皆さん、お久しぶりでございます。

久しぶりに報告をしましょう。

仕事ですが、相変わらずといった感じでしょうか。
継続しております。

その中での症状は、ほぼ変化なし、でしょうか。

前回の文面をざっと読みましたが、ほぼその認識に間違いはない、
と思います。

足を失った人間は、足がないという障害を一生背負うことになる。
その性質を持ったまま、生きていくことになります。

それと同様というと、失礼になるかもしれませんが、
(基本的にボク等は身体的には問題がないですから。)
ボク等も「対人恐怖」という性質を持ったまま生きていくしかない。

ほぼほぼ、そういうことではないでしょうか。

人には多くの欠点があるでしょうが、ボク等はたまたまそれが
「対人恐怖」ということなのです。

ですから、仕事を行ってみて症状がどういう経過を辿ったか、
というのも重要ではありますが、基本的に症状は変わらないというのが、
当たり前の結果ではないでしょうか。

変わったことは、症状に対しての認識ではないかい。

症状を無くそうと必死になっていた心が変わることはあるでしょう。

そのような執着は努力して無くすことはできませんが、
症状は変わらないもの、とあくまでも自分の経験の中で認識することは、
可能です。

仕事を通じて、一番の収益は、そのような認識を得たことでは
ないでしょうか。
症状とは一体何か、といったときに
今現在のボクは、症状とはどうにもならないもの、
と解釈しております。

症状とは変えようがなく、
症状は紛れもなく、ボク等そのものなのです。

仕事をしてどうなった、など
随分といろいろ言ってきましたが、
結局は先の投稿で述べた通り、
あまり変わらないのではないか、
といったところです。

少し良くなった気もしますが誤差の範囲でしょう。

ボク等は思えば、症状に対する理想的なことを
散々述べてきました。

こうすれば良くなるだろう、と言った具合に。
これは斉藤療法も森田療法も同様ではないでしょうか。

あるがまま、無といった概念により、何か別次元の
世界に入れるような希望的なものが存在していました。

勿論、本当の意味での、あるがままというのは
そういうことではないのかもしれませんが。

多くは正しいとも思いますが、そのような希望的な
言い方が少しばかり、多かったようにも思います。

斉藤さんや、kenさんは、神経症を脱したようで
実は脱していなかった、あるいは神経症に舞い戻った
といったことを話していたと思います。

そのくらい神経症は治りにくいといいますか、
症状というのは消えたようでも、
存在しているものとボクは思うのです。

そんな体験は、ボクも同じことです。
症状がなくなったと思って、
振り返ってみたら、やはり症状はそこにある。
そんな体験が何回かあったように思います。

ただ治癒が全く存在しないかというと、
以前から述べている通り、
そういうことでもないでしょう。

治癒は全く別次元で動くものです。
それはただただ自然の経過に他なりません。

我々が何をしようがしまいが
その自然の経過である治癒を
早めることも、遅くすることも不可能。

そう考える次第です。
このブログは改めて見ると、本当に途切れることが多いです。
それで何だか知らないですが、その度に謝罪ばかりしてます。
ちょっとこれは自分でもどうかと思いますな。

久しぶりに書き込みをしているので、簡単にこのブログについての
まとめをします。

これまでの経緯としては、
・対人恐怖症者(私)が仕事を始めてみた
・とりあえず約4年間は仕事を継続してきた
・仕事をして症状がどうなったかを書いている

今後のプランとしては、
・神経症についての考えを再度まとめる
・神経症の段階について独自に考察する
・ネット上の神経症HPなど神経症界を観察する

今後の注意点は、
・もう少し、定期的に投稿する
・現状を偽りなく報告する
・謝罪ばかりしない
前回の現状報告が、大分さらっとしていたので再度自分の
現状について書こうと思います。

