前項「マネジメントとは何か」で、マネージャーの具体的な役割は「あるべき姿を具現化する」または「正しいことを正しくやり切る」とお話しました。あるべき姿を具現化することを換言すると、より具体的には「問題を発見し解決すること」になります。多くの管理職が誤解しやすいため、今回はその補足です。
最初に誤解されてしまうことは、「問題とは何か」ということです。
「問題」という言葉の意味は広いです。人々の関心、話題、論点、心配、注意すべき点、等の意味もあります。ただマネジメントを語る上で、そしてこのブログ上は全て異なる意味です。
問題とは「あるべき姿と現状とのギャップ」を指します。
これまでもこのブログでは全てこの意味で使っています。
ここで注意しなければならないのは、問題とは、あるべき姿と現状が明確になって初めて相対的に認識できるということです。どちらも明確になっていないと「問題」とは言い切れないのです。よく「これが問題でさー」とプロジェクトでクライアントから愚痴を言われますが、「本当にそれは「問題」なのですか?」と細かく問い返すと、黙られてしまいます。使い勝手の良い言葉なのでつい口から「問題」と出てしまうだけで、みな深く考えずに使っているのです。
多くの会社や部署がそもそも、業績やマーケットで当社の置かれている立場、自部署の実態、組織体制、マネージャーや部下の行動etc…、あらゆるものへの「あるべき姿」が明確ではありません。また、現状への正確な理解や分析が行われていません。どちらも曖昧なまま、各人が自分の主観で「あれは問題だ、これは問題だ」と言っているのです。だから上司、同僚、部下、他部門、経営層にも理解されないし解決もできない。結果として「うちは駄目だ」と勝手に結論付けてしまいがちなのです。
これまでの『オペレーションマネジメントの強化』で述べてきた目標管理とPDCAを強化することは、あらゆる問題を明確に定義し可視化することに繋がります。それらを放置せずに毎日解決していく。組織が「問題解決中毒」となる状態が理想です。
四大新卒者のうち、3割超が入社後3年以内に転職・退職する時代。社会人なら誰しも今の仕事について「思い描いていた仕事と違う」「こんなはずじゃなかった」、果ては「こんな仕事はしたくない」と一度は思ったことはあるでしょう。かくいう自分も2度の転職を経ています。確かに本当に「違う」のなら転職・退職を考えた方がベターな選択肢だと思います。
ただ、その前に一旦「Why-What-How」で整理してみることが必要だと思います。自分の仕事を「WWH」に分けてみる。日々行っている仕事のWhatやHowがとりあえず気に食わないと思っても、その仕事のWhyが自分のWhyと合致しているのなら、今しばらく歯を食いしばって続けてみるべきでしょう。必ず自分にプラスになることがあるからです。
それでも、そうは考えても、そのHowが本当に辛過ぎたらどうするか。どうしても自分のポリシーと違うとしか思えなかったらどうするか。
自分もそんな経験があります。事業再生コンサルティングは、時に(ほとんど?)泥臭い仕事に終始します。嫌がられます。露骨に煙たがられても、笑顔で相手の懐に入り、行動変化を促していかないといけない。転職した頃は、正直言ってもうちょっと「スマート」な職務を想像していたので、「こんなはずでは…」と思ったことがありました。
そんな時、上司からアドバイスを受けました。
何も相談してないのに、私の顔付きや態度で心を見透かされていたようです。
「どうせ自分のやりたいことと違うとか、ポリシーと違うだとか思っているんだろう。でも、そんなものは関係ないんだよ」と。そして、
「お前は役を演じないといけない」 と言われました。
全ての仕事には求められる役割があります。役者さんに例えると、信条は誰よりも自分が目立つことである新人俳優が、たまたま主演を引き立てる「通行人A」を割り当てられたとする。これは命がけで主役の存在感を引き出す演技をしないといけない。でも自分の全く本意ではない役回りを演技するうち、脚本のイメージと違う振る舞いをしてしまって、引き立てることどころか主役よりも目立ってしまう。例えばそんなことを勝手にやってしまったらどうなるか。
監督から外されるだけです。やらなければいけないのは引き立て役の「通行人A」だからです。そんなところで勝手にポリシーを持ち出されても監督は困ってしまう。そして彼は監督から「使えない俳優」と思われてしまう。
続けて上司に、「役をきちんと演じることは、お前のポリシーに反するのか?」と言われました。
