沖縄のお父さんの面会に病院に行った日の午前中のお父さんは苦しそうで熱が39度もあって、お母さんは「こんなにアチコーコーで」とずっと手を握っていた日の夜、冷たくなったお父さんが家に帰って来て、家に行ったらスーツ着て、前に見せてくれた一番かっこいいネクタイしめて、すっかり静かになって今にでもうたた寝から起きそうな顔で寝てました。
お母さんは、さっきまであんなにアチコーコーだったのに、ってほおを両手で挟んで涙していました。
その日の内に葬儀屋さんが来て、打ち合わせが始まり、私達は邪魔にならないようその日は家を出ました。
次の日の夕方家に行くと、立派な御棺に入って、お花もあって、焼香台も出来てて、親戚友人が出入りしていて、家族も忙しそうでした。お父さんの遺影も出来てて、白いかりゆし着てメガネして、なんか、にっこりした演歌や島唄の先生みたいで、格好良い男前が映ってました。
次の日は家への案内看板が道路に出てたりして、毎日何かがちょっとずつ進んでいる様でした。その日がお父さんに会える最後の日だったので、お父さんの胸に手を置いて、また会いましょうね、と心で伝えてその家を後にしました。あ、でも、家族が、皆とても疲れた顔をしていたので、マツキヨでユンケル買って渡しに戻りました。それが本当のその日の最後。
その翌日は葬儀の日でしたが、私も自分のCTの為にアメリカに戻らねばならず、そのフライトの日と重なってしまい、葬儀場からそのまま空港に行けば、なんとか行けるかな、みたいな時間軸だったのですが、喪服でアメリカ行くわけにもいかず、ごめんなさいねとお母さんに事情を伝え、朝、遠くから出棺を見送るだけにさせてもらいました。 出棺を手伝う様にも言われたのですが、普段着での見送りに、あの失礼な男は誰だ、と波風立てるのも心配ですと、遠くから、拝むだけにさせてもらいました。
出棺の時、私たちを見つけた、遺影を持った娘さんがこちらを向いて遺影を見せてくれました。
車に入って、その車が出る時、ラッパのように、ファーーーーンと鳴らしたのですが、それが、本当に本当に悲しい音でした。
それから私達は少し置いて自分たちのスーツケースをレンタした軽自動車に積んで、空港へ行きます。
沖縄からUSへ行くにはいくつかの選択肢があります。
那覇ー羽田ーUS
那覇ー成田ーUS
那覇ー韓国ーUS
那覇ー台湾ーUS
羽田もソウルも台北も那覇からの飛行時間がそれほど変わらないので、スケジュールや値段と相談していくつかの選択ができます。今回は台湾経由で来たのですが、台湾からUSは遠い! 羽田からの飛行時間プラス2時間です。 飛行機乗って、最初のご飯を食べながら現在地を見たらまだ日本の関東沖でした。
今、朝の5時。 いつもの様に絶賛時差ぼけ中です。 シャワーもせずに気絶するようにその辺で寝て、3時間くらいで起きて、眠れなくなって、ブログ書いてます。
検査まで約1週間。断酒して血圧下げて、体調整えて、カモンCT。
昨日は春らしい、ポカポカ陽気で太陽が出てる時は半袖がちょうどよく、なんなら短パンも行けそうな、カラッとした、良い日でした。
今くらいのこの辺はやっぱりいいなぁ。
でも着実に治安は悪くなってるみたいだし、市の財政の為にどんどん税金上がって、新しい税金出来たりしてるし、もうアメリカダメなのかなぁ。 今後どうするか迷っています。