神経症の症状がどうか、ということですが、
やはり症状は残っている、というのが正直なところです。

症状が残っているとして、以前と比較して、それが改善されて
いるのかどうか、というと何とも言えません。
正直、これはあまり変わらないのかもしれません。

以前という比較対象の時期がいつとするか、によっても大きく
変わるのでしょうが、例えば仕事を始めた本当に最初の頃と
比較しますと、良い気がします。

はっきりしろと言われそうですが、やはり無視できないこと
として、仕事に対する慣れというものがどうしても存在します。
慣れによってのマスク、という点を見逃してはなりません。

仕事は対人部分を伴いますが、そうした対人部分における症状は
恐らく変わらないのではないか、或いは多少改善された程度で、
慣れによってカバーされ、どうにかやり過ごすことが
出来ている。そのようなところでしょうか。

正直、これはかなり微妙かもしれませんが、ただここまで
仕事を継続できたことを考えますと、良いんじゃないかい、
なんて短絡的に考えています。

一方で、仕事を始める前と比較してどうなのか、と言いますと
やはりこれも比較が難しいですね。
仕事を始める前というのは、いわば引きこもり状態のようなもの
でしたので、対人場面はあまりなかったような気もします。

ただそのころの自分は、机上の空論的な、実際を除いた理論上は
かなりの自信をもっていたのではないかな。
一言で言えば、調子に乗っていた、ということですね。ええ。
その頃から比べても、正直変わったような変わらないような
気がしますが、仕事をしている点では勝っている!と
思いたいですね。

何と言うか、だらだら語ってますが、しかしながら一つ確実に
言えるとすれば、仕事を始めても症状が大きく悪化はしない、
ということです。

仕事を始めた当初、最も懸念されたことは、仕事のストレスで
対人恐怖が悪化し、とんでもないことになるんじゃないか?
といったことなのですが、それは今のところはありません。

ちっぽけかもしれませんが、確実に言えることはそんなところです。

なので、以上により、ボクの言いたいことと言うのは、神経症、
対人恐怖に対するある程度の確かな知識を持っていれば、
多少なりとも対人の伴う仕事も可能、ということですね。

逆に対人恐怖に対しての知識を持たない初期の段階で仕事に
臨むのは多少危険なのかもしれません。はい。

では。
これまでボクは様々なことを言ってきました。
改めて自分の書き込みを眺めてみると、大方間違ったことは
言っていないとは思います。

ただ人間どうしても何かしらの変化というものがありますので、
多少なりとも矛盾というものがあるかもしれません。

自分では決して変わっていないとは言っても、どうしても
そのような誤差というものが生じるものです。

だから定期的に自分の考えが、今の時点でどういうものか
ということを示していかなくてはいけないのではないか、
と思うものです。

それは自分自身に対する、確認ということでもありましょう。
自分の考えとは一体何なのか、という。ええ。

その上で現在と過去との明らかな違いが生じたのであれば、
そこに説明、訂正を加えなくてはならないのではないか。

そういう意味では、このブログという世界も大変厳しい世界
と言わざるを得ない。
たかがブログ、されどブログということになあります。

もう少し肩の力抜けと、言われそうですが、やはり対人恐怖の
基質のある人間。緊張、恐怖、尻込み、不安、意志薄弱、
凄まじいものが、つきまとうようで、どうしても身構えてしまう
ようなところがあるのです。

そして書き込まずに、逃げるという最悪の事態になってしまう。
難しいものですね。

話が脱線していますが、
また以前より提案してきた、神経症の段階のようなものを
作成するという試みがあります。
大変申し訳なくて、全く進んでいないのですが、それも
どうしようかかなり悩んでいるところがあります。

そのようなステージ、指標的なものを作るか作るまいかなど
大したことではないのですが、仕事の忙しさ、或いはそれが
本当に有益なものなのか、確証が全く持てないなど色々妨げが
あったりして、なかなか進まない現状です。

言い訳じみていて、単に腰の重い人間、ということにも
なりそうです。いや、何だか書き込みすらおぼつかない状況で
本当に申し訳ない次第です。

とにもかくにも、グジグジ言っているけれど、何かしらの
書き込みをしようと思います。はい。

前回の書き込みも、久々に出てきて大した報告にもなって
おらず大変失礼しました。

ではまた。