しっかり演じたところで、役者としてのポリシーが毀損されるといえるのか。そんなことはないのです。誰もそんなことは思わない。むしろ恥ずべきは、与えられた機会を活かすことをせず、求められている役割を果たさないことでしょう。役者さんでイメージすると当たり前のことが、いざ自分と自分の仕事に当てはめると何か違うことのように思いがちです。
演じることによって自分は給料をもらっている。これは何も役者さんだけではないはず。もちろん、コンプライアンス違反なことや、先に言ったようにWhyがそもそも違うことなら「無理に」やる必要はありません。やってはいけません。ただ、Whyが正しく、歯を食いしばらなければいけない時、自分は「役を演じる」だけなのだと思えば、これまでと視界が少し変わるかもしれません。
今振り返ると、論点をすり替えて説得させられたのだな…と思いますが、時折こうやって自分を律しようとしています。
ただ、その前に一旦「Why-What-How」で整理してみることが必要だと思います。自分の仕事を「WWH」に分けてみる。日々行っている仕事のWhatやHowがとりあえず気に食わないと思っても、その仕事のWhyが自分のWhyと合致しているのなら、今しばらく歯を食いしばって続けてみるべきでしょう。必ず自分にプラスになることがあるからです。
それでも、そうは考えても、そのHowが本当に辛過ぎたらどうするか。どうしても自分のポリシーと違うとしか思えなかったらどうするか。
自分もそんな経験があります。事業再生コンサルティングは、時に(ほとんど?)泥臭い仕事に終始します。嫌がられます。露骨に煙たがられても、笑顔で相手の懐に入り、行動変化を促していかないといけない。転職した頃は、正直言ってもうちょっと「スマート」な職務を想像していたので、「こんなはずでは…」と思ったことがありました。
そんな時、上司からアドバイスを受けました。
何も相談してないのに、私の顔付きや態度で心を見透かされていたようです。
「どうせ自分のやりたいことと違うとか、ポリシーと違うだとか思っているんだろう。でも、そんなものは関係ないんだよ」と。そして、
「お前は役を演じないといけない」 と言われました。
全ての仕事には求められる役割があります。役者さんに例えると、信条は誰よりも自分が目立つことである新人俳優が、たまたま主演を引き立てる「通行人A」を割り当てられたとする。これは命がけで主役の存在感を引き出す演技をしないといけない。でも自分の全く本意ではない役回りを演技するうち、脚本のイメージと違う振る舞いをしてしまって、引き立てることどころか主役よりも目立ってしまう。例えばそんなことを勝手にやってしまったらどうなるか。
監督から外されるだけです。やらなければいけないのは引き立て役の「通行人A」だからです。そんなところで勝手にポリシーを持ち出されても監督は困ってしまう。そして彼は監督から「使えない俳優」と思われてしまう。
続けて上司に、「役をきちんと演じることは、お前のポリシーに反するのか?」と言われました。
しっかり演じたところで、役者としてのポリシーが毀損されるといえるのか。そんなことはないのです。誰もそんなことは思わない。むしろ恥ずべきは、与えられた機会を活かすことをせず、求められている役割を果たさないことでしょう。役者さんでイメージすると当たり前のことが、いざ自分と自分の仕事に当てはめると何か違うことのように思いがちです。
演じることによって自分は給料をもらっている。これは何も役者さんだけではないはず。もちろん、コンプライアンス違反なことや、先に言ったようにWhyがそもそも違うことなら「無理に」やる必要はありません。やってはいけません。ただ、Whyが正しく、歯を食いしばらなければいけない時、自分は「役を演じる」だけなのだと思えば、これまでと視界が少し変わるかもしれません。
今振り返ると、論点をすり替えて説得させられたのだな…と思いますが、時折こうやって自分を律しようとしています。
コンサルタントとなってから知ったモノの考え方で、非常にためになったものの一つが「Why-What-How」です(以下WWH)。
Whyは目的や意図、Whatは課題や具体的テーマ、Howはそれを果たすための具体的手法や手段。ものごとを常にこの3つに整理して考える、ということです。卑近な例で言えば、「運動不足気味だったので友達とテニスをする」というアクションを、「健康増進のため(WHY)⇒運動をする(WHAT)⇒友達とテニスをする(HOW)」に整理するという具合です。
