Want you
Hold you
Get you
Kiss you
Miss you
Need you
僕のあんたへ
Good-bye ありがとう
心から愛した恋人よ
ずっとこんな日が続けばと思うほど愛してたのに…
私は蟹があまり好きではありません。
食べれる部分が少ないし、磯の香りがちょっと苦手。
今日はそんな蟹の話。
さて、世の中には「思い蟹」という者がいます。
蟹の仲間ではありません。
神の一種。
さしあたって妖怪です。
思い蟹は地域によって「重し蟹」「思いし蟹」「思い神」「重し神」なんて呼ばれます。
姿はどうあれ神の名を冠する以上やはり神様です。
妖怪の性質というのは名前にそのほとんどが由来します。
いや、逆か…
性質に由来した名が与えられると。
つまり思い蟹の性質は、「重さ」と「思い」。
思い蟹は人の思いと一緒に重さを引き取ります。
忘れたいこと、考えたくないこと、後悔、心配。
それらの思いを重さと一緒に奪うのです。
実に気のいい神様です。
重さなんてあってないようなもの。
必要ないと言えば必要ありません。
それを差し出すことで心配事が無くなるのならこんなにいい手はありません。
…と誰もが思います。
私だってそう思います。
今だって…
それでも多分そうなったらそうも言っていられないでしょう。
思いという形の無いものを重さという形のあるものに置き換えるというのがポイントです。
目に見えないものが目に見えて無くなる。
その時初めて人は思いの重さと必要さを知るわけです。
思いとはそれがどんなものであれ背負っていかなければならないもので、自分でそれを解消しなければならないと。
人に押し付けるようなズルいことはいけないよ。
…と、そういった教訓が思い蟹にはあるわけです。
さて、ところでこの思い蟹というのはかなり若い妖怪です。
妖怪に老いも若いもあるかと言われれば、返す言葉もありませんが、つまりは最近生まれた妖怪であるということ。
生んだ人は西尾維新。
ライトノベル作家です。
生まれた場所は化物語。
ライトノベルです。
つまり平成になってから。
では、偽物か?
そんなことはありません。
西尾氏は自身の作品中にいくつもの妖怪を「怪異」と呼び、登場させています。
これらの怪異は元々どこかで言い継がれてきたかのような独特の雰囲気がありますが、実は全て西尾氏の創作です。
しかしながらその中に偽物は一つもありません。
これはかなり難しい問題ですが、「そもそも存在の怪しい妖怪の真偽をどこではかるのか?」ということになってきます。
早い話信じれば本物、そうでなければ偽物というのが私の持論です。
私は蟹に出会った女性を知っているし、カタツムりに迷った小僧も知っています。
それらは蓋を開ければただの拒食症、ただの迷子でしたが、彼らは思い蟹の仕業、迷い牛の仕業と信じていました。
その時点でこれらの妖怪は本物になったわけです。
生きている人間から作られ、信じられ、恐れられ、奉られ、疎まれ、有り難がれ、敬われる。
それが妖怪としての本質であり、それが本物の妖怪ということです。
この世には私が生んだ妖怪でさえ居るのですよ。
good night and have a nice dream!
Hold you
Get you
Kiss you
Miss you
Need you
僕のあんたへ
Good-bye ありがとう
心から愛した恋人よ
ずっとこんな日が続けばと思うほど愛してたのに…
私は蟹があまり好きではありません。
食べれる部分が少ないし、磯の香りがちょっと苦手。
今日はそんな蟹の話。
さて、世の中には「思い蟹」という者がいます。
蟹の仲間ではありません。
神の一種。
さしあたって妖怪です。
思い蟹は地域によって「重し蟹」「思いし蟹」「思い神」「重し神」なんて呼ばれます。
姿はどうあれ神の名を冠する以上やはり神様です。
妖怪の性質というのは名前にそのほとんどが由来します。
いや、逆か…
性質に由来した名が与えられると。
つまり思い蟹の性質は、「重さ」と「思い」。
思い蟹は人の思いと一緒に重さを引き取ります。
忘れたいこと、考えたくないこと、後悔、心配。
それらの思いを重さと一緒に奪うのです。
実に気のいい神様です。
重さなんてあってないようなもの。
必要ないと言えば必要ありません。
それを差し出すことで心配事が無くなるのならこんなにいい手はありません。
…と誰もが思います。
私だってそう思います。
今だって…
それでも多分そうなったらそうも言っていられないでしょう。
思いという形の無いものを重さという形のあるものに置き換えるというのがポイントです。
目に見えないものが目に見えて無くなる。
その時初めて人は思いの重さと必要さを知るわけです。
思いとはそれがどんなものであれ背負っていかなければならないもので、自分でそれを解消しなければならないと。
人に押し付けるようなズルいことはいけないよ。
…と、そういった教訓が思い蟹にはあるわけです。
さて、ところでこの思い蟹というのはかなり若い妖怪です。
妖怪に老いも若いもあるかと言われれば、返す言葉もありませんが、つまりは最近生まれた妖怪であるということ。
生んだ人は西尾維新。
ライトノベル作家です。
生まれた場所は化物語。
ライトノベルです。
つまり平成になってから。
では、偽物か?
そんなことはありません。
西尾氏は自身の作品中にいくつもの妖怪を「怪異」と呼び、登場させています。
これらの怪異は元々どこかで言い継がれてきたかのような独特の雰囲気がありますが、実は全て西尾氏の創作です。
しかしながらその中に偽物は一つもありません。
これはかなり難しい問題ですが、「そもそも存在の怪しい妖怪の真偽をどこではかるのか?」ということになってきます。
早い話信じれば本物、そうでなければ偽物というのが私の持論です。
私は蟹に出会った女性を知っているし、カタツムりに迷った小僧も知っています。
それらは蓋を開ければただの拒食症、ただの迷子でしたが、彼らは思い蟹の仕業、迷い牛の仕業と信じていました。
その時点でこれらの妖怪は本物になったわけです。
生きている人間から作られ、信じられ、恐れられ、奉られ、疎まれ、有り難がれ、敬われる。
それが妖怪としての本質であり、それが本物の妖怪ということです。
この世には私が生んだ妖怪でさえ居るのですよ。
good night and have a nice dream!