中世までの日本では、食事は朝夕の二度が基本だった。 | 上方文化評論家 福井栄一 いちびって候

中世までの日本では、食事は朝夕の二度が基本だった。

中世までの日本では、食事は朝夕の二度が基本だった。
ところが、戦国時代になると「腹が減ってはいくさが出来ぬ」から戦陣食が加わり、以後は徐々に三度食が広まっていった。それまで「をよそ人間は高きも低きも一日に両度づつの食事なれば」(北条氏康『武者物語』)と言ってたのに、江戸期に入ると「三度の飯より酒が好き」「微禄で三度の飯にも事欠く始末」といった言い回しが生まれるほど、一日三食の習慣が定着した。
(但し、これらは人間の話で、神饌は今でも原則、朝夕の二度である。)
 #朝夕二食 #一日三食 #神饌