大事なことは2つあります。
1つは順番です。往々にして、つい人はわかりやすい・目の前のHowから考えてしまいがちです。結果として「How⇒What⇒Why」となっています。そうではなく、何をやるにも「Why⇒What⇒How」の順で考える。これで目的と軸がぶれなくなります。
2つ目は時と場合によってWHYを引き上げる/引き下げることです。自分としてはWhyをしっかり定めてやっているつもりでも、何かしっくりこないことがあります。「そもそも何のためだっけ?」と常にセルフチェックを繰り返す必要があります。そして例えばもうちょっと大きな視点で考えると、自分がWhyだと思っていたことがただのHowであり、真のWhyから見たら違うやり方・アプローチもある、ということです。
こんな平易な例や説明だと誰にでも理解できます。また簡単にできるとも思えます。
ところが、いざ自分が仕事もPrivateも常にこのように考えているか、動いているかというとそれは至難の業です。最初のテニスをする例なら、計画していざ当日になったらテニスの後に朝まで飲みに行ってしまうとか、そもそも「どうせ会うならテニスじゃなくて飲み行くか!」となって正に本末転倒の結果となってしまうのです。また、WWHがごちゃごちゃのままだと、周囲の人とコミュニケーションギャップを生んだり、意見がむやみに衝突しやすくなります。
事業再生プロジェクトでも、新人コンサルタントはよくこのWWHを取り違えます。
例えば相手に行動変化を起こしてもらうため(Why)に、一向にやる気を出そうとしないクライアントのマネージャーに自部署の痛ましい過去実績の事実を突きつけ(What)ようと実績チャートをExcelで作成している(How)とします。チャートのノウハウ本を片手に作っているうちに、未知の機能を使いたくなり意味もないのに凝りに凝ったグラフを何枚も作ってしまう。この結果、メッセージが弱まったり、問答の事前準備が疎かになったりして、結果としてマネージャーに伝えたいことが伝わらない。本末転倒になります。また、コンサルタントが相手を言い負かしたり、きれいなアウトプットを作ることがいつの間にかWhyとなり、プロジェクトの本来の目的、「クライアントに何をもたらせるか」の視点がおろそかになってしまう等などです。
逆を言えば、WWHを理解し上手く使いこなせれば、自身が「正しい」アクションが取れるようになるだけでなく、なかなか意見がかみ合わない相手と共通認識を持ったり、相互理解をすることの一助ともなるのです。
例えば、どの職場にも会議の場で皆がはっとするような「違う視点」を取り入れ、上手く皆をファシリテートしていく人がいると思います。これはWWHの視点で俯瞰していると出来ます。議論がHowに集中していたり、見当外れな方向に議論が行っているなら「そもそもの目的は何だっけ」とWhyを振る、抽象的な「べき論」に終始しているところを具体的なHowを論ずるようにする、Whatの議論をしている時にHowの話している人を正す等です。また、平行線を辿っている相手との議論も収拾しやすくなります。
プロジェクトでは、必ずこのWWHの概念をクライアントと共有した上でスタートします。
話がかみ合わなくなるのを防ぐためです。最初に話をしても、反応は「ふーん」だけですが、実際、現業に忙殺されている人は、例えどんなに優れた人でも目の前のHowに目を囚われがちになります。また現場に近ければ近いほど、人はHowに囚われます。そして重要なWhyが抜けてしまい、誤った意思決定やアクションを取ってしまうものです。そんな時に常にクライアントに対して「そもそもWhyは何でしたっけ?」と最初に共有したWWHの振り返りを働きかけるのです。
お金も時間も無制限にあり、明確なアウトプットが求められない仕事ならば(そんなものは無いですが)、WWHなんて気にしなくてもいいかもしれません。然しながら、短期間で明確なアウトプットが求められる仕事、そして部門の資源配分を司るマネージャー職は全て、このWWHの視点を常に忘れず、資源の有効活用を行わないといけません。マネージャーであれば、部下の言動に対して違和感を覚えたら、WWHのどこか抜けているか・ズレているかをよく考えて、往々にあるWhyが抜けないように導き、失敗をさせない必要があるのです。
