく食べたからだった。
そこで臼を右に回して、
「塩よ出ろ、塩よ出ろ」
と願ったところ、さらさら塩が出てきた。

ところが、弟と違って兄の方は、臼の止め方を知らない。
臼は回り続けて塩は際限なく出て来る。
たちまち舟の上は塩で溢れ、舟は塩の重みで兄もろとも海の底へ沈んでしまった。

もちろん、臼も一緒に沈んだ。
今も、海の底で臼は回り続け、塩が噴き出し続けている。
だから、海の水は塩辛いのだという。

 

権現舞。

権現舞は、岩手や青森などに伝わる二人立ちの獅子舞。修験者が広めた。熊野権現あるいは蔵王権現への信仰をベースにして、在地の神の霊を獅子頭へ祈り籠めて舞う。
#権現舞 #獅子舞

 

『にんげん百物語』福井栄一著・技報堂出版

新型コロナウイルスが猛威をふるう中、「からだ」「健康」への関心がいやが上にも高まっています。
こんな時期こそ、人体に関する蘊蓄がギッシリ詰まった『にんげん百物語:誰も知らない からだの不思議』(福井栄一著・技報堂出版)を是非お読み下さい。
医学的知見はもちろん、民間療法、疾病平癒にご利益のある寺社の由緒なども載っています。
#コロナウイルス #にんげん百物語 #技報堂出版 #福井栄一


中世までの日本では、食事は朝夕の二度が基本だった。

中世までの日本では、食事は朝夕の二度が基本だった。
ところが、戦国時代になると「腹が減ってはいくさが出来ぬ」から戦陣食が加わり、以後は徐々に三度食が広まっていった。それまで「をよそ人間は高きも低きも一日に両度づつの食事なれば」(北条氏康『武者物語』)と言ってたのに、江戸期に入ると「三度の飯より酒が好き」「微禄で三度の飯にも事欠く始末」といった言い回しが生まれるほど、一日三食の習慣が定着した。
(但し、これらは人間の話で、神饌は今でも原則、朝夕の二度である。)
 #朝夕二食 #一日三食 #神饌

 

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