「あなたって笑えたんだね。」

そりゃあまぁ…

「私と居た頃はそんな顔一度もしなかったよ。いつもつまんなそうに空気ばっかり見てたじゃない。」

4年も経てば人も変わるってことだね。

「でも相変わらずね。辛気臭いったらないわ。縁起が悪いわね。」

それは悪口にしたって随分な言い方だな。

「だって昔の男を誉めるなんて負け惜しみみたいで悔しいじゃない。」






えり。
その時点で負け惜しみだよ。

人のことは言えないけど…

















「人は誰しも愛される事が幸せだと思っている。しかし真に幸せな事は愛する事だ。」


ヘルマン・ヘッセの言葉です。

ヘッセはドイツの作家です。


私は好きです。
理由は内緒。



ヘッセの話はともかく、この言葉は的を得ていると思います。

そう思えるようになったのは年をとってからですが。


若い頃は愛されることばかりに執着していました。

親や家族、友人や恋人も私を愛してくれる人ばかりでしたが、私はその見返りを目的に関係を持っていました。

どうしようもなく打算的で利己的な考え方です。


それが年齢とともに緩やかにですが愛されることよりも愛することに喜びを感じられるようになりました。



生物的には当然の発達かもしれませんが、私はそんな自分に価値を見出していきたいと思います。

何故なら、私が人を愛せるのは人から愛されてきたからなのです。



「愛された人間はそれと同じだけ人間を愛せる。」


good night and have a nice dream!
久しぶりだねハイド君























私は基本的には文系です。

文系の人は物事を考えるときに、すでにある理屈や理念、情報や知識をもとに考えます。
私の場合は主に記憶と知識に基づく思考をしています。

つまり全く知らない事象の結果は想像できません。


しかし、こと数学においては理系の考え方をしています。

一般に数学は公式を覚えてなんぼの学問だと思われていますが、そんなことはありません。

公式とは「そこまでは証明されているので省いても構いませんよ」という類のもの。
私は近道だと思っています。

覚えられなければ、それさえ自分で考えて証明しちゃえばいいのです。

公式を覚えているのならその作業をスキップできるというだけのこと。



ぶっちゃけ私は数学の公式というのは「三平方の定理」くらいしか覚えていません。

あとは毎回証明を考えています。

故に私の証明は果てしなく長いのです。



これは極めて理系的な考え方です。

そして私はこれを意図的にやっています。


その気になれば公式なんていくらでも覚えられます。
でもそれではつまらないのです。

例えるなら公式を使った証明というのはつみきを使って家をつくるようなもの。
私はそのつみきも自分でつくりたいのです。



文系的な考え方と理系的な考え方を使い分ける。

なんて話をすると知人からは「よくそんな器用なことができるね」と言われます。
確かに思考パターンを変更するというのはなかなか器用なのかもしれません。
場合に応じて癖や性格を切り替えるようなもの。

…いや、それ以上に難しいのか。


でも、私に言わせれば「自分の中の出来事なんだからできて当たり前」なんです。

その気になれば感情だってコントロールできて然りなのです。

怒りたいときに怒って、悲しみたいときに悲しんで、喜びたいときに喜べる。

感情も思考パターンも癖もコントロールできる。

無意識すら支配下に置くというのは難しいことではないはずです。
ただ誰もやろうとしないだけなのです。






どうも最近、私の預かり知らぬ感情があるように思うのですがね…


good night and have a nice dream!
「勘違いしないでほしいけど良い意味で言っているんだからね。」

そうは聞こえないよ。

「あなたは真面目な恋愛とか、結婚とか、そういうのには向いていないのよ。いつもあなたが言っているけど、向いていないことを無理にすると身体に力みが残るよ。」

それはダーツの話だろ。

「"万物の理は不変たる一つに集約する"なんでしょ?」



サヤ
君の言っていたことは正しい


認めたくないけどね















今日は武器の話。

私はかなり武器に詳しいです。
昔、研究していた分野に触れていたので。

そんななんちゃってソーシャリティの武器トーク。


武器と言えば刀、剣、槍、弓、棍、銃、砲、爆弾など数知れません。

その内私が好きな武器は日本刀と銃。



日本刀と言えば言わずとしれた侍の魂。
我が国が誇る最強の刃物です。

基本的に刀や剣と言うのは切れません。
包丁で肉をさばくのが大変なように、人の体を容易く切り刻むことは出来ないのです。

どんなに念入りに手入れをしても2、3人切れば刃はこぼれます。
刀や剣の攻撃方法はどちらかと言えば"打撃"に近いのです。

肉を潰して、骨を折るといった感じ。


従って刀や剣を扱う場合攻撃手段は突きがメインになります。
力が逃げにくく、ある程度鈍った切れ味でもそれなりの殺傷力を持っていますから。

しかし、突くのなら刃物界には槍という重鎮がいます。
さすがに突き専門と言うだけあって、突撃で槍には勝てません。

そんな訳あって刀や剣というのは「ちょっと切れて取り回し易い槍」という微妙な立場なのです。

しかしながら、日本刀というのは"斬れる刀"なのです。
人を斬るということを唯一にして最大の目的とした武器です。
そのためにあえて片刃とし刀身を曲線に拵えるくらい妥協しないのですが。

あまり知られていないことですが日本刀の刀身というのは多重構造になっています。

表面は硬く脆い金属、芯は柔らかく粘る金属で出来ています。
鋼の炭素量を調整して、織り込むことでその構造を生み出します。

故に、日本刀は折れることなく斬り続けることができるのです。



日本刀の話をする上で"鞘"の話は欠かせません。
私の元カノではありませんよ。



日本刀における鞘とは携帯用のケースとは一線を画すものです。
鞘には朴の木が使われます。

理由は反りが出ず、硬さがちょうどよく刀身を傷付けず抜刀に耐えられるから。

斬れすぎる日本刀を抑え斬れ味を保ち、必要なときにその力を最大に発揮させるというのが鞘の役目です。
スポーツ選手とマネージャーのような関係です。

我ながら言い得て妙だ…




現在では日本刀を持ち歩くことも人を斬ることも認められていませんが、鑑賞を目的として所持することは場合によっては認められます。
見て楽しむことができる武器とは日本刀をおいて他にはありません。

それでさえ人を斬ることを突き詰めた結果なのです。

一つのことに執着し突き詰める姿は人を魅了するというのを地でいってるわけです。



さて、熱くなりすぎて銃の話が出来なくなってしまいましたがそれはまた今度ということで。







ところで、日本刀大好きな私ですが実は一振りも所持していません。
その気になれば持つことも出来るにも関わらずです。

理由は極めて単純。



私なんかが日本刀を持ったら人を斬らずにはいられなくなるからです。



good night and have a nice dream!