Whyは目的や意図、Whatは課題や具体的テーマ、Howはそれを果たすための具体的手法や手段。ものごとを常にこの3つに整理して考える、ということです。卑近な例で言えば、「運動不足気味だったので友達とテニスをする」というアクションを、「健康増進のため(WHY)⇒運動をする(WHAT)⇒友達とテニスをする(HOW)」に整理するという具合です。
大事なことは2つあります。
1つは順番です。往々にして、つい人はわかりやすい・目の前のHowから考えてしまいがちです。結果として「How⇒What⇒Why」となっています。そうではなく、何をやるにも「Why⇒What⇒How」の順で考える。これで目的と軸がぶれなくなります。
2つ目は時と場合によってWHYを引き上げる/引き下げることです。自分としてはWhyをしっかり定めてやっているつもりでも、何かしっくりこないことがあります。「そもそも何のためだっけ?」と常にセルフチェックを繰り返す必要があります。そして例えばもうちょっと大きな視点で考えると、自分がWhyだと思っていたことがただのHowであり、真のWhyから見たら違うやり方・アプローチもある、ということです。
こんな平易な例や説明だと誰にでも理解できます。また簡単にできるとも思えます。
ところが、いざ自分が仕事もPrivateも常にこのように考えているか、動いているかというとそれは至難の業です。最初のテニスをする例なら、計画していざ当日になったらテニスの後に朝まで飲みに行ってしまうとか、そもそも「どうせ会うならテニスじゃなくて飲み行くか!」となって正に本末転倒の結果となってしまうのです。また、WWHがごちゃごちゃのままだと、周囲の人とコミュニケーションギャップを生んだり、意見がむやみに衝突しやすくなります。
事業再生プロジェクトでも、新人コンサルタントはよくこのWWHを取り違えます。
例えば相手に行動変化を起こしてもらうため(Why)に、一向にやる気を出そうとしないクライアントのマネージャーに自部署の痛ましい過去実績の事実を突きつけ(What)ようと実績チャートをExcelで作成している(How)とします。チャートのノウハウ本を片手に作っているうちに、未知の機能を使いたくなり意味もないのに凝りに凝ったグラフを何枚も作ってしまう。この結果、メッセージが弱まったり、問答の事前準備が疎かになったりして、結果としてマネージャーに伝えたいことが伝わらない。本末転倒になります。また、コンサルタントが相手を言い負かしたり、きれいなアウトプットを作ることがいつの間にかWhyとなり、プロジェクトの本来の目的、「クライアントに何をもたらせるか」の視点がおろそかになってしまう等などです。
逆を言えば、WWHを理解し上手く使いこなせれば、自身が「正しい」アクションが取れるようになるだけでなく、なかなか意見がかみ合わない相手と共通認識を持ったり、相互理解をすることの一助ともなるのです。
例えば、どの職場にも会議の場で皆がはっとするような「違う視点」を取り入れ、上手く皆をファシリテートしていく人がいると思います。これはWWHの視点で俯瞰していると出来ます。議論がHowに集中していたり、見当外れな方向に議論が行っているなら「そもそもの目的は何だっけ」とWhyを振る、抽象的な「べき論」に終始しているところを具体的なHowを論ずるようにする、Whatの議論をしている時にHowの話している人を正す等です。また、平行線を辿っている相手との議論も収拾しやすくなります。
プロジェクトでは、必ずこのWWHの概念をクライアントと共有した上でスタートします。
話がかみ合わなくなるのを防ぐためです。最初に話をしても、反応は「ふーん」だけですが、実際、現業に忙殺されている人は、例えどんなに優れた人でも目の前のHowに目を囚われがちになります。また現場に近ければ近いほど、人はHowに囚われます。そして重要なWhyが抜けてしまい、誤った意思決定やアクションを取ってしまうものです。そんな時に常にクライアントに対して「そもそもWhyは何でしたっけ?」と最初に共有したWWHの振り返りを働きかけるのです。
お金も時間も無制限にあり、明確なアウトプットが求められない仕事ならば(そんなものは無いですが)、WWHなんて気にしなくてもいいかもしれません。然しながら、短期間で明確なアウトプットが求められる仕事、そして部門の資源配分を司るマネージャー職は全て、このWWHの視点を常に忘れず、資源の有効活用を行わないといけません。マネージャーであれば、部下の言動に対して違和感を覚えたら、WWHのどこか抜けているか・ズレているかをよく考えて、往々にあるWhyが抜けないように導き、失敗をさせない必要があるのです。